大きなロココ 調のコーヒーカップ を持ち込んでココア を飲んでいたようだ。


 やや、あって、

 コーヒー でも淹れる!? 

 うん、、と答えて表へ出て行った。


 カップのココア がうまく洗い落とせないので急いで洗剤できつくこする、、


キッチンへやってきて窓を開けてなにやら陽に透かしていた、、

菜切り包丁 を研いでるみたいだ。


他人の家を風のように行き来して部屋の扉をドタンピシャンと大きな音を

立てている。


べつに腹も立たなかったが、まあなんと好きに育ってるなと言う感じであった。


 しかし、なんで!? 小泉○一郎がうちへ!??




随分前の日記からピックアップしました  06年11月分


さまざまあって半年以上ブログアップが疎遠になっていました




この年齢の体調で外での機会が少なくなりました


わがお屋敷(笑)玄関前通りコンクリートに蝉が仰向けになって死んでいました


わが邸を明かせば2階なのです


この夏を早世の蝉がもう一生を終えようというのです


近頃セミなぞ手に触れることも無いのでどれどれと取り上げようとしたら


ジャァーーンと一と鳴きして飛んでいきました









ああ、そうかセミは自分の天命に従って命終のときを待っていたようです



油蝉くんひとつに悪いことをしたなと思うことでした





折りしも、きょうは暦の上で立秋~


秋と聞けば気分いいじゃないですか、、



通例上、立秋以後は絶対しのぎ易くなっていきます


ハイ、私が断言いたします(笑)





               
                    何にこの師走の市にゆく烏      

             
 



                    元禄二年(一六八九)四十六歳の作

                      句碑   舞鶴市引土 円隆寺



句の意味

 この寒空を烏が市の方へと飛んでゆく。何を好んで、ごった返す師走の
市なんぞへ飛んで行くのだろうか

「この」は烏に掛るとともに、芭蕉自身をも暗示している。

そして烏を咎める口調の奥に、孤独を愛しつつもにぎやかな歳末の市に
心ひかれ、人中を懐かしがる自分への嘆息がこもっています。

     

芭蕉翁のこの俳句を見るたびに吾らの一年の思い、生涯におけるわが
身に思い至るのです

松尾芭蕉はこの年最後の文学の大旅行を終えて、年明けて伊勢神宮を
参詣し故郷に落ち着くことになります


最晩年大坂、京への旅を思い立ち出かけますが、急病のため大坂の南

御堂近くで51歳を一期とし亡くなることになります