■震災4年 各地の海岸で不明者の捜索
NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150311/k10010011441000.html
3月11日 12時09分
東日本大震災の発生から4年の11日、各地の海岸で、警察などが行方が分かっていない人の手がかりがないか捜索しています。
▲宮城・気仙沼では200人が参加
宮城県気仙沼市本吉町の小泉地区の海岸では、警察や全国から集まったボランティア、それに行方不明者の家族などおよそ200人が参加して捜索が行われています。
参加者は捜索の前、海に向かって黙とうをささげ、震災で犠牲になった人を追悼しました。
この海岸は、潮の流れから漂着物が多く集まるということで、参加者は、熊手などを使って海岸の砂浜を掘り起こしたり、石やごみをかき分けたりしながら手がかりを探しています。
警察によりますと、宮城県内では今も、1249人の行方が分かっていないということです。
震災で23歳の息子を亡くした芳賀米子さん(65)は、「自分の息子は見つかりましたが、まだ見つかっていない人がたくさんいるので、少しでも役に立ちたいと思い参加しました」と話していました。
また東京からボランティアで参加した21歳の女子大学生は、「4年たった今でも骨が見つかるというニュースを見て、今回初めて参加しました。手がかりを見つけられるように頑張りたい」と話していました。
▲新人漁師も参加「早く家族の元に」
宮城県南三陸町の中山港では、ダイバーによる海中の捜索が行われ、今月、地元の高校を卒業したばかりの漁師の男性も参加しました。
三浦秀斗さん(18)は今月1日、地元の高校を卒業したばかりです。
卒業後すぐに漁師として働き始めていて、地元のために何かできないかと捜索に参加しました。
11日は海が荒れていて水中の視界が悪く、遺留品などは見つかりませんでしたが、名前などの手がかりがある場合は、持ち主を捜して届けられるということです。
三浦さんは、「海の中はがれきはありましたが、遺留品は無かったです。早く家族の元に帰ってきたらいいなと思います」と話していました。
参加したボランティアの代表の勝又三成さん(33)は、「毎年3月11日に津波のあの時を思い出して、今もいる行方不明者の方々の手がかりを何か見つけられればいいなという思いで捜索させていただきました」と話していました。
▲福島でも捜索「家族の気持ち胸に刻んで」
福島県では、震災の地震と津波で、1612人が死亡し、いまも202人の行方がわからないままです。
毎月11日の月命日に警察が行っている行方不明者の一斉捜索は、震災から4年となる11日、消防や海上保安庁なども参加し580人の態勢で陸上と船を使って海上から行われています。
このうち避難指示区域の浪江町の請戸地区では、午前10時から警察が重機を使って川底を掘ったり、地中レーダーに反応があった場所をスコップやくわで丹念に掘り起こしたりしていました。
福島県警察本部の石田勝彦本部長は「震災から4年がたち、捜索は難しくなってきているが、行方不明者の家族の気持ちを胸に刻んで1人でも多く見つけていきたい」と話していました。
▲岩手ではレーダー使い捜索
岩手県内では今も1129人の行方が分からず、11日は各地の沿岸部で警察と海上保安部などが捜索を行っています。
このうち、148人が行方不明になっている山田町では警察官などおよそ50人が参加しました。
捜索には東北大学の研究者も参加し、この地区では初めて遺跡発掘用の地中レーダーが使われました。
レーダーは、土や砂とそれ以外の物の水分量の違いから地中の様子を把握します。
捜索ではレーダーを地面にはわせて、行方が分からない人の手がかりが埋まっている可能性がある場所を捜し、そのあと警察官がスコップで地面を掘っていました。
震災後、神奈川県警から試験を受け直して岩手県警に入り、今回の捜索に参加した大船渡市出身の菊地和也巡査は「思い出の品になるようなものを1つでも多く見つけて、家族に届けたい」と話していました。
■東日本大震災と原発事故発生から4年 風化を懸念
NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150311/k10010010811000.html
3月11日 4時20分
東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所事故の発生から、11日で4年となります。
全国でおよそ22万9000人が避難生活を余儀なくされていますが、復興がなかなか進まないなか、被災した人の間では震災や原発事故への関心が薄れていく「風化」を懸念する声が強まっています。
4年前の平成23年3月11日午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、高さ10メートルを超える大津波が東北や関東の沿岸に押し寄せました。
直後から東北と東日本の各地で激しい揺れの地震が相次ぎ、余震活動が続く東北沖では2月も津波を伴う地震が起きています。
警察庁の10日までのまとめによりますと、これまでに死亡が確認された人は、12の都と道と県の合わせて1万5891人、行方不明者は6つの県の2584人となっています。
また、復興庁や各県のまとめによりますと、避難後の体調の悪化などによるいわゆる「震災関連死」は10の都県で少なくともおよそ3200人に上り、「関連死」を含む震災の犠牲者は2万人を超えています。
仮設住宅や賃貸住宅などで避難生活を余儀なくされている人は、2月12日現在の復興庁のまとめでおよそ22万9000人で、避難先はすべての都道府県に及んでいます。
自力で住宅を再建できない人のために建設される「災害公営住宅」は、2万9900戸余りの計画に対し、ことし1月末現在、半数余りが着工しているものの、完成したのは5582戸と、19%にとどまっています。
一方、3基の原子炉でメルトダウンが起きるという、過去に例のない事故が発生した福島第一原発では、増え続ける汚染水が依然として深刻な問題で、東京電力は当初、3月末までとしていた処理の目標を断念しました。
40年かかるとされる廃炉に向けて、溶け落ちた核燃料の取り出しなどの遅れも懸念され、今後の情報公開の在り方も含めて東京電力の対応が問われています。
国や自治体が進めている除染は、福島県をはじめ、東北と関東の合わせて81の市町村で完了しておらず、最も遅いところでは完了の目標が再来年の3月となっています。
さらに、除染で出た土などを保管する中間貯蔵施設への搬入の完了や、放射性物質が一定の濃度を超える「指定廃棄物」の処分なども、まだめどは立っていません。
国が「集中復興期間」としている5年の節目まで残り1年となりましたが、復興がなかなか進まないなか、被災した人の間では震災や原発事故への関心が薄れていく「風化」を懸念する声が強まっています。
■被災地の朝 犠牲者へ祈りささげる
NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150311/k10010011251000.html
被災地の朝 犠牲者へ祈りささげる
3月11日 8時26分
東日本大震災から4年となる11日の朝を迎え、犠牲になった人たちへの祈りがささげられています。
岩手・陸前高田岩手県陸前高田市では、東日本大震災で県内で最も多い1601人が亡くなりました。
海岸にあったおよそ7万本の松の中で、津波に流されずに残った「奇跡の一本松」です。
近くには市の中心部のかさ上げ工事のために去年完成した全長3キロにもなる巨大なベルトコンベアが土砂を運んでいます。
震災の発生から4年の朝。
午前6時前、雪が舞うなか雲の間に朝日が現れました。
柔らかな日の光は一本松やベルトコンベアを照らし、10分ほどすると雲に隠れてしまいました。
宮城・石巻津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市の南浜町では、雪がちらつくなか、祈りをささげる人がいました。
このうち、津波で当時36歳の息子を亡くしたという田倉晴昌さん(72)は、息子が大好きだったという愛犬と一緒に自宅前を訪れ、静かに目を閉じて祈りをささげていました。
田倉さんは「あの日と同じような雪で、当時を思い出します。4年たっても、この日だけは息子を失った悲しみでいっぱいになってしまいます」と話していました。
また、『がんばろう石巻』と書かれた看板の前には、朝早くから花束を手にした人が訪れ、献花台に花を手向けながら祈りをささげていました。
このうち、この地区で被災し、今も仮設住宅で暮らす、中学2年生の津田直也さんは「まだ復興もちゃんと進んでいないなかですが、街の人も頑張っているので、自分たちも頑張らないといけないかなと思う」と話していました。
津波で大きな被害を受けた宮城県仙台市若林区の荒浜地区では、海沿いに建てられた慰霊碑の前で早朝から祈りをささげる人の姿が見られました。
▲仙台・若林区 荒浜地区
仙台市若林区の荒浜地区は、4年前の津波でおよそ200人の命が失われました。
仙台市中心部が見通せる荒浜地区は、いまだにさら地が広がったままです。
11日は雪がちらつくなか、早朝から花を手向けに訪れる人の姿が見られました。
親族の家が津波で流され毎年、荒浜で祈りをささげている太田昭則さん(37)は、「ここに来ると、あの日のことをしみじみと思い出します。1日も早く、被災地が元の生活に戻ってほしいです」と話していました。
■首相 夏までに新たな復興支援の枠組みを
NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150310/k10010010551000.html
3月10日 19時10分
安倍総理大臣は、東日本大震災からあすで4年となるのを前に記者会見し、来年3月で集中復興期間が終わることを踏まえ、夏までに、平成28年度から5年間の新たな復興支援の枠組みを策定する考えを示しました。
また、安倍総理大臣は、福島再生のための政策パッケージを5月にも決定し、福島の自立に向けた将来像を夏頃までに取りまとめる考えを示しました。
この中で、安倍総理大臣は、「来年3月で、5年間にわたった集中復興期間が終了するが、次の5年間の新たな復興支援の枠組みをこの夏までに策定する。
『閣僚全員が復興大臣である』、その思いのもと内閣の総力を結集して策定作業にあたるよう、先ほど指示した」と述べ、夏までに平成28年度から5年間の新たな復興支援の枠組みを策定する考えを示しました。
また、安倍総理大臣は、福島の原発事故からの復興に関連して、「福島では、新しい復興拠点をつくり、まちづくりを進めていく。
ロボットや再生可能エネルギーといった分野で、世界最先端の研究、新産業が生まれる地へと再生していく」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は、「被災者の皆さんの自立への道を後押しするため、営業損害賠償の再検討とあわせ、事業や生業(なりわい)の再建に向けた支援策を大幅に拡充していく。
こうした福島再生のための政策パッケージを早ければ本年5月にも決定し、福島の自立に向けた将来像をこの夏頃までに取りまとめる」と述べました。
一方、安倍総理大臣は、東京電力福島第一原子力発電所で汚染された雨水が海に流出し、東京電力が公表していなかった問題について、「東京電力の情報公開が不十分だったことは誠に遺憾だ。
十分な情報公開を徹底することにより、漁業関係者をはじめとする関係者の信頼関係を再構築し、また排水路を通じた放射性物質の流出を抑制するための適切な追加対策を取るよう東京電力に指示している。
また安全面についても、原子力規制委員会が、変化する施設の状況に応じた能動的な規制を実施していく。東京電力任せにせず、国も前面に立って、廃炉、汚染水対策に取り組んでいく」と述べました。
さらに、安倍総理大臣は、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場の選定について、「すでにわが国は相当量の使用済み燃料を保管しており、原発の再稼働の有無にかかわらず、高レベル放射性廃棄物の最終処分場が必要であることから逃げることはできない。
廃棄物を発生させた現世代の責任として、将来世代に負担を先送りしないよう、これまでのやり方を見直し、科学的根拠に基づき国から適地を提示するなど、国が前面に立って最終処分をしっかり確保していく」と述べました。
また、安倍総理大臣は、「帰還困難区域を通るJR常磐線は、4年を経た今でも再開の見通しが全く立っていなかったが、地元の皆さんの強い期待に応え、JR常磐線については、浪江・富岡間も含めて、将来的に全線で運転を再開させる方針を決定した。今後、順次、開通を目指していく」と述べました。
加えて、安倍総理大臣は、政府内から、集中復興期間が終わった後は、復興事業で地元自治体にも負担を求めざるをえないという指摘が出ていることについて、「ことし夏までに策定する、あらたな復興支援の枠組みのなかで、地方負担の在り方も含めて、被災地の声に耳を傾けつつ丁寧に検討していく。被災地の皆さんの自立を応援し、これからもできるかぎりの支援を行っていく考えだ」と述べました。
★早いもので東日本大震災から、もう4年。
今も行方不明者が多数いる。
3月11日は勿論、月命日にも行方不明を「捜索強化日」として警察や海上保安庁などが、捜索している地域が多い。
嵩上げ工事や建設予定地では、砂や土・土壌を手作業で遺骨などを選別している。
正直言って、専門家によると海中に遺骨が有る場合、2~3年で海流により岩や砂浜で擦れて散骨の様に、海に還っている可能性が高いと言う。
誰も口にしないが、5年か10年の節目を目処に一旦終了しないと、捜索隊の負担になるかも知れない。
最近では沿岸部や海岸付近の捜索は、新人教育や潜水訓練を兼ねて捜索している。
徐々に行方不明者の捜索名目では、予算が取りにくくなって来ている。
被災地と言う言葉も風化しつつあるが、復旧や復興で被災地の言葉を使わなくなるなら良い事だと思うが、嵩上げ工事が遅々として進まないイメージもある。
それは、土砂に行方不明者の遺骨が混じっていないか手作業で選別したり、土壌を固めて地盤を強固にして高さだけでなく、耐震性を重視している事も一因だろう。
また地主との金銭面の折り合いや利権も絡み、土地の習得も難航している。
更に海岸付近で生計を営む住人は、高台移転や住み慣れた土地から離れたがら無い。
また余力が有った者は、自宅が有った自分の土地に、再び自宅を建てた人もいる。
先見性が有った人は、大震災直後に売れそうも無い山林や荒れ地を二束三文で買い叩き手に入れて、その後嵩上げ予定地に決まり巨万の富を手に入れた者もいる。
津波で流された地域に住んでいた住民も、嵩上げ地域に移転したいが自宅を再建築する借財と流された自宅のローン返済と二重苦になる。
残念ながら、個人的な財産になる自宅やローン返済額を公費でプレゼントと言う訳にもいかない。
しかし、地方行政や地域復興の計画自体が決まらない事には、個人レベルでの復興計画も決まらない。
まだ仮設住宅や賃貸住宅などで、避難生活を余儀なくされている人も多い。
震災前に出来てたコミュニティーが震災で破壊され避難所に集まり、抽選などで仮設住宅に移り新たに別々のコミュニティーが作られたが、コミュニティーに溶け込めず孤立したり孤独死もある。
仮設住宅の中で将来的な不安を募らせている人も多いだろう。
日本人は譲り合いながら、遠慮がちである。
「私より苦しんでいる人がいるから我慢しよう」
「亡くなられた方の事を思うと気の毒」
「家族を亡くして遺骨さえ見つかっていない」
でもね、「強く生きて亡くなった方の為にも復興させなきゃ」
我慢するだけでなく前進する為には、意見を出し合って次の犠牲者を減らして欲しい
日本は幾度も天災に見まわれながら、助け合い支え合い立ち上がってきた。
今日は被災地や被災者の方と、触れ合い話しを聴く機会や追悼式に参列した。
脳梗塞で入院以降、私の涙腺は壊れている。
追悼式での陛下の御言葉や被災者の答辞にも涙が止まらず、遺族の方や大震災を生き抜いた方にも「生きていてくれて、ありがとう」と愛しささえ感じた。
そして、懸命に前向きに明るく生きる、被災者や遺族の方に接して励ます所か、私の方が勇気を貰えた。
明日からも微力ながら、被災地や被災者の復興の手助けや国益を守る為に頑張ルンバ。




