社会派ノンフィクション『殺された側の論理—犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」—』(講談社発行) | 鰻に魅せられて

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※長文

 

ここ連日報道されている『新潟女児殺害』のニュース。

 

この世の中、酷くて、やるせなくて、信じられない事件が忘れたころに起きる。件のニュースも然り。一日も早い、犯人逮捕を願うばかりだが、はっきりしているのは女の子がもう戻ってくることはないということだ。

 

以前も、アップした社会派ノンフィクション『殺された側の論理—犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」—』(講談社発行)を思い出す。

 

過去、いたたまれない事件として、多くの人の記憶に残る“山口県光市母子殺害犯人”。

 

<2012年2月20日、山口県光市母子殺害犯人、死刑確定へー>

 

当時のこの事件は、その残虐性と悲惨さから、多くのメディアがセンセーショナルに伝え、死刑確定のニュースも大きく取り上げていた。

 

本書は、犯罪被害者遺族を取材し続ける著者の社会派ノンフィクションで、100数十ページにわたり、『山口県光市母子殺害事件〜遺された本村洋さんの孤高の闘い〜』を掲載。本村さんの話を元に再構成、日記スタイルで当人の思いが綴られていた。

 

読みながら、

”加害者のみが手厚く保護される”

現状(これでも幾分か、良くなっているというが・・・)を嫌と言うほど思い知らされた。

 

その裏では犯罪被害者遺族ら、当の本人達にしか分からない苦しい思いが、ないがしろにされている現実を目の当たりにし、そして犯罪被害者遺族の思いを考えると胸が張り裂けそうだった。

 

本村さんは当時、死刑判決後のマスコミのインタビューにこう答えている。

 

「うれしさとか喜びとかない。事件からずっと死刑を科すことを考え、悩んだ13年間だった」、そして「犯罪が起こった時点で皆、敗者です」

 

とても重い言葉だ。

 

当時の判決は、本村さんにとってせめてもの救いになったのだろうか。いや、本書にもある様に、犯罪被害者遺族の“苦悩”はこの先も尽きないのかもしれない。

 

冒頭の『新潟女児殺害』の話に戻るが、本書にもあるように一瞬にして“犯罪被害者遺族”となってしまった遺族の方々の思いは計り知れない。“犯罪が起こった時点で、敗者です”・・・、決してそうであってほしくないが、それがこの世の中の現実として突如降りかかる。

 

せめて、一刻も早い犯人逮捕を祈るばかりである。