アリアドネの糸まき体操

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建設中のブログです。

あなたとこの迷路の中で、お逢いしてから幾日が過ぎたのでしょうか。

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碧奴―涙の女 (新・世界の神話)/蘇 童
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『碧奴―涙の女―』を読んでいる。つぎのジブリ映画原作はこれに決まりじゃないかと思う。

宮崎駿は、歩き方をひとつとっても、しぐさには感情がこめられていると信じて絵を動かしているはずだ。

しからば。この作品の主人公、碧奴は泣くことを禁止された国の女である。泣くことを禁止されて、女たちはあらゆる方法で涙を隠す。たとえば泣きたくなったときに、その水分を小便に変えるのだ。だから、女たちの表情は泣いていないが心は泣いている。禁止されることで悲しみは、形を変えて表象される。絵もまた、感情の表象の一手法ならば、泣いていないのに泣いているこの『碧奴』の涙人に挑むべきではないかな。


『ありふれた奇跡』もよいよ。山田太一、すんごいです。一見たんたんとしすぎて物語がひび割れているんじゃないかなって思うんですがそれは日常に潜む人間関係のひび割れなんじゃないかなぁって感じる。棘は物語にも、日常にも、言語にも潜んでいる。そして加瀬亮が情けなくて、共感できる。でもカッコいいんだよな。


(前回の記事に引き続いて)クリスマスがやってきてくれました(笑)


『如何なる星の下に』という浅草を舞台にした高見順の小説を昨年の暮に読みました。

私は明治期や大正期、昭和のはじめなどの小説をまったくていいほど読んでいないんですが(汗)

これはすんなり読めたのです。小説の舞台って祭りー祝祭的なものが傍にあると活気が火のこのように燃え移って、物語を引き締める気がします。ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』なんてまさにそうなじゃいでしょうか。その意味で浅草って場所は日本でも特異なところで、一年中お祭りのようなところであります。