杉咲花さんが主演とのことで、観て見たいと思いました。





 《あらすじ》公式サイトから



「疑いは絶対に晴らすから」 そう言って立ち去った親友は、
一週間後に変死体で発見された 愛知県平井市在住の女子大生が、度重なるストーカー被害の末に、 神社の長男に殺害された。のちに、平井中央署生活安全課が女子 大生からの被害届の受理を先延ばしにし、その間に慰安旅行に行っ ていたことが地元の米崎新聞に独占スクープされる。県広報広 聴課の森口泉は、親友の新聞記者・津村千佳が約束を破って記事 にしたのではないかと疑い、千佳は身の潔白を証明するために調 査を開始し、1週間後に変死体で発見される。自分が疑ったから、 千佳は何者かに殺されたに違いないーー。自責と後悔の念に突き 動かされた泉は、親友の弔い合戦に身を投じる。そして彼女は、 ストーカー殺人と警察の不祥事に、かつて大事件を起こしたカル
ト宗教団体が絡んでいることを知り......。

 《感想》
 度重なるストーカーにより、ストーカー被害の訴えをしていた女子大生が殺された。殺した犯人は、ストーカーをしていた現役の神職だった。
 警察はストーカー被害届けの受理を先延ばししていたのだ。先延ばししていた理由が慰安旅行に行っていたからだという警察の不祥事だったことがスクープされる。
 そのスクープを記事にしたのは、主人公、森口泉(杉咲花さん)の親友の地元の新聞記者の津村千佳(森田想さん)ではないかと疑う。
 泉と千佳は高校時代の写真を一緒に眺めていた時に、警察官の友達の磯川俊一(萩原利久さん)からメールがきて、今一緒に食べていたお菓子は彼が旅行した際にもらったものだとポロッと話をしてしまったことから、知られてはいけない情報を教えてしまったのだ。
 絶対にこれを記事にしないでくれと泉は千佳にお願いし、約束したのに、独占スクープとして千佳が勤めている新聞が記事にしたのだ。
 千佳は私じゃないというが、泉は信じられなくなってしまったのだ。
 「疑いは絶対に晴らすから、その時は謝ってよ」と言って立ち去る千佳は、1週間後に変死体で発見されることとなる。
 泉は、自分の所為だ、自分が疑ったから千佳は殺されてしまったんだと、千佳のためにも真相解明しなければと、捜査できる立場ではないけど独自に調査をするのだった。磯川さんも辺見さんのこともあって何があったのか知りたいと思い、一緒に調査をしていく。

 ちょっとした自分の過ちがきっかけであるが、漏らしたのは自分以外にいるわけがない、守らなきゃと思うと何かは信じないことになる。犠牲が生まれる。

 千佳さんは、正義感が強かった。そして、泉が頼りにしている人だからと信じてしまったことにより、正義がぶつかってしまったのだ。

 

 人を信じないことによっても事件が起きるし、人を信じることによっても事件が起きてしまう。

 人がいなければ生きていかれないけど、無難に生きる難しさを感じる。

 自分を信じた正義感は、誰かにとっては不都合になってしまう。誰かが犠牲となってしまう怖さがあるのかと思うと、白黒させることは命懸けで人は生きることになるのかと感じる。


 泉の上司の富樫(安田顕さん)は、親身になってくれているようで、正義感に反した時の怖さを感じる。自分の誤った判断で多くの人を犠牲にしてしまった後悔でなのだろうが、トロッコ問題と一緒なのか⁈と感じる。


 暴走するトロッコの軌道上に5人の作業員がいて、そのまま放っておけば5人は轢死する。自分が分岐器を作業させれば、トロッコは別の軌道に入るが、その先にも1人の作業員がいるので、5人は助けることが出来るが、1人は犠牲になってしまう。

どちらの選択がいいのか?と問われても、どちらの命も大切であるとしか言えない。

 富樫は、多くの命を助けることが大事だという。

 綺麗事では済ませらないのが世の中なのだろう。


 千佳は泉との約束を守っていた。

 話した人は別の人物だった。

 スクープを話しした人も、自分の正義があった。

 裏切られた思いだと思っていた人には、優しさあり、守るためであったのだ。

 それぞれの正義がぶつかっていたのだ。

 

 泉は、今のままでは自分の正義は貫けない。警察官を目指すことを決めるのだった。

 

 杉咲花さんの演技に引き込まれた。


 『朽ちないサクラ』の映画を調べていたら、こんな記事にであった。


『杉咲さん演じる森口泉と安田さん演じる泉の上司・富樫は、事件が全て解決したら酒でも飲もうと約束していたが、料亭で顔を突き合わせる2人の表情は固く、緊張感が漂う。泉は目に零れ落ちそうになる涙を堪え、真っ直ぐに富樫を見つめ、一連の事件を捜査した結果を話はじめる。酒を注ぎながら静かに耳を傾ける富樫。


このシーンを撮るために20ページにも渡る台本部分を長回しで撮影したと明かす原廣利監督。「このシーンが撮れた瞬間、ガッツポーズしましたね。本当にいい映画になるなって。あれだけシリアスなお芝居をしているのに、少し離れた部屋のモニターで見ていて笑ってしまいました。なんて素晴らしい芝居するんだと」と、原監督にとっても渾身のシーンとなっているという。』


 あのシーンはそうだったんですね。二人のすごさを感じた。


  みんな、それぞれの正義を持って生きている。

 そして、みんな、過ちや反省を持って生きているのだろうと思うのだ。

 自分の正義を貫くということはどういうことになるのか?自分の過ちや反省を生かすとは、どういうことなのか?

 答えはでないが、考えさせらる映画だった。