予告をみて、実話の物語なんだ、それは観ないといけない映画かも思っていました。



 《イントロダクション》公式サイトから

ひとりの命を救うことは、
世界と未来を救うこと
チェコの子供たち669人をナチスから救い
50年後に驚きの再会を果たした
ニコラス・ウィントンの愛と苦悩を描いた
感動の実話

スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』で描かれたオスカー・シンドラーのように、ナチスの手からいくつもの命を救った人物が英国にもいた。彼の名はニコラス・ウィントン、ロンドンで株の仲買人として働き、充実した人生を送っていたごく普通の若者が、なぜ、どうやって、669人もの子供たちを救出したのか? ニコラスの命をかけた活動と子供たちとの50年後の再会を、アカデミー賞®作品賞を受賞した『英国王のスピーチ』のプロデューサー、エミール・シャーマンとイアン・カニングが後世に伝えようと決意。15年前に企画を立ち上げ、その頃は存命だったニコラス本人との面会を果たして快諾される。さらに、ニコラスの娘バーバラの著書「If it's Not Impossible…」を原作とすることにも本人から賛同を得る。その後の長期の構想と綿密なリサーチを経て、遂に映画化を実現させた。

物語の“現在”である1988年のニコラスに扮するのは、アンソニー・ホプキンス。明るくてチャーミングなニコラスが、その胸の奥にいまだ多くの子供たちを救えなかったことへの苦悩を抱え続ける姿を、自身の深く長い人生経験と重ねるようにリアルに演じた。観る者すべての心を激しく揺さぶるTV番組「ザッツ・ライフ!」の収録シーンには、実際にニコラスに助けられたかつての子供たちやその親族が世界中から撮影に参加。数多のキャリアを積むホプキンスでさえ「彼らが入ってきた時の光景に胸を打たれ、センチメンタルにならないようにするのが大変でした」と打ち明けている。

若き日のニコラスは、ジョニー・フリン。ただ純粋に目の前に苦しむ人がいたら手を差し伸べるという、根源的な人間愛に満ちた青年を真っ直ぐに演じた。良識に基づく行動と他者への優しさと敬意を息子に教えたと胸を張る、凛とした佇まいのニコラスの母親バベットは、ヘレナ・ボナム=カーター。ニコラスの苦悩を理解し、ユーモアをもって支え続ける妻グレーテは、レナ・オリン。 ロモーラ・ガライ、アレックス・シャープ、ジョナサン・プライスなど、確かな演技で魅せる俳優たちが出演している。
監督はジェームズ・ホーズ。50年の時を行き来することで本作のテーマの今日性を炙り出した脚本は、ルシンダ・コクソン。音楽は、フォルカー・バーテルマン。


あってはならない戦争が再び始まり、現在も続いている今この時代だからこそ贈る、人間の温かな心と無償の愛が生み出した未来を描く希望の物語。

 《あらすじ》



時は1938年、第2次世界大戦直前。ナチスから逃れてきた大勢のユダヤ人難民が、プラハで住居も十分な食料もない悲惨な生活を送っているのを見たニコラス・ウィントンは、子供たちをイギリスに避難させようと、同志たちと里親探しと資金集めに奔走する。ナチスの侵攻が迫るなか、ニコラスたちは次々と子供たちを列車に乗せる。だが、遂に開戦の日が訪れた。それから50年、ニコラスは救出できなかった子供たちのことが忘れられず、自分を責め続けていた。そんな彼にBBCからTV番組「ザッツ・ライフ!」の収録に参加してほしいと連絡が入る。そこでニコラスを待っていたのは、胸を締め付ける再会と、思いもよらない未来だった。

 《感想》
 1938年、第二次世界大戦直前。ナチスから逃れるために、チェコスロバキアで暮らしていた大勢のユダヤ人がプラハに難民してきた。ニコラス・ウィンストンは友人の誘いで、プラハの難民キャンプに訪れ、居住も十分な食糧もない悲惨な生活を送っている人たちを目にする。子ども一人に持っていたチョコレートを分けると、子どもたちが集まってきて、あっという間になくなってしまい、渡してあげたくても渡すことができず、悲しみを強くする。
 何とかして子どもたちだけでも救いたいと思い、イギリスに避難させようと、仲間を探し、仲間とともに、里親探しと資金集めに奔走するのだ。

 親から離れて暮らさなければならなくなるが、もしニコラスが立ち上がらなかったら、669人の子どもたちもアウシュビッツ収容所に送られてしまっていたのだろう。先日観た映画『関心領域』に繋がるのかと思うと、恐ろしさを感じる。

  9月1日にドイツのポーランド侵攻による第二次世界大戦勃発のため、電車を動かすことができなくなってしまったのだ。最大規模の250人の子どもたちをイギリスに送る予定だった。里親も見つけていたのに。何という運命なんだろうか。

 電車の中に、軍が乗り込んできて、赤毛の女の子を引きずり出すシーンは、残虐すぎる。赤毛じゃなくてもユダヤ人であったら、殺すまでしなくてはいけないなんて。

 でも、1939年3月14日から8月2日のわずかな日数で669人の子ども達を救っているのは、すごい行動力だと思う。


『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』について調べていると、

子どもたちをイギリスへ避難させるには、1人につきビザ、保証金50ポンド(現在の2,500ポンド、当時の労働者の給料3か月分に相当、日本円で約49万円)の支払い、医療証明書、里親の確保という厳しい条件が必要とされ、ニコラスは母親を含めた仲間たちと資金集めと里親探しに奔走する。』という記事に出会った。あの時代、こんな大金をよく集められたと思う。

 ビザ、保証金を集めるのも、669人も里親になってくれたということもすごいことだと思う。しかし、あの残酷なアウシュビッツ収容所に送られてしまったのだと思うと無念すぎる。できることなら、全員助けたかった。50年経っても自分を責め続けていたこと、救う側なのに無念に思いながら暮らし続けたことを想像するだけでも辛さを感じてきます。戦争なんてもうしないで欲しい。


 また、こんな記事にも出会いました。

『映画に登場する難民の子どもたちの役には、地元のユダヤ人学校に通う演技未経験の子どもたちを起用。メガホンをとったジェームズ・ホーズ監督は、「ほとんどの子どもたちは演技経験がなかったが、この出来事を体験した人が家族にいるなど、映画にかかわりがある子どもたちをキャスティングすることが重要だった」とキャスティングへの強いこだわりを明かしている。』という記事を読んだ。

 演技経験がない子達だったんですね。この出来事を体験した人が家族にいる子達が出ていたということは家族からお話を聞いたりしていたんでしょうね。擬似体験することで、不安、緊迫した空気がとても伝わってきました。


 ニコラスはものを大事にする方なので、どこかで使わなくなった物を一時保管する人でした。

 娘さんが出産するので、ものを増やさないでと妻から言われて、書斎や家の中を整理する。

 引き出しには、その当時使っていたカバンが入っており、その中には、子どもたちを送り出すための活動記録のスクラップブックがある。

 このスクラップブックをどこかに預けようと考えた。行き先が見つからない。図書館だとホコリかぶるだけだと懸念する。興味をもつ女性が現れるのだ。この女性に預けたことにより、テレビ出演の以来がくるのだ。

 妻からは、そんか番組に呼ばれるなんてと言われるのだが、いざ、行ってみることにする。あまり説明もなく、観客席に座らされるのだった。

 そして、司会者からスクラッチブックの説明がされ、なんと、あの時、イギリスに避難させた子もいて50年ぶりに会うこととなるのだ。

 そのテレビの反響で、また、さらにイギリスに避難した子達と再会することができたのだ。

 669人の子どもたちには、家族ができ、子どもや孫が生まれ、6000人もの命に繋がっていたことを知ることとなるのだ。

 交流することができて、良かったなと思う。

 あの再会した場面は、鳥肌が立つほど感動した。

 元気に生きていたんだと。

 イギリスに渡って大変だっただろうけど、子ども達が感謝していたことに、良かったと思った。

 

 ニコラスさんは、106歳で天寿を全うしたことを知り、驚きました。


 2011年に『ニコラス・ウィントンと669人の子供たち』が制作され、2016年の11月に公開された映画があったんですね。知らなかったです。観る機会があったら観てみたいと思いました。