猿の惑星のシリーズ、一度も観たことがなく、今回、予告を観ただけで、猿がどんな感じなんだろうか?なんて興味を持ちました。
 字幕で観たかったのですが、丁度観れる時間が吹替でした。まぁ吹替でもまずはいいかと観てみました。


 猿の惑星って、勝手なイメージなんですが、猿だけが出てくる話のシリーズというより人間対猿の戦いかな?というイメージを持っています。人間対人間にし、同じ人間なのに、分かり合えないという設定よりも、人間対猿にすることで、知性と動物的本能の戦いみたいになるのかな⁈それとも、戦争のイメージって、人間対人間というよりも、自分たちは人間だけど、相手国は人間と思っていないとイメージだと思うんですよね。相手を人間と思ったら、仲間となって戦えないと思うんですよ。だから、人間対猿となれば戦えるのではないだろうかなんて思うんです。戦いって、相手を理解するためというより支配するために戦うイメージがあります。同じ生きものとしてみていたら、何で分かり合えないんだと怒りになる場合もあるでしょう。でも基本は相手を降参させる。従ってもらう関係にしたいから戦いをするのではないだろうか?なんて思うんですよね。

 だから、擬人化しやすさ、揶揄しやすさで猿したのかな?と想像してしまいます。猿にすることで、人間に近い相手だけど、人間ではない。猿が人間のように成長したらと思うと興味深さがあるし、有り得なくないかな⁈なんてね。

 分かり合えるかもしれないけど分かり合えない、そんなイメージになりやすいから、猿との物語にしたのかな⁈なんてね。

 だから、戦ったらどうなのかな?なんて思ったのではないだろうか?なんてことも勝手なイメージをもっております。

  

《あらすじ》公式サイトから

映画史に残る神話的名作シリーズ『猿の惑星』完全新作! 今から300年後の世界、猿たちは絶対的支配を目論み、巨大な帝国<キングダム>を築こうとしていた。一方、人類は退化し、まるで野生動物のような存在となっていた。 そんな世界で生きる若き猿ノアは、ある人間の女性と出会う。 彼女は人間の中で“誰よりも賢い”とされ、猿たちから狙われていた。 猿と人間の共存は不可能なのか。はたして、この世界で生き残るのは―。 完全新作として描かれる新たな“猿の惑星”。 ノアが出会った人間の女性に隠された秘密とは何なのか。 進化は本当に“彼ら”を選んだのか。この惑星に隠された驚くべき真実とは―!


《感想》


 お昼過ぎに観に行くんじゃなかった。しかも、寝不足な時に。観る前から段々眠くてしょうがない状況になってしまいました。前半、何度も目を閉じてしまいます。幸い、吹替なので、耳から情報が入りやすいので良かったのですが、ウトウトしながら理解していきます。

 だんだん目が覚めると、猿達の動きはどうやたら、こんなにリアルな感じになるのか、興味深かったです。 

 調べてみたら、こんなニュース記事がありました。

「本作は、俳優による演技をもとに、動作や細やかな表情をCGに落とし込むパフォーマンス・キャプチャーという技術を駆使して撮影された。」

 ティーグが演じたのは、猿が支配する世界で、再び人間と猿の“共存”を目指す若き猿・ノア。「ノアを演じるということに人間の虚栄心が入ってくる余地はありませんでした」と述懐。

「現場での僕らはみんな馬鹿らしいルックスです。顔にはパフォーマンス・キャプチャーに必要な粒、頭にはカメラがついていて、タイツをはいているんです。そんな格好で猿として走り回るんですから笑えますよね」と舞台裏を明かす。

「猿を演技することは、自分とは全く別の存在に慣れるという部分で、自分自身と最も遠いところに行かせてもらえる体験でした。これは“自分と違うものになってみたい”という、そもそも自分が俳優になりたかった理由を思い出させてくれたんです」と、俳優を志した当時の気持ちを再認識したという。


ケビン・デュランドが演じたのは、世界の真の独裁を目論む猿・プロキシマス・シーザー。

「撮影中、人が持つ虚栄心さら解き放された感じがしました」と話す。

「人間のキャラクターを演じていると、その映像を見直している時に頭の中で『今の顔ちょっと嫌だったな』と思ったりするもんなんですよ。でも、パフォーマンス・キャプチャーではすごく自由になれました。出し惜しみせずに徹底できるんです。パフォーマンス・キャプチャーがこんな気分にさせてくれるとは、予想していませんでしたね」と告白。自由に全力で芝居に臨むことができたことを明かした。


だから、生き生きした猿たちだったんですね。


物語の舞台はいまから300年後の未来。ウイルスにより人間は言語を失い、文化も技術も社会性もない、まるで野生生物のような存在に。一方で猿たちはウイルスによりさらに高い知能と言語を得て、独裁者プロキシマス・シーザーの指示のもと、徹底的に人間を排除し、文明的なコミュニティを持った巨大な帝国“キングダム”を築こうとしていた。村と家族をプロキシマスに奪われた若き猿のノアは、偶然出会った人間の女性ノヴァ共にプロキシマスに立ち向かうことを決意。しかしノヴァは、猿たちの知らない“秘密”を握っていた。


猿山のボスを考えると独裁者がボスになることはないだろう。強ければいいわけでなく、仲間から信頼を得た年取った猿が選ばれるからだ。

猿の惑星を観て思ったのは、独裁者とは、知能が発達した者の象徴なのかもしれないなんて思ってしまった。人間でも社長が独裁者になっているところはある。みんなが従ってくれていたら上手くいくが、

独裁者がリーダーになると、結局争いが起こりやすい。死者がでるほど危険なことも。事がうまくは行かないのだ。

 猿の惑星だと、結局は人間の方が頭が良かったということなのかな⁈って感じですけどね。


 猿が発達することってあり得そうなんて思ってみてしまった。仲間を信じて、他の動物と共存できる方がやはり強いなと。力だけでねじ伏せて従わせるってやり方は、自ら滅びてしまうと教えてもらった映画かなって思いました。


 感想書くの数日経ってしまった。言葉にするのが難しかったです。