いつものように犬の散歩をしながらゴミ拾いをしていた。
久しぶりにこの道を散歩したので、色々なゴミが落ちていたよ。
まだオイルが入っているライター
なぜ、捨てたんだろうか?
最近、このぐらい残っていて捨てるのは、ライターの火が付きづらくなる頃なんですかね。
暑くなってきたから、連日拾うのがアイスの棒
ウォーリーを探せのように、草の中に溶け込む空き缶。
拾わないと雑草を刈りにくるまで発見できない状況なんですよね。雑草刈りに来ている人たちは、ゴミは回収しませんよ。雑草を刈るのが仕事でゴミは関係ないからね。だから、捨てたって消えないのよ。捨てる人って、どう考えて捨ててるんだろうか?なんて思ってしまう。
側溝にゴミ。側溝の意味がわかってないのよね。
ゴミで詰まらせたらどうなるの?想像ができない。今が大事すぎなんですよね。
これが曲者だった。
これ拾ったら
バッタ⁈が中から飛んできたの。
ビックリした。
かなりでかいし。
カップ麺の中のもの食べるんですね。
調べたら、オナガササキリという昆虫ですかね。
バッタ目キリギリス科の昆虫
メスですかね。
ウキペディアに、「メスの長い産卵管を尾に見立てている。オスの尾毛も他種よりやや長いが、それほど目立たない。」と書いてありましたよ。
ここら辺、河川敷近くないし、田んぼがあるところでもないんですけどね。
今日の犬の散歩時に拾ったゴミはこちら
結構、拾えましたよ。
ゴミ袋にアリがついてくるし、バッタ目キリギリス科ということで、イソップ物語に「アリとキリギリス」のお話を思い出した。
夏の束の間、冬に備えてまじめに働いたアリと夏を楽しんで冬のことを考えずに暮らしたキリギリス。
寒い冬がきて、アリは暖かい家でくつろぎ、のんびり過ごしていると、すっかりやせて、げんきのないキリギリスがやってくるのだ。
食べ物が見つからないんだ。
キリキリスは、夏に笑ったことをあやまり、次の夏は、僕もまじめに働くからと話をして、冬の間はアリの家で暮らさせてもらうお話。
将来に備えることの大切さを説く物語である。
しかし、このラストは実は3つあったのだ。
もう一つは、アリは「夏は歌って過ごしたのだから、冬は踊って過ごせばいいんじゃない?」と言い放ち、扉を閉めて追い返すのだ。キリギリスは、そのままアリの家の前で凍えて死んでしまうのだった。
そしてもう一つは、アリはキリギリスに「夏も歌って過ごしたのだから、冬も歌えばいいんじゃない?」と言うのだ。するとキリギリスは「もう歌うべき歌はすべて歌った。君は僕の亡骸を食べて生き延びればいいよ」と言うのだった。
アリとギリギリスの話は深い話なんですね。
今日の名言は、スイスの思想家・哲学者のカール・ヒルティ氏の言葉 「寝床につくときに、 翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である」です。
まさに、そうだなぁって思いました。