怪獣が暴れるもの、苦手でゴジラは一度も観たことがありませんでした。
 今回アカデミー賞視覚効果賞を受賞したことで観ました。受賞したからこそ、映画館で観ることができました。観て良かったと思いました。

 

 

 《あらすじ》ぴあ映画から


出兵していた敷島浩一は日本へ帰還するが、東京は焼け野原と化し、両親は亡くなっていた。人々が日々を懸命に生き抜いていく中、浩一は単身東京で暮らす大石典子に出会う。しかし、これから国を立て直そうとする人々を脅かすように、謎の巨大怪獣が現れて……


《感想》

敷島(神木隆之介さん)さんは、特攻で死ぬのが怖かった。生きたかったから、零戦が故障したと偽るのだ。

当たり前の感情だと思う。

お国のために、未来の人たちのために自分の命を捧げるなんて、今の時代に生きる私としては考えられない。

「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」の映画を思い出す。

 

 あの時代は、自分の命は自分のものではなかった。お国ために、子どもを産む。若者の命は、お国のもの。死なずに帰ってくることは、とても生きづらい。よく帰ってきたねと思ってくれるのは、親だけだ。自分は逃げた人間だと苦しみながら生きなきゃいけないのだ。生きたいからそうしたのに、選択が間違っていたと苦しみ続けて生きることになるのだ。

 生まれた時代によって、生き方が変わる。考え方も違う。

 

 戦争で負けたのは、あなたのせいではないのに、なぜか、生きて帰る人のせいになる。

 戦争に行かれなかった若者は、俺も戦いたかったと言う。

 恐怖と戦えない人は、だめな人間なんだろうか?

 誰かを守れない人は、だめな人間なんだろうか?


 敷島さんは、守備隊基地に着陸し、そこでゴジラに出会うのだ。

 生きて帰れたと思ったのに。

 守備隊基地は、零戦を整備する人しかいない。

 ゴジラに対して、零戦をつかって20ミリ砲を撃てるのは、敷島しかいなかったのだ。

 敷島に託されたが、撃つことが出来ず、敷島さんと橘さん(青木崇高さん)以外はゴジラに襲われて死んでしまった。

 橘さんは、お前のせいでみんな死んでしまったじゃないかと敷島を責めた。

 亡くなった人たちの大事な写真を渡される。

 

 20ミリ砲を撃ったところで、みんなの命が助かった保障なんてないのに。できる人がやらないことは、薄情なやつになるのだろうか。

 敷島さんのせいなのか?と思うが、その時の最善は、20ミリ砲を撃つことしかなく、20ミリ砲を撃って、ダメだった時に、橘さんと仲間になれるのだろう。

 橘さんは、自分が撃てたら、にはならない。

 自分が出来なかったことに悔やむことがないのだ。

 敷島さんが悪いしかならないのだ。

 仲間を助けない薄情なやつと。

 

 両親が住む東京に戻ることが出来たが、空襲によって焼け野原だった。

 隣に住む太田さん(安藤さくらさん)に、両親が空襲によって亡くなったことを教えてもらう。そして、太田さんの子ども達も、空襲によって亡くなったことも。

 なぜ、あなたは生きて帰ってきたのか?と責められるのだ。戦争に勝てなかったのは、敷島のせいとなるのだ。

 人は、辛いことがあると誰かが悪いにしたくなる。

 戦争に勝っていたら、焼け野原にならなかったのだろうか?もし、戦争に勝っていたら、今の日本はどんな考え方となっていったんだろうか?今の平和はあるんだろうかと思う。

 勝つことが必ずしも良い結果を残せるわけではないと、戦争の話を聞いて思う。

 

 敷島さんは、空襲で親を失った女性、大石さん(浜辺美波さん)と、空襲の時に見知らぬ人から託された赤ちゃん、明子ちゃんと出会い、家に居座られることとなり、一緒に暮らすことになる。

 明子ちゃんのために、敷島は高収入の場所で働くことにする。

 

 敷島さんは大石さんと明子ちゃんの出会いで生きることができたのだ。

 

 敷島さんの働く場所は、米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業だ。ここで、野田さん(吉岡秀隆さん)、秋津さん(佐々木蔵之介さん)、水島さん(山田裕貴さん)に出会う。

 敷島さんは、特攻隊で腕は優秀だ。

 機雷の処理も活かされるのだ。 


 敷島さんは、この仕事のおかげで大石さんと明子ちゃんを養っていくことができた。

 明子ちゃんが歩きはじめるまで成長し、大石さんはいつまでも甘えていてはと、自立するために銀座へ働きに出るのだ。

 大石さんが働いている間は、お隣の太田さんが明子ちゃんをみてくれる。

 この時代は、困った時にはお互い様。

 生きていくのがまだまだ大変な時代であるが、「遠くの親戚より近くの他人」のことわざ通りだ。

 戦争で一人になってしまった人は多かったでしょう。だから、苦しみを分かち合えたのかもしれませんね。


 ゴジラは、敷島さんが出会った時よりもさらにパワーアップしていった。

 敷島さん達が作業している海にゴジラが接近してきたのだ。

 国は、混乱を恐れてゴジラが東京に向かっていることを伏せていると聞かさせる。

 敷島さんは、自分が生き続けることを責めていた。毎晩、夢でうなされていた。

 大石さんは、敷島さんが追い詰められている様子に、教えて欲しいと聞いてくれるのだ。そして、大石さん自身が生きる意味を伝えてくれるのだ。

 ゴジラは銀座へと陸に上がってくる。

 敷島さんは、大石さんを助けるために銀座に向かうのだ。大石さんを見つけ出し、一緒に逃げるが、ゴジラによる爆風をうけ、大石さんは、敷島さんに生きてほしいと願い、建物と建物の間に押し込み助け、大石さん自身は、吹き飛ばされて見失ってしまったのだ。

 死者及び行方不明者3万にの中に大石さんは含まれてしまうこととなった。戻ってこないので、大石さんは亡くなったこととなる。

 ゴジラと戦うために、「海神作戦」を行うこととなったが、敷島は、万が一に備えて戦闘機による誘導役を買って出る。戦争時とは違い、自分がゴジラに突っ込むことでみんなを救える、自分も救われると覚悟となる。

 戦闘機を整備する必要があり、橘さんを探すのだ。橘さんを探すために、嘘の手紙を各所に届ける。

 怒り心頭で橘さんはやってくる。

 普通に戦闘機の整備依頼のお願いでは、橘さんは動かないのだったのだろうか?

 緊急を要していた。役所に行って見つからなかったので、普通に探していたら、見つからないということなのだろうか?

 人を呼びだすにしても、あれじゃあ、手紙をもらった人たちにどう弁解できるんだろうか?と思ってしまいますが、敷島さんの覚悟を知り、橘さんは整備してくれることとなった。


 「戦争は、死ぬための戦いだったが、ゴジラは、未来のために戦う。誰も死んではならない戦い」だと、野田さんは言う。

 敷島さんは、戦闘機に乗る時、みんなの写真を持って乗る。死んだ人たちへの敬意を表するために。

 橘さんは、敷島さんに生きろと戦闘機を改造してくれていたのだ。


 ゴジラは見事に敷島さんの戦闘機の突撃で、崩れていった。

 海の中で、再生されたようだが。


 そして、大石さんは生きていた。




 戦いは死ぬために戦うものではない。

 自分たちの未来の為に戦うもので、命を落とすものになってしまってはならないのだ。

 戦争で優秀な若者たちが亡くなってしまったことを考えると、失った人財産はとてつもないことだろう。

 これ以上戦ってくれて死んでしまった若者達を増やさないためにも、平和を守り続けることが今、生きる人たちの使命だ。

 戦後、再生の中で、ゴジラが破壊していくなんて、絶望するしかないじゃんと思ってしまいますが、戦後、なんとしても生きる、未来のために生きる人達がいて、今があるというメッセージなんだろうと思った。

 だから、戦争はもうしない。死ぬために戦うことは絶対にしない。戦うなら、未来のため、生きるためにしていこうという思いが込められているのだろう。