『強くなるための悪や毒』
~1895年に出雲神社より龍蛇神を迎えて祀られた、壱岐にある龍蛇神神社です。長年の雨、風、太陽の日差しにも負けず、海沿いにそびえ立った鳥居に目を奪われました。自然のパワーと勇気を与えてくれた力強い神社でした。~
天高く聳えようとする樹木。そうゆう木々が成長するために、ひどい嵐や荒れる天候なしにすますことができるだろうか。
稲が実るために、豪雨や強い日差しや台風や稲妻はまったく必要ないのだろうか。
人生の中でのさまざまな悪と毒。それらはないほうがましで、ないほうが人は健全に強く育つのだろうか。
増悪、嫉妬、我執、不信、冷淡、貪欲、暴力。あるいは、あらゆる意味での不利な条件、多くの障碍。これらはたいていうとましく、悩みの為になるものだが、まったくないほうが人は強い人間になれるのだろうか。
いや、それら悪や毒こそが、人を克服する機会と力を与え、人がこの世を生きていくために強くしてくれるものなのだ。
超訳 ニーチェの言葉
フリードリヒ・ニーチェ 著
白取晴彦 訳
なんでこんな辛いことが起こっているんだろう。何か私は悪いことをしたのだろうか。
私も、あらゆる意味での不利な条件の中で生活していました。
逃げるように実家から離れても、心の中の呪縛から解放されず、自立できなければ実家に戻らないといけないと思う恐怖が常にあり、その為に自分の気持ちを犠牲にしてでも稼ぐこと、働くことに執着していました。
大切だと思っていた人からの裏切りや、奴隷のように人を扱う冷淡な職場など…
「あらゆる意味での不利な条件」を書くと、きりがありません。
そんな中で生きてきたから、悩みの種になるものが、まったくないほうが人は前向きに、やりたい事もでき、健全な強い人間になれると思っていました。
改めて「悪や毒」に向き合うことにより、あの時、何が嫌だったのか、何が辛かったのか、どうして欲しかったのか、どうしてそのように考えたのかと自問することにより、良い経験として捉えられるようになってきていると感じています。
今また同じ経験をすると思うと、もうしたくない!と思うと同時に「今までよく頑張ってきたね、辛かったね、ありがとう。」と労いの言葉が浮かんできます。
同じような経験はしたくないと言いましたが、実際同じような状況が再び起こった時には、すんなり対応できる自分がいました。
「悪や毒」に向き合ったことが良かったのだと思います。
人は皆、人生で「悪や毒」を経験することがあるのではないかと思います。
「悪や毒」は嫌なものですが、自分の成長の為に起こっている出来事ではないかと、今だからこそ思えます。


