終わりが来るということ。
先日親戚がこの世を去っていきました。
どの人にも等しく必ず来るもの。
それは産まれたら死ぬという事。
絶対の無常の中に日々身を置いているにも
関わらず、なぜか「自分は大丈夫」っと
思ってしまう。
今があるという事も
しっかり考えたり感じたりすればするほど、
今に至るまでに数分前の自分があり、
数分後、今に至り、
数分後今に至ったところが過去になる。
現在過去未来の3つがあるという事は、
この魂にもそのように過ぎてきた結果が今である。
未来何があるかわからないからこそ、
今すべきことがきっとある。
先日面白い話を聞いた。
『人間は万物の霊長と言われるが
何故だかわかるか⁇』
小さな犬にすら走ったら負ける。
小さな魚と泳いでも負ける。
小さな鳥のように飛べもしない。
それなのになぜ人間は万物の霊長と呼ばれるのか。
生きているという意味ではそれぞれ同じ命という
大切な物を持っている。
そこに形としての差がある。
これも上記の考え方でいえば因果応報。
結果、今、人間ではないという事。
人間として産まるということは、
他の動物には聴けない
「言葉」
が理解できるという事。
言葉がきちんと理解し
聴くことができるのは人間だけ。
必ず来る終わりの時までに
きっと聴いとかなきゃいけない
大切なことがあるんだなぁ〜〜っと
感じた親戚の最期。
今の心がが念になり
次の瞬間を作る。
葬儀などに行くとほんっとによく思う。
今を生きるってなんだろう?っと。
物質世界の中に居ながら
心を感じるって本当に覚悟がいると思う。
ざっくり自分の気持ちが良いように。って
事では絶対ない気がする。
今を大切にするという事は
これから来るであろう
未来のために何をすべきかきちんと考える事だと思う。
無常
常ならぬ
いつ死ぬのかすらわからないのに
今を物質世界だけに生きるのは
心もとない事だと、
親戚に教えてもらった気がした。