チェンソーマンーレゼ篇ーのファイナル舞台挨拶もしっかり行きまして、ライブビューでの舞台挨拶も観させて頂きました。
このように最後まで舞台挨拶がある映画は極めて稀だと思います。
それだけ本作は大きな成功だったのでしょう。
舞台挨拶については純粋に楽しめましたし、声優の皆様にも素晴らしい経験になったようで何よりです。
逆に今迄ずっと観続けたからこそ、終わる事に寂しさを感じたりもしました。
それをこのような形で締め括ることが出来たのは実に幸運だったと思うのです。
改めて、関わった全てのキャストとスタッフの皆様、そして藤本タツキ先生に感謝の言葉を贈りたいと思います。
本当に素晴らしい映画をありがとうございました。

そして、遂にチェンソーマン第二部が完結しました。
その結末は凄いことになっていて、世間も騒然といっています。
私も最終回、いやその一つ前の回を読んだ時に衝撃を受けました。
その時には全く理解出来ない内容だったので、最終回が公開されるまでに様々な可能性を考えました。
そして最終回を読み終わった時も大きな衝撃を受けました。
最初は正直にどう受け止めてよいものかと戸惑ったのは確かです。
それから暫く経った今だからこそ、自分なりに解釈出来るようになったと思います。
それにより、この「 チェンソーマン」という作品がどういうものなのか、理解が深まりました。
そして、先んじて言っておくのですが、私の解釈が正しいとか言いつもりは一切ありません。
その上で私の見解として、本作は本質的にエヴァンゲリオンと同じだと思いました。
エヴァが庵野監督の自分語りであったのと同様に、チェンソーマンも藤本タツキ先生の自分語りの漫画だったのだと思います。
そう思う根拠は一話前のポチタのセリフです。
「 デンジは幸せじゃなかったよね」
この言葉は凄く衝撃的であるのと同様に先生の本音であるとわかりました。
即ち、チェンソーマンは先生を幸せにはしなかったと解釈出来ると思ったのです。
ここまで漫画として成功し、映画も107億というとんでもない結果になっています。
それでも、そういった成功が一個人にとって幸せかどうかはわからないのです。
だから、作品としての解釈をすること自体が無理だし、不要にも思えるのです。
そもそも伏線の回収とか、登場していないキャラクターの生死、それ以前に物語としての整合性、そういったもの全てが藤本先生にとってはどうでも良いのです。

恐らく考えてもいませんし、描く必要性すらないと思っているのでしょう。

それこそ無敵の漫画家と呼んで良いと私は思っています。

だから、それで世間が騒然になっているかなど、全く眼中にないのでしょう。

 

では、本作の目的は何だったのかと言えば、デンジの幸福です。

それは即ち藤本先生自身の幸福と合致するものです。

第二部でチェンソーマン教で描かれたのはファンと称する信者もデンジを幸せにすることは出来ませんでした。

そしてアサと結ばれる直前の高揚も、それを実現していないからこそ幸せに思えるのであって、実現してしまえば「こんなものか」で終わってしまいます。

この実に冷笑的な考え方を受け入れられない人も居るとは思いますが、実の所ここに真理が含まれていると私には思えるのです。

最終回のデンジはチェンソーマンが居なくなったからこそ日常を得るのです。
実は幸福とは、勝利や成功といった非日常にある喜びの中にはないという説もあります。
逆に平穏な日常にこそ幸福はあるのだと言うのです。
それは案外気付きにくいことですが、実際に成功を得た先生の実感だったのではないか。
この漫画が「幸福」という厄介な問いから始まっていて、だからこそ日常に生きるという結末に至ったのではないか。
そんな風にも解釈出来ると思ったのです。

これで完結、というのが大方の見方ではありますが、私は別の意味で続編はあり得ると考えています。
それは「エヴァンゲリオン」と同様に「 シン・チェンソーマン」として始まるかだと思っています。
しかし、それは相当の時間がかかると考えています。
それは庵野監督がテレビシリーズからシンシリーズに取り掛かるまでに時間がかかったのと同じです。
或いはもう戻ってこない可能性もあります。
私個人としては、どちらでも良いとも思っています。
「進撃の巨人」の諫山先生の場合などは完全に出し切ったからこそ、今はもう描くものは無い状態なのではと思うのです。
だから、諫山先生は続編が無くとも納得しているのです。
それに比べて藤本先生はあらゆる問題に対し、まだ答えを出し切っていないように見えます。
なので自身の答えを見付けることが出来たなら、そこから描き始めるような気もしています。
私はそうなるまで待てば良いと思えたから、今はこの結末を受け入れることが出来ました。
そして、何よりもここまで色々と刺激をくれた「チェンソーマン」には凄く感謝しています。
なので、これから始まる「刺客篇」も心底楽しみにしているのです。

海外のアニメというのも多種多様で、表現力の幅広さは日本アニメよりもあると思っています。
そして本作は割と日本アニメ、とりわけジブリと同じテイストを感じました。
とはいえ、リスペクトといった次元ではなく、アニメとしての方向性が似通っている感じがするのです。
それが理由という訳ではないですが、私は本作を凄くすんなりと受け入れることが出来ました。
60年代の神戸のベルギー外交官一家の物語なので、日本が舞台なのも良い点です。
それは純粋に懐かしさを共有出来たからでもあります。
子供時代に見た新鮮な風景は年齢を重ねても原風景になったりするものです。
そして、この作品の特筆すべき点はアメリの持つ表現力です。
彼女の目から見える世界の姿が実に面白く、正に神の視点になっています。
癇癪を起こす子供というのは沢山いますが、その解釈の仕方が実に面白い。
この映画の凄い所はこの発想力にあると思うのです。
そして、彼女が生まれてから三歳くらいまでの間に劇的な成長をします。
その成長のあり方というのが実に見事で新鮮な驚きがありました。
こういう斬新な発想から作られる映画というのは価値が高いと私は思うのです。
商業ベースの映画もそれはそれで好きですが、時に斬新な作品も大事なので、その両方があるのが丁度良いのです。
但し最近の日本の個性的なアニメが惨敗していることからもわかるように、斬新な映画を作る難易度というのは尋常ではない高さにあるのでしょう。
その観点からも、本作から学ぶことは本当に沢山あると思うのです。

そういう意味で本作を観ながら思い出したのが「みらいのミライ」です。
私はこの映画を全く受け入れられず、まるで楽しむことが出来ませんでした。
無論、それが絶対評価ではないのは前提として、どこにその差があったのかを考えました。
先ずは純粋にアメリとくんちゃんの好感度の差があります。
アメリも癇癪を起こしたり、困った行動を取ることもあります。
その点はくんちゃんも同様で、彼の行動に結構うんざりさせられました。
しかし、アメリは神の視点という一つ上の場から世界を見ているのです。
この言葉が実に面白く、それ故に寛容な気持ちにさえなるのです。
もう一つ、極めて大きな要素はニシオさんとおばあちゃんという支柱が居たことです。
おばあちゃんによってアメリは世界の向き合い方を知り、ニシオさんにより自身を知ることになります。
「雨」という単語から、自意識を確立していく辺りも素晴らしいし、なによりチャーミングです。
この二人の存在がアメリにしっかりと道を指示したからこそ、アメリは人になるという成長を遂げます。
振り返り、くんちゃんの周囲に明確に支柱となる人が描かれていません。
それに該当する人は居たのかもしれませんが、印象的なシーンが思い浮かばないのです。
結果的にくんちゃんの成長を感じるには至りませんでした。
その結果が作品の好き嫌いに直結したというのが私の感想になります。

このような傑作アニメを観て思うことは、やはり日本の製作者ももっと勉強しないといけないと思いました。
ここで言う勉強とは、資格試験に合格するといった類のことではありません。
それよりも傑作を観たり、読んだりした上で、それをどう咀嚼し何を得るかが大事です。
昨今は日本のアニメが海外に広まって最高だと考えている人も多いでしょうが、商業性を優先すれば、独創性や哲学性が疎かになることがあります。
そうなれば、今の優勢も一気に陰ってしまうことも考えられます。
だからこそ、本作のような傑作から学ぶべきことは凄く大切なのです。
そういう意味でも本作は多くの観客だけでなく、クリエイターの皆様にも観て貰いたいですね。
 

劇団☆新感線といえば中島かずきさん脚本というのが定番ですが、本作は青木豪さん脚本で、テイストの違いは感じました。
その違いは細かい点なのかもしれませんが、私には大きく影響したという感じです。
一つはギャグシーンでの違いで、ちょっと私のセンスとは合わなかったです。
いくつかのギャグについて、やや強引と感じるものもあったりで、笑えはしましたが抱腹絶倒には至らなかったです。
他の劇の場合は、結構苦しくなるくらいに笑える時があります。
それこそセンスなので、人によってはウケるのでしょう。
ただ、私は若干合わなかったというのが素直な感想です。
とはいえ、全く駄目ということではなく、面白かったのは確かです。
また、結構大声のシーンが多かったという気もします。
テンションが高い時間が長かったので、かなり体力を使ったという感じですね。
そのせいなのか、全体の印象も感情的な内容に思えました。
それは本篇の方向性とも一致しているので、想定通りの演出なのでしょう。
それを理解した上で、私にはやや疲れるレベルではありましたね。

脚本について考えると、結構予想通りという感じでした。
もう最初から悲劇の結末になるのは読めた感はありました。
無論、それで楽しめるものはあるのですが、本作はもう一歩踏み込んで欲しかったというのが本音です。
ただ、具体的にこうしたら良いと思い付く程ではありません。
寧ろ、あるべき結末に至ったのは確かなので、決して悪く無いのです。
しかし、今迄新感染の傑作を観てきたせいもあり、より期待値が上がってしまっているのでしょう。
こういう弊害というものはあるもので、勝手に要求値を高める厄介なファンは居るものです。
なので、私の感想は決して本作の評価に繋がるものではありません。
見所も沢山ありましたし、一気に観られるパワーのある舞台です。
その上で惜しいと感じる部分があったのも確かです。
それは対立構造が不安定という点ですね。
本作の組織としては、侍勢力、鬼勢力、村勢力の三つ巴になっています。
その敵味方の関係が入れ替わったり裏切りがあったりと目まぐるしいのです。
なので、本筋が見えにくいという感じなのです。
主軸に人と鬼の愛があるのですが、そこが薄れてしまったのではという感じがしました。
この辺がもう少し整理されていたら印象も変わったかもしれません。

などなど、いちゃもんのようなことを書きましたが、主演の柚香光さんが素晴らしかったのは確かです。
それこそ本作は彼女のために出来た舞台と言っても良いでしょう。
そういう意味で見せ場は沢山ありましたし、見所は満載でした。
冒頭の人間の姿も魅力的でしたが、やはりラストの鬼の姿は圧巻でした。
そこからの大立ち回りなど、結構クライマックスは盛り上がりましたね。
そして、新感染お馴染みの皆様の演技もいつもながら素晴らしかったです。
その上で本作がいつもと違うと感じたのは古田新太さんが出ていなかったからでもあります。
やはり古田さんが出ると、絶対に物語の中心に寄ってしまいます。
そういったバランスを考えた上での配役でもあるのでしょう。
また、次の世代に託そうという意思もあるのかもしれません。
そういう意味では、今迄とは違うテイストの舞台を作るということも大事なのでしょう。
本作がいつもと違うと感じたのも、そういった背景があったからなのかもしれません。
 

映画の感想の前に、映画を観ている間で一点わからなかったことがありまして、それはヘイルメアリー号の移動についてです。
タウ・セチまでの片道12光年に対し、帰還に4年かかるという描写があったと記憶しています。
質量から100%エネルギー変換出来るので、光速に近い速度が出せるという設定なのも判ります。
しかしアルクビエレドライブやワームホールも関わらないので、12年以上かかるのでは? と思ったのです。
その後、この4年が船内時間だということを知って納得がいきました。
地球では12年の往復、24年以上が経過しているのですね。
このことに直感的に気付かなかったのが、如何にも宇宙らしさでもありますね。

重力についても加速重力と遠心力重力の二通り使い分けているのが良いです。

今迄はどちらもごっちゃになっていましたが、この映画でしっかりと知ることが出来ました。
あと、コールドスリープについては最新の研究でも難しいという結果があり、三人中二人死亡というのはありそうと思えました。
また、爆発事故の人為的ミスはリアリティがあります。
実際、それでスペースシャトルの悲劇も原因は人為ミスでしたから、割と納得出来るのです。
他にも極めてしっかりと考証されているのはわかりましたが、その上で気になる部分があったのも確かです。

先ず、本作の重要な要素である宇宙飛行士について、予備要員が居ないのが不思議です。
とはいえ、ここは話の肝でもあるし、原作では説明があったのかもしれませんね。
それから、ヘイルメアリー号の巨大質量を打ち上げしたのでしょうか?

宇宙で作ってパイロットが乗り込む方がありそうとは思いましたね。

それと宇宙放射線についてはどうだったのでしょう?
作中でも放射能についての言及があったので、何かしら設定されていそうに思うのですが、その辺は原作を読まないと分からないのかもしれません。
それ以外で私の気付かなかった部分で、何かしらの粗はあるかもしれません。
しかし、それ自体は大した問題ではありません。

というのも、本作の本質は別の部分にあり、科学考証自体は物語の背景でしかないからです。

本作の肝は純粋なバディものだということです。
ロッキーという異星人との文化交流がメインです。
お互いの故郷を救いたいという想いを共有し手を取り合う所が見所です。
そして、お互い最後の生き残りという共通点も良い方向に向かっています。
これが複数が入る組織という立場であったら、この成功は無かったのかもしれません。
一対一という状況だからこそ、お互い全く対等の立場で議論の無駄がなく正解に向けて進めたと思えるのです。
そしてお互いの命を救う為に自分の命を投げ出す姿に胸打たれるのです。
実際、作中に何度か涙腺た緩んだ場面がありましたね。
それもロッキーとグレースの二人がしっかりと描かれているのが故でしょう。
ロッキーが無遠慮にヘイルメアリー号に入ってくるのが実に良いのです。
それこそ「 未知との遭遇」や「 ET」のような理想像の宇宙人ではなく、身近な隣人のような距離感が描かれているのが本作の肝です。
これこそ、最も理想的な第三種接近遭遇なのでしょう。
もう一つ主軸にあるのはグレースの存在意義です。
彼はヒーローであることを望みません。
このミッションさえ、自分の意思ではないという所が肝です。
その上で彼は覚悟を決めて使命を完遂します。
そこに本作の大きな意義があるのですが、その解釈は複数あると思います。
一方で人間の可能性の素晴らしさを見せながら、他方で犠牲を強いられる辛さや、強いる側の苦しみがあります。
この複雑に入り混じった感覚こそ、熟考に値すべきことだと思うのです。
それこそ、科学考証も含め観客側で考えることが大切なのでしょう。

同時に本作は現代の問題に対しての祈りも含まれているように感じました。
作中の危機は極めて明確な食糧問題で、それによる文明崩壊は今正に私達が直面している難問に思えるのです。
ヘイルメアリー号の乗組員がアメリカ人、中国人、ロシア人というのは、宇宙開発先進国の国々です。
しかし、実の所宇宙開発は軍事競争の一端でもあります。
そして現実では大国同士の関係はどんどん悪化しています。
だからこそ、このプロジェクトの実現自体、非現実的に見えてしまうのです。
また、異星人との接触から意思疎通をしていく辺りが、正に多民族国家の現実のようにも見えました。
しかし、実際の民族問題は目を塞ぎたくなるような悲惨な状況にあると言ってよいでしょう。
そういう意味でこのミッションが成功する可能性は現実では極めて低いと思えてしまうのです。
だからこそ、映画の中で二人が目的を果たす姿に感動するし、そうあって欲しいと思うのです。
それこそ祈りの起点であり、それなくして現実で夢が実現することはないのでしょう。
 

映画評論家の方々には4DXを嫌う傾向がある気がするし、それで映画を評するのは邪道のような意見も聞いたことがあります。
私はそういった方々の意見は否定する気はないですし、評論する矜持というものもあるのでしょう。
ですが私はそういった評論をするつもりは一切ないので、純粋に自分の感じたことを基準に書いています。
同時に自分の感じたものを他人と共有するつもりも特にありません。
この感想は純粋に自分の感じたものを出力しておきたいという個人的欲求に従ったものです。
そんな訳で私は誰が何と言っても4DXが大好きです。
アクション映画は全部4DXで観たいくらいに思っています。
また遊園地のライド型のアトラクションも大好きで、USJは何度行っても楽しめます。
そんな訳で4DXというだけで観に行ってしまうことがあるし、それで評価の上がった映画もあります。
それが邪道と言えばそうなのでしょうが、純粋に自分の感じたことを否定するのも違うと思うのです。
そんな長い前置きをする必要もないですが、本作も三回目の視聴ですが4DXを存分に味わえて満足しました。

特筆すべきはラストのクスィーVSアリュゼウスですね。
今迄、色々な戦闘シーンを4DXで体感してきましたが、これほど迫力のある戦闘シーンは類を見ないくらいです。
特に浮遊感が物凄く、空中戦のGを擬似的に体感しているように思えました。
実際、戦闘シーンの間、振り落とされないように両脇のジュースフォルダーをしっかり握っていました。
そうしないと、椅子から落とされるのではと思う程でしたね。
また、最初に足を踏ん張っていなかったので両足が上がってしまいました。
私も4DX映画は何度も観てきましたが、それでもちょっと驚くレベルでしたね。
しかも、戦闘シーンがかなり長い上に過去回想も挟まりで、充実感が凄かったです。
もしかしたら歴代ガンダムの中でも屈指の戦闘シーンなのではと感じました。
逆に前作は戦闘シーン自体は凄く少ないので、4DX向きではないかもしれません。
本作も全体から比較すると戦闘シーンはそれ程多くはないのですが、それでも十分に満足出来るものになっていました。
そして、この感覚は他のガンダムでは味わえないもののようにも思えました。
というのも、本作は主観視点で描かれています。
ゲームで言うならFPSという描き方です。
そして、警報システムなどが現代戦の理念と共通しています。
だかたこその緊迫感と臨場感があるのです。
そういう意味でも本作を4DXで観る価値があったと思うのです。

逆に戦闘シーン以外は新たに気付くことはありませんでした。
それは逆に注意力が低下したのかもしれません。
映画というのは、一回目より二回目の方が解像度が上がります。
今回、特に作品に対しての見方について更新がされなかったのは、4DXで興奮していたからかもしれません。
それ故に他への注意力が下がった可能性もあります。
そう考えると純粋に映画評論したい人にとって4DXはノイズになるのかもしれません。
とは言え、私は映画を楽しむことを優先したいので、今後も4DXで色々な映画を観たいと思っています。
逆にIMAXは良さがわからないですね。
勿論、画質が良いのはわかりますが、それで映画体験自体が変わることはないのです。
この辺は個人差が出てしまうものなのかもしれませんね。
評論家の方々はIMAX推しが多い気がしますので、やはり私は評論家にはなれそうにないですね。

 

■今週のコメダ

さつまいもが結構熱いからこそ甘さが際立つ感じでした。

かなりボリュームあって満足感がありました。

あと、チャームがダブりが無かったのは運が良かったですね。

ポケモンはそれ程好きという訳ではないですが、コラボは嬉しいです。


ドラマとしてはサブスクでないと見られないのでしょうが、アニメで一通り見ているので、映画でも全く問題なくついていけました。
一応、最初にあらすじは語られるので、初見でも話に付いて行けるかと思います。
やはり実写版の凄い所はキャスティングが秀逸である点です。
原作も個性の強いキャラが沢山登場しますが、それを実に見事に再現しています。
寧ろやり過ぎ感があるくらいですが、だからこそ生まれる臨場感があります。
逆にリアリティを追求していたら失敗していたことでしょう。
そういう意味で本作の映像化は成功していると想えるのです。
またラッコ鍋から始まるとは思わなかったですが、作中きっての迷シーンをしっかり実写化出来て良かったと思います。
やはりこの要素なくしてゴールデンカムイは語れ無いですね。
また相変わらず食事シーンはどれも美味しそうで、空腹時に観てはいけない映画でした。

本作はかなり恋愛が重点を置かれて描かれて、谷垣とインカラマツとの関係はスパイ戦も加わって面白い展開になっています。
お互い立場が違うが故に隠し事もあり、その言葉を信じるか迷うこともありました。
しかし、谷垣が最後までインカラマツを助けきったのは凄いと思います。
これが現代だったら、直ぐに愛想を尽かしそうな気もしますが、谷垣の揺るぎ無い行動で全て解決してしまう所が感動的でした。
また杉元とアシリパの関係も直接的な表現ではないものの、深い絆が描かれています。
寧ろ、愛というより情の繋がりが深い所が素晴らしいですね。
杉元が凄いのは心底アシリパの幸せの為に全力、というか死力を尽くす所です。
彼は彼自身の為には一切動きません。
金も親友の為に必要としていますし、金よりも大事なのはアシリパです。
また二人の関係がとても仲が良いのも理想的です。
この二人が進む道をしっかり指し示すからこそ本作は迷いがないのでしょう。
アニメも遂にファイナルシーズンに突入し、どういう結末になるのか注目していますが、ハッピーエンド以外は無いと思えますね。

実写映画化の良さという点は画の迫力にあります。
網走監獄という舞台も良かったですし、戦艦の砲撃戦なども迫力でした。
基本はCGなのはわかりますが、そのクオリティは年々上がっています。
それに純粋に役者の存在感は素晴らしいものがあります。
私は特に土方と鶴見の二人がお気に入りで、その活躍に満足しました。
相変わらず舘ひろしさんの演じる土方は最高にかっこいいです。
そんな土方は何と言っても、犬童との一騎打ちが見所でしたね。
二人が新政府と幕臣という因縁があるところも良かったです。
土方が何のために闘っているのかも語るところが熱いです。
また鶴見は狂人であればあるこそ光るキャラですね。
こういうヒール役がいてこそ作品は引き締まるものです。
寧ろ、彼がまともな正義など語れば魅力半減です。
このまま最後まで狂気を振り撒ききって欲しいものです。
他にも語りたいキャラは山のようにいますが、語り尽くせない程に魅力あるキャラが満載です。
それこそ漫画の基本に忠実な一作でもあるのでしょう。
出来ればドラマも見たいところですが、サブスクでないと見られないのは残念ですね。

■今週のコメダ
大ヒット中のぽこあポケモンのシロノワールですが、純粋にブルーベリーソースは美味しかったです。
コラボでなくともレギュラーにして欲しい。
あと、ハートのチップは結構硬かったですね。

チャームは豆菓子風なのに今更ながら気付きました。

結構評価の難しい映画であることを理解した上で、私は結構楽しめましたし、受け入れることが出来ました。
多くの観客が躓くであろう要素に遵法精神があると思っています。
主人公達の行為は迷惑行為であり、許されざる行為だというストッパーがかかるのも判ります。
しかし、私はそういった基準よりも、登場人物の行動に興味が向いたのです。
何故、彼等はこのような行動を取るに至ったのか。
それはわかりにくく、読み解く必要があります。
本作は決して判り易い作りになっていません。
そもそも主人公三人の説明も明確にされていません。
置かれた状況、彼等の思惑など直接的な説明が無いのです。
しかし、それは描かれていないのではなく、読解することで解るようになっているのです。
私は本作で二回ほど気付きを得て深堀りするに至りました。
なので、決して中身の無い作品ではないと確信しています。

一つはカオルとチッチの罪についてです。
終始、彼等の関係はギクシャクし、目指す方向がバラバラになっています。
その理由が明かされるのが終盤のクライマックス前のタイミングなのです。
だから、観ている側としては彼等の行動に常に疑問を抱くことになります。
私はこのタイミングで明かされたことで、そこまで感じていた疑問が一気に解消されました。
それにより、主人公三人に寄り添えるようになったのです。
もう一つは「 水を絶やすな」の意味です。
この言葉は単純に考えれば自然と共にあるという思想に思えます。
しかし、カオルとチッチは見方を変えることでシュハリを完成させたのです。
ここに含まれる示唆は色々と考えられます。
それこそ物の見方の違いでもありますし、自然との向き合い方の違い。
世代による捉え方の違いなどがあるのです。
どの問題も根深く、単純なハッピーエンドでは済まされない様々な要因を内包しています。
だから、この結末にすっきりしないと感じる人も居るとは思いますが、私にはこの結末が最適に思えたのです。

好きなシーンもいくつかあって、特に打ち上げの瞬間、チッチに選択を迫る所です。
この物語は決別が目的になっていて、最後まで未練を断ち切れなかったにがチッチでしょう。
それこそ、ここで終わらせなければ先は無かったに違いありません。
そして、彼等は過去の因縁諸共に決別することが出来たのでしょう。
でも、それで全てが終わったのではなく、新たな次へと繋がることが出来たことこそ意味があったのでしょう。
現実でもコロナや物価高騰で花火大会が中止になったと聞いています。
その裏では多くの関係者が路頭に迷う事もあったのでしょう。
今の世はとかく不安定で、先の見えない時代に思えます。
ラストでカオルは多くのフォロワーを獲得しますが、そこに人気インフルエンサーの良さを感じることはありません。
それよりも、この厳しい時代での最後の縋る世術のようにも見えたのです。
また現代では多くの人がフォロワーを集めるのも、決して高名目的ばかりではないのかもしれないとも思えたのです。


■今週のコメダ


ポケモンコラボということで、注文しましたが要はエビカツパンです。
メインはチャームの方ですね。
因みにモーニングで満腹になり食べきれなかったのでテイクアウトしました。
それで昼に残りを食べて、現在19時で全く空腹感がありません。

相変らず量がバグってますね。

ダンジョン飯と肉のはせ川&鉄板牧場のコラボに行って参りました。

先週行ったのですがグッズが完売していて、再入荷日に再度行ってきまました。

ダンジョン飯のコラボはとにかくどれだけ美味しいかが重要。

その点で言えば「ドカ食い大好き!もちづきさん」も同じですね。

 

店内ディスプレイは正直申し訳程度。

普通のお店でのコラボならこんなところでしょう。

 

バジリスクのももステーキとグリフィンのスープ。

もも肉丸ごとは食べ応えあって満足しました。

グリフィンスープは以前も別のコラボで飲みましたが、その時は中華風でした。

今回はしっかりと洋風で、よりイメージに近かったかもしれません。

 

コカトリスの親子ハンバーグとドライアドチーズかけ蕾ソテー

チーズが結構な量でこぼれそうになっていました。

ライスがおかわり自由でかなり満腹になりました。

 

今回入手したコースターやらグッズやら諸々。

とりあえず全員が揃って良かった。

若干ライオスが少ない気もしますがw

池袋で「超かぐや姫」を観た後にどこかで食事しようかと探していたら偶然見付けた着せ恋のコラボカフェで、当日入場出来たので入ってきました。

 

アニメの二期も終わりましたし、三期も待ち遠しいところです。

そして、池袋もコスプレのメッカになった感がありますね。

 

お腹が空いていたので、五条君のぶり大根を注文。

しっかりと量もあって空腹も満たせました。

 

ドリンクは海夢のイチゴミルクに、デザートは麗様イチゴパフェ。

季節的にイチゴが多目で、ボリュームもあって満腹になりました。

 

ちびキャラも色々デザインされていて華やかでした。

席はほぼ満席で、写真取れない箇所もありましたね。

 

おみやげはアクスタ二種ですが、デザインが良いですね。

着せ恋は初めてのアクスタだったのでラッキーでした。

 

学生時代の友人と飲み会のついでにトキワ壮ミュージアムに行ってきました。

地元であるのに、今迄一度も行ったこと無かった場所です。

そんな東京の名所や聖地は数えきれない程あるのでしょうね。

 


復元されたトキワ荘のミュージアムは正に昭和の世界です。
昭和レトロというのも味わい深くで良いものです。


名だたる漫画の神様たちが集った正に聖地と呼ぶべき場所ですね。

そしてもしもボックスではなく、当時の公衆電話だそうです。

 


正にドラマの中で見た作業場所が再現されていました。

今や漫画もデジタルで筆もインクも不要なのも時代ですね。

 


ちょうど「いのまたむつみ展」があり、作品が展示されていました。
やはり一気に時代が進んだ感があります。

 


小池さんで有名なラーメン屋、松葉さんでお昼をとりました。

昔ながらの味で懐かしさを感じながらいただきました。


周囲にはトキワ荘関連の名所が数多くあるので、観光にも良いです。

漫画地蔵のデザインは良く見るとペン先になっているのが秀逸です。

 


椎名町駅ではトキワ荘関連の展示も多く、力の入れ方が凄い。

ある意味、これも町興しの一つなのでしょう。

 

池袋でマンホールカードがあったり、ガンダムにミクさんなど

正に漫画から発展した文化が開花していると言って良いのでしょう。

いのまたむつみ展でここでしか買えないであろうアクスタを購入。

これだけでも十分に来た甲斐があったというものです。