『「~のために」行うことをやめる』
”どれほど良いことに見えても、「~のために」行うことは卑しく貪欲なことだ。
誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思えるときには相手、もしくは、事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。
つまる、本当は自分のためにだけ行っているのだ。
けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、「~のために」という言葉も考えもでてくることはない。”
超訳 ニーチェの言葉
フリードリヒ・ニーチェ 著
白取晴彦 訳
家族のために、友達のために、会社のために、同僚のために、付き合っている人のために、お金のために、生活のために、一人でいきていくために…「~のために」とやってきた事は振り返るとたくさんあります。
その中に「課題の分離」が出来ていなかったものも多かった。だからこそ、悩みに振り回されていた状態だったと感じます。
「課題の分離」とは心理学者のアドラーから学んだことですが、その課題は誰の課題であるか、その課題は誰が最終的に引き受けるのかということでした。その「課題の分離」がなぜ出来ていなかったかというと、今のありのままの自分を受け入れておらず、私自身に劣等感があったから、その為、他人の評価を気にしすぎていたのだと感じます。
自分の課題であれば今の自分を受け止め、自分軸で自分なりにやれることをやっていく。他人からの承認欲求を完全になくすことはできませんが、自分が良いと思うことをやっていけばいいということ、自分以外の人(他人)が評価することは、自分以外の人(他人)の課題だと思うようにしています。また自分以外の人(他人)の課題であれば、横から見守る、いつでもサポートや手助けができる状態でいるように心がけています。
そうすることによりビックリするほど悩みが減り、ストレスをあまり感じなくなりました。今までの悩みは何だったんだろうと自分自身で驚いています。私の課題でないことに悩んでいたり、私の課題でないことがうまくいかずストレスを感じ、悩みを増やしていたんだんだと実感しています。
悩みに押しつぶされそうになった時、これは誰の課題だろう?と考えてみるのも良いかと思います。





