やむなく異国語で怒鳴ったこと、2度ほど記憶に
残っている
日本語より効果的と思ったり、効果があった時だ
ひとつは、初の中国へ行った時
会社の永年勤続褒賞の1回目、休日と金一封あり
近畿日本ツーリストの安いツアーを利用
往復と宿だけのフリー企画で8万円あまり
エアーは、北京経由テヘラン往きのイラン航空
CAはブルカ姿で中近東の音楽の機内
北京着は夜中で、降りる者わずか…といった次第
北京の首都空港は場末の雰囲気で警官が怖く
共産独裁の社会主義国…のイメージ一杯だったし
外の街並みは電気が少なくて暗く心細かった
平成4年の10月、後にも先にもない歴史上唯一
の天皇訪中と偶然にも同時期だったから
天安門広場に日章旗がはためいていたのが印象的
天皇の歴史的訪中、その初日の天安門広場
まだまだ車より自転車が多かった素朴な時で
外国人は専用の紙幣を使わされ
使い捨てカメラに人が集まり、蘇州では電子ライ
ターとヤスリ石式ライターの交換をせがまれたり
公園のトイレはドアなしだったりした時代
ひとり一週間、北京周辺を歩き回り
映画館や直接商品に触れぬ百貨店に入ってみたり
白タクを雇って高速のない時に万里の長城往復も
ある日、信号もない都心の道路を横断したら
腕章をつけたオバちゃんにむんずと腕を掴まれ
北京特有の巻き舌で何やらまくしたてられた
渡ってはいけない場所だったらしいのだが…
「地球の歩き方」にあった、変に狙われないよう
現地人的な質素な格好が中国人に見えたらしい
外国人だと主張すべきと思い英語を使った
現地中高年はサンキューくらいしか通じない時代
文法も何も構わずただいい加減な英語で怒鳴って
いたら
もう行け、とばかりに放免してくれた
なんだ外国人か、仕方ない…という感じだった
下手に日本語使わず、英語にしといて良かった
それから数年後、ツアーで韓国ソウルの2泊3日
にひとり参加したことがあった
安いツアーにありがちな商店巡りもさせられ
ある格安メガネ市場でのこと
(当時日本に安売りメガネ屋はなかった)
ちょっと見せてくれ風に取り上げた私のメガネを
返さずに次々と商品をすすめてくる
いい加減に腹が立ってきて
一計ひらめき、日本語をやめて中国語にした
一体何やってんだ、早くメガネ返せ、お前はバカ
か、こんな店で絶対買わん、いい加減にしろ!
といった言葉を中国語で怒鳴り始めたら…
急に返してきた
日本語使ってたし、日本人かと思ってたら本当は
中国人だったのか、じゃあ仕方ない
みたいな、そんな感じだった
中国語って発音がどぎつい感じがするし
効果抜群だった
なめてかかれる日本人、相手にしたくない中国人
いいのか悪いのか…ねえ