非常に恐ろしいのが津波である。
 これほどまでだとは・・・

 
 津波は、津の波で、津は港のことである。
 波打ち際の波ではなく、津を襲う波ということだろうか。

 普通の波は回転運動が主であり、海水が動くのではなく、海水がその場で回転しているのだ。
 大きくなっても、回転半径が大きくなるだけで、最後に打ち寄せる量が変わるだけで想定外のところまで押し寄せることは絶対にない。

 
 海水は重力で地球にくっついているが、太陽や月の引力の影響も受ける。
 同じ方向に太陽と月があれば最も引き寄せられる。(丁度反対側にあっても影響が大きい)
 大潮である。
 海の高さ自体が高くなるので、同じ波でも到達点が異なるのは当然だろう。

 その大潮に大きな波(台風など)が重なると高潮となる。(大潮自体でも高潮となる)
 これは普段の波の位置よりずっと高くまで押し寄せることになる。

 ポロロッカという現象は有名だ。
 ブラジルのアマゾン川を上流に向かう波で、その波高は5メートルを超えることもあるという。
 ポロロッカとはトゥピー語で「大騒音」という意味らしい。

 
 津波は、これらとは違い、地震由来の高潮である。

 地震により、海底面が上昇あるいは下降する。
 海水は平らになろうとするため、移動が起き、その結果が波として伝わるのだ。

 ゆらぐ波ではなく、移動する波である。

 津波は海が溢れたと考えると分かりやすい。

 
 移動する海水は海底の影響も受ける。
 深い海ではそれほどの影響はないが、浅くなるほど波高は高くなる。
 
 普通の波なら防波堤を越えても、その波頭だけが入ってくることになるが、津波が突破すると超えた分全ての海水が入ってきてしまう。

 それは流れであり、川と同じように流れ、陸地を遡る。

 
 同じ量が流れるときに、広いところと狭いところでも違いが出る。
 リアス式海岸など、海岸が浅く狭まっているところでは波のパワーが増幅されるのだ。
 地震と津波とリアス式海岸という不幸が重ねられるだけ重なり悲惨な結果となってしまった。

 
 川の水が溢れることもある。
 洪水だ。
 同じ水だが、流量が違う。
 エネルギーが格段に違うのである。
 
 このため、いとも簡単に物が流される。
 30センチほどの津波でも立っていられないそうである。(過去の津波経験者の話)

 物凄いパワーで押し寄せるのも恐怖だが、それだけではない。
 海だから、押し寄せた波は引くのだ。

 つまりは押し流したかと思ったら、それを海に持って行ってしまう。
 条件によるし、全てではないが、ひどいとまったく何も無くなってしまうのである。

 
 東日本を襲った大地震も未曽有のものだが、津波はそれを上回る恐怖を与えた。
 重要なのは今後の地震対策、津波対策だろう。

 これほどのものが今後ないことを祈りたいが。

 
 地震を逃れられたはずの人々が津波の犠牲になっただろう。
 それを考えるだけで涙が出る。
 地震だけなら数千人(もしかしたら数百人)の犠牲者だったかもしれないのに、津波のために数万人規模にまでなってしまったのだ。

 職場や学校ごと波に飲まれた人も多いようである。
 命を差別をする訳ではないが、子供が犠牲になるのは本当に悲しい。
 避難生活を送る子供も可哀そうでならない。
 しかも、今後の放射能汚染を考えると、一番影響を受けるのはやはり子供なのである。

 
 想定外の地震、想定外の津波だった。
 大きな津波を想定した防波堤をも乗り越えるほどの津波に襲われてはどうしようもない。

 相手は天災であり、まさかのマグニチュード9という災難である。
 仕方ないと諦めるしかないのだが・・・

 福島第一原発の補助発電機の燃料タンクをどう考えるか、だ。
 地上にタンクを置いただけなのだ。
 津波対策とは思えない。

 津波が襲うことを想定していないのである。
 これは津波を想定して対策したのとは根本が違う。
 津波は来ないという想定をして、津波が来たというのは想定外とは言わない。
 単に想定していなかっただけである。

 どうも人災に思えてしまう。
 仕方ないと諦められるものではないだろう。