精神科に通い始めて気がついたら32年も経っていた 。
きっかけは多分…高校を1年で中退した3年後、19歳の時、久しぶりに仲の良かったクラスメイトから電話があった、元気だった?久々にみんなで会おう!そう言われて会いに行った、ワクワクして会いに行った。
特に仲良かった子4人と会った、話が弾むかと思ったらそうではなかった、他の4人はちゃんと卒業していて、修学旅行などの話で盛り上がってる、私は話に着いていけない、ぽつんと1人浮いていた。
そもそもなぜ呼ばれたか分からない、凄い寂しかった。
帰り車で家まで送ってくれることになった、みんなで1人の運転する車で、その途中、お腹空いたねって、ファミレスへ寄った、ハンバーグを食べた、食べ始めてすぐ、なぜか、なぜか本当に急に思った。
気持ち悪くなったらどうしよう…私は小さい頃から嘔吐恐怖症で、吐くのが怖い、でもこんなことは初めてだった、突然、吐くことが怖くて食べ物が飲み込めなくなった、吐きそうなわけでもなんでもないのに、怖くて飲み込めない、1度口に入れてしまった食べ物を出しにトイレへ行った。
友達はみんな、どうしたの?でもその顔は心配してる顔じゃない、馬鹿にして、少し笑いながら、
私は多分、呼ばれたのは、会いたかったからではなく、今頃どうなってるか、興味本意で呼ばれただけだと悟った、今でもトラウマになってるくらい悲しい出来事だった。
それからしばらくは何でも無かった、でも、その1ヶ月後くらいに、当時付き合っていた彼氏の家でクリスマスケーキを食べた時、そのケーキが私に合わなかったのか、傷んでいたのか、気持ち悪るくなってしまった、吐くのが怖い私、吐き気止めを飲んでなんとかしのいだその日から、その日から1週間、水も飲めない日が続いた、もう空腹でフラフラ、でも食べ物を飲み込めない、吐くのが怖い、ついに普通に歩くことも困難になり、母親に連れられて夜間病院の救急外来へ行った、すぐに入院した。
次の日、胃カメラをすることに、しかし私は拒絶した、吐くのが怖いのに胃カメラなんてありえなかった、すると先生が激怒!すぐ退院させられた、それから違う病院へ行き、そこで地元の大学病院の精神科へ行くようにと、紹介状をわたされた、今でこそ、メンヘラだかなんだか知らないけど、精神科通いの人が生きやすい時代になったけど、その頃は世間の偏見の目は半端では無かったた、もうただの精神異常者、私は何日かは病院へ行かなかった、精神科なんて行きたくなかった。
しかし食べれないと死んでしまう、その頃、症状は悪化し、人が怖いという症状まで出てきた。
人が怖い、電話を取ることも怖い、そんな中、電車で病院へ向かった、母と二人、耳を抑え、目をつむり、恐怖に怯えながら、電車で30分かけて病院へ行った。
精神科の待合室、待ってる間、母は、大きなマスクをして、隣の違う病棟の前のイスに座っていた、精神科の病棟にいるのを見られたくないのだ、その姿は今でもはっきり目に焼き付いている、凄く、悲しかった。
優しい先生だった、私の説明を聞いて先生はこう言った、大丈夫ですよ、不安神経症です、必ず治りますよ、ようは軽いノイローゼ、入院しましょう、大丈夫、治りますよ、
私は本当にホッとした、治るんだ、そう思ったら本当に嬉しかった、そうしてすぐ入院することになった、入院したその日はショックだった、でもすぐに同じ病室の人と仲良くなった、一見普通に見える人ばかりだった、てんかんで入院してる20歳の子、夜全然寝れない50歳のおばさん、菓子パンを隠れて食べる過食症の17歳の子、
私はしばらくは点滴で寝ている毎日、最後は針が入る所がなくなり足の甲にも点滴の針を打った。
死への恐怖でいっぱいだった、死ぬことが怖かった、朝は角食パンを少し、ジャムを付けて、少しづつ、食べれるようになって行った、体育館なんかもあって、なぜかそこにカラオケの機材もあったりして、革製品を使って財布を作ったりもした、お楽しみ会なんかもあって、箱庭療法などの治療をしたりして、少しづつ、回復して行った。
病院の中で私は成人式を迎えた、泣きながらベッドの上、なぜ私だけ、なぜ…
生まれて初めて死にたいと思った。
ちなみにこの間いっさい彼氏とは音信不通だった
数ヶ月間の入院生活の間、私の家族がお見舞いにくることは1度も無かった。
1度だけ私から家に電話をした事があった、その頃ポメラニアンのランと言う犬を飼っていて、ランの声が聞きたかった、しかし電話で母にこう言われた、おまえが食えなくてもこっちは食えるんだ!飯時に電話してくるな!
悲しくて、悲しくて、パジャマ姿で1人廊下の公衆電話の前で泣いた。
続きはまた投稿します。