しっとりとした空気も

雨にぬれて、しっとりとした緑も

好き

 

雨音をただ聞いているのも

雨宿りをしている鳥たちの小さなおしゃべりも

好き

 

それは、ずっと以前から。

 

この季節に雨の音を聞きながら

窓の緑を時々見ながら、

 

のんびり読書をしているのは、

とても好きな時間だった。

 

今日もそんな日曜日。

 

だけど、ふと思った。

さらに雨が好きな理由。

 

雨でも、さらに堂々と引きこもれる!

 

仕事をしていた時には、

土砂降りだろうと台風だろうと

雨の中でかけなければならないことだって、

もちろんあった。

 

そういう中でも、雨の静かな時間を過ごすのが

好きだったのだけど、

 

今は、その日の気分で行動が自由。

 

雨でも出かけたければ出かければいい。

 

だけど、こんなに落ち着いて過ごせる

何もしない方便を自分に与えられる雨の一日を

とてもありがたく思う。

 

人との約束がなくて

スケジュールが空いていると

寂しい人もいる。

 

でも、私は、反対!

 

下手な約束を入れて、

その瞬間の心に従う自由を無くすのは、

残念。

 

そのくらい自由になれすぎてしまった。

 

もちろん、大好きな人にあったり、

面白い企画があって、雨の日に出かけるのは、

全然苦じゃない。

 

好きな傘やレインシューズがあれば、

雨の日だって、何もなくても出かけたくなることもある。

 

それが、私の「自由」だってことが

この上なく幸せなことだと実感していた。

 

障害によっては、小さな雨でも本当に大変なこともある。

雨の中で立ち尽くし、泣きそうになったことだってある。

 

そういえば、こんなこともあった。

 

昔、台風で大荒れ予報の日

学校が休校になり、生徒たちには連絡網で

休校のお知らせがあったのに

 

私には連絡がなかったので、

予約も入っていたので、激しい風雨の中、

頑張って学校までたどり着いたら、

 

「こんな天気なのに来たの?学校は休校だよ。

生徒は誰もいないよ」

って管理職に言われた。。。

 

連絡なければ、頑張って行くよね?!

私の相手は学校に来ている生徒だけじゃないし、

先生や保護者の予約だってありますよ?!

 

逆に、「今日は雨がひどいので休みます」

って学校の判断もないのに、先に言ったら

気ままで気楽な、カウンセラーって言われるだろうし

 

病院や学校の非常事態に、危機介入の担当なのに

行けませんって言ったら、「なんのためにいるの?」

って言われるよね。。。

 

この微妙な葛藤を抱えながら、行くか行かないか

判断に葛藤しながら、仕事に行くこともあった。

 

ちなみに、この台風警報の日は結局、台風にはならず、

午後には落ち着き、学校は休校だったので、

 

生徒は誰もいなかったけど、予約の保護者は来たし

普段来れない生徒も会いに来れたので、

行った面目は保たれたのだけど、、、

 

心理的な危機に関しても

相手の危機感と、こちらの専門的な観点からの危機感に

温度差があることもあるし、天気ひとつでも

仕事がない状態でいることに葛藤があったから

 

今、暴風雨の時に、気兼ねなく

判断に迷うことなく静かに過ごせるのがいいニコニコ

 

ふと、そう思った、雨の一日。

しかも日曜日

 

入所施設で介護の重要なコマであった時には、

雨でも雪でも暴風雨でも、災害でも

利用者の生活に支障がでる貴重な人コマだったから、

 

今も、そういう状況で働いている人たちがいることにも

思いを馳せるけど、、、

 

今は、気兼ねなく、お天道様と相談しながら、

行動できる自由がある。そのことが

本当に幸せなことだな〜と感じる一日です。

 

昨日、ブログでムクドリの声の騒がしさを書いていた途中から、

パタリと声がやんで、今日も夕暮れになったのに声がしないのは、

雨だからなのかな〜。静かな優しい小さな小鳥の声だけしています。

 

あ、書いているうちに、ムクドリ鳴き出しました!

そして、必死に缶を叩いて、音を出してムクドリに刺激を与える人も。

しかし、この程度の刺激では、ムクドリには全く影響ないようです。

 

これ、大群で動くムクドリが、コミュニケーションしているんだそう。

数も数だし、確かにうるさいねえ。。。

 

今日は、盲目の三宮麻由子さんの

「希望という贈り物〜心に花を咲かせるために〜」

というエッセイを読んでいました。

 

ちょっと、音楽を止めて、周りの音に敏感な

読書タイムを過ごしました。

 

アマゾンピックにこの本はなかったので、

三宮麻由子さんの最初のエッセイを貼り付けておきましたおねがい

 

大学生の時、校内でよくお見かけしました。

点訳者や朗読ボランティア募集していたのに、

その時は遠くのことでした。

 

まさか後の人生で、こんなに盲者やろう者

そして盲ろうという重複障害の感性に触れることになるとは

当時は思いもしませんでした。

 

三宮さんの音や周りの世界に対する感性は

とても豊かで素晴らしい。

 

それはそれとして

 

やっぱり、なんだかんだ言って、

見えて聞こえて、行動が自由なことは

本当に便利

 

いろんな大変さを抱えながらも

しなやかに豊かに生きている方との出会いが、

私の幸せのハードルをめちゃくちゃ低くさせてくれていると思います。

 

世の中、本当にいろんな大変さの中にいる人もいるけれど、

その出口もあって、でもその出口を信じて一歩を進める勇気もいるんだと思う。

 

そして、それを本人の勇気だけに求めるのではなく、

出口を一緒に探してくれる人や、一緒に歩んでくれる人

出口から光をさしてくれる人も必要なんだと思う。

 

麻由子さんは、一つの出口に到達して、

光を差し込んでくれている人だと思う。