こんにちは。
ファミサポ活動中の姿を、ご近所さんに
目撃されましたびっくり
「赤ちゃん抱っこしてたね。頑張ってるね」
と声を掛けてくれました。ファミサポを
始めることは広くお知らせしていたので
「3人目」と勘違いされることはありま
せんでしたよおいで


さてさて、今回は私の気持ちについて
振り返ってみようと思います。

私は、何でもかんでも手出し口出しする
タイプではありませんでした。というか
無いと思っていました。
(あくまでも自分ではそう思っているというだけですおいで)


先日の投稿で「見守る」と書き、その後
も見守って(放ったらかして)いますアセアセ
これが正解かどうかは分かりませんが、
今のところ何も起こっていません。
この「見守る」ことひとつが不安で
いっぱいになります。不安がどこから
来るのかな?と考えてみることに
しました。

私は誰かに「○○だったんだよ」と何か
愚痴なようなものを聞かされると、

「何かしなくちゃ!」

と考えるタイプのようです。
元々の気質でもあると思いますが、
強くそう思うようになったのは、長男の
登校渋りの時のこんな叫びがきっかけ
だったのでは?と思っています。

えーん「だいじょうぶだいじょうぶっていつもみんな言うけど、おれはぜんぜんだいじょうぶじゃないんだよーーーーー!」

そんな風に言ったことがあります。
チックがピークで1番酷かった頃の
出来事でした。

ショボーン「なんてこと。私は息子の苦しみを全く理解しようとしなかった。根拠のない自信をつけようと掛けた能天気な言葉が逆に息子を苦しめていた。こんなにも苦しむまで手助けが出来なかっただなんて、無力すぎる」

と感じました。それまでに学校での
色々な出来事を話してくれていましたが、
話を聞いてあげるだけでいいと思い、
聞くだけ聞いて見守っていた日々が
音を立てて崩れた瞬間でした。

その日以来、長男から聞かされる
「些細な」出来事の報告であっても

キョロキョロ「これはSOSなのでは?何か出来ることは無いか?」

と、いてもたってもいられなくなります。
中には「お母さん、なんとかしてよ」も
あると思いますが、きっと単なる愚痴で
あることもありえます。難しいアセアセ

今では
キョロキョロ「何か出来ることある?」
うーん「うーん」
キョロキョロ「先生に聞いたら?」
うーん「俺には無理だからお母さんが聞いてよ」
というような意思確認をしてから行動
するようにしています。

話は違いますが、先日、次男の懇談会が
あり、下校時間に不在なため、登校前の
次男に「鍵を持っていくように」と伝え
ました。でも、道すがら会ったママ友は
「伝え忘れたのよね。帰ってきてるかな。
体育館で待ってるかな?まぁなんとかなるよ」
と話してくれました。

その時に

キョロキョロ「こういう私の前もってお膳立てしすぎるところが、子どもたちがその場で臨機応変に対応する力を奪っていったのかな?」

と感じました。んーーーーアセアセ
考えすぎ?それともやり過ぎ?
次男でもやり過ぎて、また同じ様に
苦しめることになるのでは?という
不安に襲われます。

話は戻り長男はというと、小5の
心理検査(ストレス耐性)
【自分では問題を解決できないと思っている】
と出ました。それが、度重なる学校
での経験からなのか、私がお膳立て
したり、何かあったときに最終的に
手を出し解決してきたからなのかは
分かりません。
(実際にそういう出来事が多かった自覚はありません。むしろ「これやって」と言われた時に自分でやり遂げられられるよう工夫したと思います。でも、その工夫として私が関わったことで「自分の手柄」では一切無くなってしまっていたのかもしれませんね)

まだ私は「自分が息子を正しく導け
無かったのでは」という呪縛から
抜け出せないでいるようです。根深いアセアセ
それが、私自身の「無意識のお膳立て」
が原因なのであれば、私が子どもたちと
の関わり方を変える必要がありますし、
「お膳立て」が適切であったなら、少し
でも他人の手が入ると「一切の手柄無し」
と捉える長男の認知能力の問題なのか、
あるいは両方が複雑に絡み合っている
のか。

次の児童精神科の日まで思い悩むよう
だったら、ドクターに聞いてもらおうと
思います。トラウマなのかな?

本日もお読み下さりありがとうございましたニコニコ