こんにちはニコニコ

 

『嫌われる勇気』という本は、

 

第一夜~第5夜という表記で全5章から構成されています。

 

今日は、

 

「第一夜 トラウマを否定せよ」より抜粋してお話します。

 

 

■「トラウマは、存在しない」

 

作品内では、青年の友人が引きこもりになっていることを例にあげて

 

引きこもりになる何かしらの〈原因〉があって、〈結果〉引きこもりになっていると説明しています。

 

自分の経験によるショック(トラウマ)=過去や原因があって、現在(結果)があると主張するも、

 

対話している哲学者は、

 

アドラー心理学ではトラウマの存在を否定しているといいます。

 

引きこもっている青年の友人は、

 

目的(例えば、親の関心を自分に向けたいとか)があって、引きこもることを自分で選んでいる。

 

彼が幸せであるかは別として、

 

自らすすんで引きこもっているというのです。
 

??

 

「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」
 

私の解釈では、

過去は今の自分には関係がないので、トラウマなんてものはありませんよ~

原因があって結果があるのではなく、目的があって今の自分でいることを自分が選んでるんだよ~

 

というように捉えています。

 

 

自分自身におきかえると、

 

仕事(家事、育児)をしたくないから、

 

うつであることを自分で選んでいるということなのか。。

 

ということは、仕事(家事、育児)を手放せば、

 

状況は変わり、うつも治るのか??
 

 

 

■「人は怒りを捏造する」

 

作品内では、ウェイターにコーヒーをかけられた青年が、

 

カッとなりウェイターに怒鳴りつけてしまったことを、

 

青年は、原因(ウェイターがコーヒーをかけた)があったから、

 

結果(青年が怒鳴った)があると言っています。

 

それを、対話している哲学者が

 

目的(怒鳴る)ために、怒りという感情をうみだしたとしています。

 

??

 

もっと詳しくいうと、ウェイターを服従させようとしたのが目的で、

 

端的な方法として怒鳴ることを選んだというのです。

 

確かに、冷静になれば怒鳴らなくてもウェイターは謝罪したであろうし

 

上着のクリーニング代を払ってくれたかもしれない。

 

青年は穏やかに話すことを選べたにも関わらず

 

怒鳴ることを選んだ。

 

原因があるから結果があるのではなく、

 

目的があって、その方法を選んだというのです。

 

 

 

自分自身の話に置き換えると、

 

子どもが成長するにつれ、

 

子どもの粗相に対してのイライラに耐えられず

 

ついつい子どもに怒鳴りつけてしまうことがあり

 

その都度、嫌な気持ちになっていました。

 

(自分が怒鳴れることに初めて気が付きました。

 子どもの頃の記憶はありませんが、

 少なくとも大人になってから怒鳴ったことはありません。

 怒るということ自体もなかったと思います)

 

この怒りの感情をどうコントロールしたらよいのか

 

叱らない子育てなる本を読んだこんともあります。

 

アンガーマネージメントなんて本も読みました。

 

5秒、深呼吸したらよいと書いてあるものもありました。

 

どれも全く効果はありませんでした。

 

『嫌われる勇気』を読んで、

 

子どもに怒鳴ってしまうのは、

 

話して言いきかせる等いろいろな過程をすっ飛ばして、

 

ただ言うことをきかない(自分の思い通りにならない)


子どもを自分に服従させたかったからだったのか!!

 

 

確かになるほどと思いました。

 

それでも最終的には怒鳴ってしまうことはあるのですが、

 

自分がどうしたら怒鳴らずにすんだのか

(何を子どもに話せばよかったのか)

 

振り返るようになりました。
 

いつの日か、

 

怒鳴らない日が来ることを願って

 

今日も自分の感情に向き合っています。

 

 

■「あなたの不幸は、あなた自身が 選んだ もの」

■「人は常に 変わらない という選択をしている」

 

私だって幸せになりたい~~えーん

 

どうやったら幸せになれるの??

 

そう思いながら、読み進めていくのでした。