野球に特化した話ではないが、物には何でも価値がある。
人それぞれに感じ方の温度差があるから、価値観と言う言葉が
存在する。
全ての人・物に全員が同じ感覚を抱いたら、価値観はいらない。
僕にも当然色々な物に対する価値観ってモンが存在するが、
家族にせよ、車にせよ価値は僕の中にあるものだから他人には
その価値は分らないだろう。
「ねーねー、これってスッゴクいいでしょ~?」って人から言われても
言われた側にその気がなければ、「そーだね」と言ったところで価値は
見出していない。
あくまで、「いいでしょ~?」と言った人間にとって価値あるものであり、
言われた側に価値観はない。
だから、言った側が価値観に疑問視を抱く必要はないし、言われた側も
価値を高める必要もない訳。
ここまでは個々に抱く価値観の話。
これが自意識の中にある価値観ではなく、提供した価値となると話は
若干違ってくるよね。
第三者に対して、「これは価値があるんじゃないかな?」と思って
提供したものを、された側が受け入れ、価値を見出し、時間を経過する
毎に価値観を高めていってる物があるとする。
その物が、とある事象で一瞬にして無価値に成り下がる・・・
これはとても寂しい事だよね。
やってる方は恐らく何とも思ってない。
何故ならば、その物自体に対する【価値】を理解してないから。
でも作り上げた方としては、「そーゆーもんじゃねーんだよなぁー・・・」
って想いがある。
その物自体に対する愛着・思い入れ・存在感etc・・・色んな要素が
含まれた物なんだ。
歴史を刻む事により価値が高まり、崇高な物となり、その価値を感受
する事を目指していく標になる・・・・・はずだった(笑)
まぁあくまでも僕の個人的感覚の見解なので・・・
内容が抽象的で良く分らないかも知れないが、あくまでブログは独り言
って事で、「ふーん、そーなんだ」って読んでくれれば良いです![]()
僕の気持ちの中でただ一言、「何でかなぁ?」ってーのはあるけどね。
ひ