普段、何気なく口にする言葉の中にも、たびたび違和感をおぼえることがあるものです。


例えば「認知症」という病状名について。


これには、おそらく大変多くの方が違和感をおぼえていらっしゃることと思います。


日本国内で以前に使われていた「痴呆症」などの呼び名は、差別、偏見の助長が懸念されることから「認知症」と改められ周知化されていますが、用語としては誤ったものです。


正常な表現であれば、認知症というのは認知が可能な状態を指し、対して物事を認知する機能が不全である患者ならば、不認知症、非認知症、或いは認知機能不全症、認知機能障害などと表すべきと考えられます。


但し、国民全体に広く「認知」させなければならないことから、用語としての誤りには焦点を当てず、あえて端的な表現をとったものと思われます。


また、短くすればよいというものでもなく、「不認知症」を更に略し「不認症」としてしまった場合、「不妊症」との混同をきたし、混乱を招くこととなります。


名称の付け方というのは非常に難しいと感じます。


なお2013年にはDSM-5(米国精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアル)の中でも、認知症はdementiaからmajor neurocognitive disorderに改められています。



かけ離れた話題にはなりますが、ごく身近なところですと、私は「掃除機」に違和感をおぼえたことがあります。


掃除機は、言わずもがな掃除を目的として開発され、たまに、お正月に高齢者が喉に詰まらせた餅を取り除くために家族が使うこともあるそうですが、本来の用途としては主に掃除をするためです。


ですから「掃除機」で間違いないのでしょうが、機能面から名付けるに、粉塵吸引機、吸引機というのが正しいのではないかと私は思ったのです。


しかしながら、吸い込むのは粉塵だけではないことや、吸引機と表記すると医療用吸引器との混同を招いてしまう、などの問題点が生じますね。


そうなってくるとやはり、「掃除機」と呼ぶべきなのでしょう。


本当に、どうでもよいことばかりしか書けなくて申し訳ありません。




さて。


どうでもよいことばかりが気になる私は、スラングの世界にも、たびたび違和感をおぼえます。


代表的なものとして「エモい」が挙げられます。


ご存じのように、emotionの形容詞emotionalから派生したスラングであります。


すでに流行り言葉の域は超えて標準的な言葉になりつつあるため、私も使うことがありますし、私の息子も使うことがあります。


心を揺さぶられるような状態を示す表現は数多くある中でも、emotionalは感覚的でふんわりとしたものでなく、はっきりとした意思表示を伴う感情と言えますね。


19世紀頃まで「感情」に相当する単語はpassionであったようですが、現代では主にemotionが使われております。


ちなみにemotionはラテン語emotusに由来しております。


元来の「外に向かって動かされる」意から、いつの間にか「心が揺り動かされる」という意に変化したようです。


現代ではpassionは主に情熱を意味しますよね。


デカルトの言葉の引用です。


「良心の呵責とは一種の悲しみの情念(passion)であり、自らが行おうとしていること、或いは行ったことが善くないのではないか、という疑念から生ずる悲しみである。」


ご参考までにpassionは、ラテン語passioに由来します。


さらにギリシア語では「パトス」であります。


語源的に申し上げますと、「人や物が被るもの」という意味だそうです。


アリストテレスの『形而上学』に於いては、「白さと黒さ、甘さと辛さ、重さと軽さなど、物事を変化させうる性質。そうした性質が現実化していること。有害な変化や運動、中でも苦痛な損傷。大きな不幸や苦痛。」と定義されております。


アリストテレスらの概念を超絶進化させたデカルトによりますと、passion(情念)とは「精神が身体から被るもの」であり、感情のみならず、知覚や感覚もこれに含まれるそうです。


彼によりますと精神の能動は意志であり、精神の受動は情念ということになります。


いつの間にかemotionalからpassionに話がすり替わってしまいましたがemotionalに戻ります。


it made me emotional.


emotionalである。エモい。だけでは、果たしてそれが正の感情であるか、負の感情であるか、分からないのです。


文章であれば文脈、対面であれば表情などから察することができますので大きな問題点はありませんが、本来のemotionalがはっきりとした感情を表すはずの単語であったことを忘れてしまうほど、ふんわりとしたなにか。を表現する手段になってしまったことに、一抹の違和感をおぼえました。


それだけの話です。


毎度、ろくでもないものを読ませてしまって申し訳ありません。



ろくでもないついでに、EQのお話も少しだけしようと思います。


EQと言いましても、empathy quotient (共感指数)なのか emotional intelligence quotient (心の知能指数)なのか、どっちなんだよ、と思われるでしょうが、ここではemotional intelligence quotientを指します。


AS特性のある者にとりましては、おおよその場合どちらのEQも有意に低いと云われております。


自覚を持って生きているつもりではありますが、自分自身では気が付けないこと、自覚が足りないこともあろうかと思います。


これからもemotion或いはpassionを大切に、まともな人生だったと言えるように、自らを高めていきたいと考えております。





はやく人間になりた〜い。