11月30日に父が息をひきとった。
26日に病院で採血をした結果、相当悪かったらしく
夕方に主治医から自宅に直接電話があった。
「カリウムの値が非常に高く、腎不全をおこしているようで、
あと、一週間以内かもしれません・・・。」
と言われた。
11月7日に
「余命1ヶ月」
を宣告されて、今度は1週間・・・。
確かに、父親の様態はみるみる悪くなっていってた。
本当に毎日毎日、
「昨日より悪くなってる」
と思っていたから。
息を引き取る前の晩から、苦しそうに肩で息をするように
なっていた。
訪問医師や看護士さんからは、肩やあごで息をするように
なったら、死は近いです
と言われていたけど、その時は
「少し息苦しいのかな。」
と思っただけだった。
30日の朝7時半頃、母親から
「お父さんが肩で息してるからすぐ来て」
と連絡があった。
行った時はまだ意識もあり、うなずく事は出来た。
ずっと服用していた痛み対策の麻薬オキシコンチンを飲んでいなかったので、
飲んでもらおうと思ったら、飲めなかった。
もう飲み込む力が残っていないみたいだった。
でも、飲まないと痛みがおさまらない。
麻薬の座薬は処方してもらっていなかったので、
急いで病院に電話した。
日曜日だったので、取り合ってもらえず、非麻薬の座薬を入れた。
今まで、痛みに関しては、薬でしのいできたのに、
どうして今になってこんなこと!!
座薬を二つ入れてしばらくしてから父に
「痛い?」
と聞くと首を横に振った。
良かった、とその時はおもったけれど、
今思えば、もうすでに意識は朦朧としていて、痛みは感じなくなっていたのか、
それとも、ワタシたちが父の痛みをなんとかしようと、躍起になっているのを見て、
痛くないと言ってくれたのかもしれない。
父はずっと何か言いたそうだった。
口はずっと開けたまま呼吸をするから、舌の真ん中は茶色くなってしまっていた。
もう、話せなくなってしまっていた。
ペンをちょうだい、とジェスチャーをしたので、あわててペンを紙を
持ってきた。
けど、書けなかった。
父は何を言いたかったのだろう。
お昼になって、自宅で待っている旦那とのの花に食事を持っていった。
15分くらいしてからだろうか、携帯がなった。
母からだった。
その時点で、嫌な予感はした。
電話を取ると、母親の父を呼ぶ叫び声に似た声がした。
すぐ電話を切り、走った。
先ほどとは確実に顔色が変わっている。
もう、肩で息をしていない。
「お父さん!!!」
何度も呼んだ。
少しピクッと動いたようだった。
目の下もピクピク動いているのを確認した。
良かった、まだ生きている。
先生が来た。
脈を取って、
「だいぶ、脈が不安定で、薄れてきています」
そして、目を確認した。
隣でワタシも見ていたけど、光を当てても父の瞳の黒い部分は
変化しなかった。
「ご臨終です」
と言われた。
思わず
「さっきまで動いていたんですよ!」
と言った。
父はいってしまったのだ。
7月に肝臓の手術をしてから半年、苦しい苦しい半年。
父にとってはどれほど長かっただろう。
毎日、体の痛み、しんどさから逃れる事も出来ず、
日に日に弱っていく体。
どう感じていただろう。
父は、3年前に初期の癌を摘み取ってから、
3ヶ月に一度は検診に行っていた。
父に何の落ち度があったと言うのか?
主治医は父が亡くなった後、
父のようなケースは本当に稀で、滅多に滅多におこらない事らしい、
と教えてくれた。
それから、今後はこのようなことがないよう、努めたい、と
言ってくれた。
父は、苦しんで死んでいった。
最後の2ヶ月はほとんど食べられず、飲めずにガリガリに
痩せてしまった。
背中から肋骨が見える程。
元々ドラえもんみたいな体系だったのに。
癌で死ぬと言う事は、あの苦しみを必ず味わうという事なんだ。
ワタシはきっと癌になる。
それをいかに初期の段階で摘み取るか。
自信はない。
父がいなくなった事、まだ全然実感がない。
お仏壇で父の遺影を見ながら手を合わせていても、
父に手を合わせるなんて、なんか不思議、
って気になる。
でも、夜になるとなんとなく父なのか、誰かいるような気がする。
のの花も異常に怖がっている。
何か感じているんだろう。
父だったら、私達の様子を伺いに来ているんだろう。