言語の第一義は、道具だと私は思います。
意思疎通・コミュニケーションの道具。
これは疑いのない事実。
もちろん、
言語そのものが芸術にもなり得る。
詩、唄、書、みな美しく素晴らしい。
もちろん、
言語そのものが学問にもなり得る。
言語理論の研究は、人類の成り立ち、
それぞれの文化、人間の思考など
様々な分野の研究に寄与する。
でもそれらは、
その言葉を使いこなせて
初めて出来ること。
母国語はともかく、
母国語以外を使おうとしたら、
使わざるを得なくなったら、
その言語を使いこなせるように
ならなければならない。
日本人のほとんどが、
好むと好まずにかかわらず、
思春期に英語の学習を強制される。
学習した英語を何の為に使うのか、
個々に明確な目的を持たされないまま。
目的も見出せないまま強制されれば、
嫌悪感を抱く少年・少女がたくさん
生まれても不思議はない。
そもそもアプローチが間違って
いるような気がする。
とりあえず、みんなやってんだから
英語を勉強しろってな流れ。
試験で良い点を取る為だけに
英語を勉強するってな流れ。
私は違和感をとても感じる。
英語は数ある言語のひとつ。
現時点では、世界中の多くのモノに
最も多く、最も効率良く触れる機会を
得られる便利な道具。
若い内に身に付けておいて損はない。
試験の為に勉強するんじゃない。
将来の選択肢を少し拡げる為に、
あなたの視野を少し拡げる為に、
効率の良い道具を身に付けてみようよ。
これが英語が必修教科に含まれてる
本来の目的なのではないだろうか。
この観点から言えば、
少なくとも義務教育での英語は、
先々での学問へと続くモノではなく、
少しでも豊かに生きていく為のひとつの
手段を身に付けるモノと言えないか。
自分の足で少しでも遠くに行きたくて、
自転車の乗り方を覚えた。
自転車に乗れるようになって、
初めて隣り町へ一人で行った時、
初めて見るモノにワクワクしたあの感覚。
知らないモノに触れられた喜び。
自分が少し大きくなった気がした。
英語は、この自転車と同じ。
あなたの世界と視野をかなり効率良く
拡げてくれる便利な道具。
試験で良い点を取るのが目的じゃない。
身に付けてこそ、
使いこなせてこそ、
意味がある。
ちなみに、一度身に付けちゃうと、
暫く使わなくても何となく使えちゃう。
ここもまた、10年振りでも何となく
乗れちゃう自転車と一緒。
英語の場合、
試験で良い点を取る為用の勉強を
するよりは、
身に付ける為の訓練をした方が良い。
そうした方が、
何故か試験の点も上がったりする。
英語を身に付ける為の訓練。
英語を使う時、頭の中から日本語を
なるべく排除するのがポイント。
その為の訓練が音読。
英語のとっかかりは、
勉強するもんじゃない。
訓練するものです。
訓練には音読と書き取り。
誰でも必ず出来る訓練。
是非やってみて下さい。
最後まで読んでいただき、
心より感謝申し上げます。
