ボブ・マーリーもレゲエも知らずに生きてきました。映画の予告で真実の物語に惹かれました。

 どんな人生を送った人なんだろうか?と。




《あらすじ》

 1976年、対立する二大政党により国が分断されていたジャマイカ。国民的アーティストとなっていたボブ・マーリーは国内の政治闘争に巻き込まれ、銃撃されてしまう。だがその僅か2日後、ボブは怪我をおして「スマイル・ジャマイカ・コンサート」のステージに立ち、8万人の聴衆の前でライブを披露。その後身の危険を感じロンドンへ逃れたボブは「20世紀最高のアルバム」(タイム誌)と呼ばれる名盤『エクソダス』の制作に勤しむ。さらにヨーロッパ主要都市を周るライブツアーを敢行し、世界的スターの階段を駆け上がっていく。一方母国ジャマイカの政治情勢はさらに不安定化し、内戦の危機がすぐそこに迫っていた。深く傷ついたジャマイカを癒し内戦を止められるのはもはや政治家ではなく、アーティストであり国民的英雄であるこの男だけだった———



 《感想》

 ボブ・マーリーは、36歳の短い生涯だったことを映画で知りました。

 ボブ・マーリーについて調べてみました。

 ボブは、白人の父61歳と黒人の母16歳との間に生まれました。映画内では、父親が馬に乗って、ボブの前に現れる姿が何度かでてきました。複雑な幼少期を過ごし「人種の問題も絡み、ボブは自ら父親にないがしろにされていた経験何あった。父親像を求めて『ラスタファリ』に傾いていった」とジギーは話をする。

 ボブは36歳と短い人生だったが、彼は公式には11人の子どもがいるようだ。11人のうち、ボブとリタの間で生まれた実子は3人。映画の中でも浮気についての話が出てきたが、時代やジャマイカの文化もあって、カリスマ的でモテたんだろうなと思いました。

 ボブが21歳、リタが19歳と結婚が早かった。ボブには6人のベイビーズ・マザー(子どもを産んだ彼女を指す)がいて、リタのほうも長女のシャロンは結婚前にほかの男性との間に産んだ子どもで、1974年に住まれたステファニーもボブ以外の男性が父親だ。2人ともボブに実子と分け隔てなく育ててもらった、と話している。

 孫は100人を超えていると言われており、音楽活動している人も何人かいるようだ。

 この映画には、妻のリタや息子のジギーなどのマーリー・ファミリー、さらにザ・ウェイラーズのメンバーなど当時のボブを知る人々が製作に深く関与している。ジャマイカでの撮影も実際のロケーションで行われ、首相や文化庁が全面サポートする国家的プロジェクトで作られたようだ。

 

 この映画は主に1976年からの2年間の話。


息子のジギーは以前から父親の映画を作りたいと思っていた。今回、映画を作るに当たってレイナルド・マーカス・グリーン監督や制作陣にリクエストしたこと、条件として与えたことは、「ボブの伝記映画といっても、誕生から死までをつらつらと描くだけの映画にはしたくなかったので、ボブの人生において、彼の思考や感情に大きな変化をもたらした特定の時期に絞り込むことをリクエストしました。僕たち家族にとって、それは1976年~78年の2年間でした。暗殺未遂事件が起きたのもその頃でしたね。殺されかけたら、誰だって心情に大きな変化が訪れるもの。スターとしてのボブではなく、1人の人間としてのボブを掘り下げて描くのに、ベストな時代設定だと思いました。その頃、彼がどんなことを考え、どんな感情を抱きながら日々を過ごしていたのか。そして、彼のアルバム群の中でも最も野心的で革新的な作品と評される『エキソドス』をどういう背景で制作するに至ったのか、ということです。」と話をしている記事に出会った。


 1976年、世界ツアーから帰国したマーリーは凱旋公演としてフリーコンサート「スマイル・ジャマイカ」への出演を決める。ところが、これが選挙期間の最中に開催された文化省後援のイベントだったため、当時の人民国家党(PNP)政権を応援する行為とみなされてしまう。
 結果、対立するジャマイカ労働党(JLP)支援者たちがマーリーらを銃撃。銃弾を受けたマーリーと妻のリタは傷を負い、あやうく殺されるところだった。2日後、マーリーは「スマイル・ジャマイカ」に出演すると、ジャマイカから出国する。行き先はイギリスの首都ロンドンだった。

 レゲエとはどんな音楽をいうかというと、日本大百科全書(ニッポニカ)からの抜粋によれば、「ジャマイカのポピュラー音楽およびダンスのスタイルの一種。二拍子系で後拍にアクセントがあるリズムと、社会への不満やラスタファリ運動(アフリカ回帰をスローガンとする宗教的性格の強い運動)への共感が織り込まれている、メッセージ性に富んだ歌詞をもつことに特色がある。」とのことだ。

 

 ボブ・マーリーのレゲエは、親しみやすいメロディに、メッセージ性のある歌詞だった。


 1978年「ワン・ラブ・ピース・コンサート」で二つの対立政党の党首をステージで、2人の手を取り合い握手をさせたのだ。

 しかし、翌年とその翌年に相次いで暗殺され、抗争が終わることがなかった。ボブもコンサートから3年後に病気で亡くなったという。

 足の指を切断すればもう少し生きられたであろうになんておもっちゃいますが、36年間はとても濃い人生だなと映画を通してしか知らないけど、観ていて思いました。

 息子さんがお父さんの映画作りたいなんて、息子さんは尊敬しているんでしょうね。

 偉大なお父さんですもんね。


 ジギーにとって納得できる映画となったとのことで、私はボブ・マーリーのこと知らなかったので、知る機会となり観ることが出来て良かったです。


 なかなか心はひとつになれないけど、1人1人に愛が溢れたら、戦争は起こらないかもね。