過去記事を改変しております。

2022年6月16日




ベッドに横たわり、静かに目を閉じる。

かすかな雨音が聴こえてくる。

子供の頃、大雨の日に靴を脱ぎ捨て裸足で歩いたアスファルトの感触を足の裏に思い出す。

辺りに漂う匂い立つ緑の香り、帰宅後に体を拭きながら見た、薄暗い部屋の中で浮かび上がる赤い薔薇の色。

まざまざと心的現象を甦らせる、五感の記憶。



中学生の頃、私には原口さんという友達がいた。

彼女は頭が良く、とても絵が上手で、写実的な絵画を得意としていた。

中でも特に人物画に秀でており、それは思わず息を呑むほどの華やかさと美しさだった。

彼女に外国の女性を描かせたなら、右に出る者はいないだろうとさえ思えた。

原口さんは髪がくせ毛で、もじゃもじゃとしていて、体つきはひょろっと痩せて、そばかすだらけの顔。イメージで言うなら、小説「告白」の小鬼のようだった。

ある日、彼女が画用紙を片手に「雪さん(私のこと)を描いてもいい?」と言ってくれたのだけれども、私は恥ずかしくて「私の絵なんて、だめだめ。」と言って断った。


中学2年生の私の誕生日、原口さんは大きな赤い薔薇の花束を胸に抱えて私の家までやってきた。

原口さんの家から私の家までは、1.5キロほどはあるはずだった。

彼女が持って現れたそれは、和紙のような丈夫な紙でできた立派な花束だった。

絵画だけでなく造形にも優れていた彼女は、驚くほど本物そっくりに作られた何本もの赤い薔薇を私に手渡すと、とても穏やかな、温かな表情をして「お誕生日おめでとうございます。」と言った。

私はなんと答えたらよいか気の利いた言葉も浮かばぬまま、ただ「ありがとう。」とだけ答えた。

そして歩いて帰ってゆく彼女の後ろ姿を見送った。


中学3年生になり、私たちは別のクラスになった。

私は原口さんを尊敬しつつも、思春期特有なのか、もしくは持って生まれたこの性格の悪さなのか、おっとりした原口さんのことを「トロい。」と思っていた。

なんだかあらゆる行動がノロノロしていて、見た目も冴えない感じ。そうやって見下していたのだと思う。

かくいう私自身だって、冴えない風貌だったにも関わらず。

仲良くしようと、様々な話題を持ちかけてくれて、花束まで作り、わざわざ歩いて届けてくれた原口さんから、私は次第に遠ざかっていった。

私の態度が素っ気ないことに気が付き、原口さんも私からだんだんと離れていった。


本当は、トロくて冴えなかったのは、私のほうだった。

それまで原口さんと楽しく会話ができていたのは、原口さんと私の知的レベルが釣り合っていたからではなく、原口さんが頭の悪い私に合わせてくれていたからだった。

私は心のどこかでそれに気が付いていたが、わざと事実が見えないふりをした。


原口さんが作ってくれた赤い薔薇を私はずっと自分の部屋に置いていたが、20歳を過ぎた頃に処分しようとしたことがあった。

祖母はそれを見て、「そのお花、おばあちゃんにちょうだい。」と言った。

私は祖母に花束を譲り、それから赤い薔薇たちは、祖母が死んだあともその部屋の飾り棚の上で咲き続けていたが、家を取り壊すときに家屋とともに消滅していった。

私は家と薔薇が壊されるところは見なかった。

壊れていくところを見なければ、家と薔薇は永遠に私の中にあると思った。




原口さん。もうお会いすることもないと思うけれど、本当に、ありがとうございました。

あなたと、あなたがお作りになった赤い薔薇が鮮やかに咲く姿を、私は今もずっと、憶えています。