予告を観て、怖さもあったが観てみたい気持ちが勝って、観てきました。私は、観てよかったなと思う。

 

 この映画は、父親が、5歳の男の子を犬用のケージに4年間監禁した記事をみて、「ドッグマン」のアイデアが生まれたようだ。
 どうしたらそんなことができるのか?
 その子は一体どんな大人になるんだろうか?

 根を切ってしまった木はどんなふうに成長出来るのか?

 あらゆるトラウマを背負っていたとしても、彼には選択の機会がある。意地悪にもなれるし復讐もできるが、どれだけ傷つけられたとしても、それを好転できるんだと示したかったようだと監督が話す記事を見た。


 主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズは、5ヶ月間も車椅子で過ごし、歌い方も学んだようだ。


 《あらすじ》公式サイトから

ある夜、警察に止められた一台のトラック。

運転席には負傷し、女装をした男。荷台には十数匹の犬。

“ドッグマン”と呼ばれるその男は、半生を話り始めたー。

犬小屋で育てられ家力が全てだった少年時代。 犬たちの愛に何度も助けられてきた男は、 絶望的な人生を受け入れて生きていくため、

犯罪に手を染めてゆくが、

“死刑執行人と呼ばれるキャングに目を付けられ

映画史に刻まれる愛と暴力の切なくも壮絶な人生


《感想》

 トラックを運転していたダグラスは、警察官に止められ、逮捕される。

 男性か女性かどちらに◯していいかわからないからと、真夜中に精神科医が呼ばれた。

 この精神科医、エヴリン・デッカーとの対話で、生い立ちから今に至るまでが明らかにされていく。


 主人公ダグラスは、闘犬を育てる父親と、父親に逆らえない母親、父親に従う兄の4人家族。

 闘犬を育てるために、犬にご飯を与えてはいけないようだ。父親にとっては、犬は生きるためのお金のようなものだ。母とダグラスは犬が可哀想でこっそりあげてしまう。

 父に認めてもらうことが生きる術の兄は、ダグラスがご飯をあげたことを告げ口する。

 「犬が好きだ」とダグラスは父に逆らったことで、そんなに好きならと犬小屋に住まわすのだ。

 母親は、父に内緒で缶詰をたくさん渡して、家から出て行くのだ。お腹に赤ちゃんがいるので、その子を守るためにも。ダグラスは母が出て行くことを肯定している。

 犬小屋の隣に母の大切にしていた雑誌を見つける。雑誌が自分の生きるバイブルとなった。

 犬は神の最高傑作であるが、欠点があるという。

 それは、人間に服従することだと。

 犬の愛に救われ、犬の服従に救われているが、どんな人に飼われてしまうかで、犬の人生も影響される。犬は人を愛する生き物なのに、服従した人のために人を攻撃してしまう。嫌だとか拒まないのだ。


 ある日、犬が赤ちゃんを産む。

 そのことに気がついた兄は、父親に告げるのだ。

犬はお金

 ダグラスは、犬の赤ちゃんを守りたかった。

 父が放った銃弾で脊髄を損傷、指も一本吹っ飛んだ。

 犬に、指の入った袋を持たせ、警察車両を探して、渡すよう指示する。

 犬は警察車両に置き、警察は密売の取引に案内をしてくれるのかと思ったら、少年が銃で撃たれて倒れていた。

 父と兄は逮捕されるのだ。

 父は逮捕後すぐに自殺。

 兄は模範囚で、早めに釈放。犬達は聞きつけて兄を襲うのだ。


 ダグラスは、施設で過ごすことになる。友達はできなかったが、サルマに出会った。

 サルマに、シェークスピア、お化粧、演じることの素晴らしさを教えてもらうのだ。

 サルマが人生の大事なことを教えてくれて、生きていける力も与えてくれた。(ダグラスの母もお父さんがいない時は、音楽を聴いており、音楽の素敵なところを教えてくれている)

 お化粧することで、人は自分ではないものに変わることができると。しらない自分になれるのだと。


 サルマに恋をしていた。

 サルマは舞台女優を目指すため、施設を去る。

 サルマは努力が実り、小さい記事に掲載され、そして、有名になって行くのだ。

 勇気を出して舞台を観に行き、花束を渡しに行く。プレゼントを渡すとキスをしてくれるのだ。しかし、夫を紹介され、赤ちゃんが授かったことを聞かされるのだ。

 犬の保護施設も補助金が出なくなり、地域から苦情も出ており、保護施設が閉鎖され、職を失う。


 犬のために、自分のために働かなければと職を探すが車椅子であるがためにことごとく断られる。

 

 行き着いたところは、女装してショーに出るところ。

 はじめはオーナーに断られるが、食い下がるのだ。シェークスピアは暗記しているし、歌も歌える。立つことだってできると。

 同じショーに立つ人たちが後押ししてくれるのだ。ショーに出ている人達は色々と苦労しているから、痛みがわかるのだろう。

 毎週1日だけショーに出れるようになる。

 歌は素晴らしかった。


 でも、犬のご飯代、生活するにはそれだけでは難しい。犬達はお金持ちのところから盗んでくるのだ。

 防犯カメラに捉えられており、保険屋にバレてしまうのだ。

 また、死刑執行人と呼ばれるギャングに目をつけられて、犬たちと闘い、なんとか命からがら、トラックで逃げたところで捕まった。

 エヴリンから、「なぜ私に話をしてくれたのか」とたずねられると「痛みを知っている人だから」とダグラスは答える。

 エヴリンは、父親からDVされ、元夫もDVをする人なのだろう。母との会話、電話からの会話から想像することができる。

 

 エヴリンからは、「たとえどんな人生でも、自分の選択によって変えられたはず。」とそんなニュアンスのことをダグラスに伝えるのだ。


 観ている時には覚えてられると思っていたのだが、忘れてしまった。


 エヴリンは、好転できる人生に変えることができたはずだと言っているのだ。

 今ある現実は、自分が選択したものだと。

自分の責任であると。

 エヴリンには、お母さんが側にいたが、ダグラスは犬しか側にいない。犬小屋生活だから、情報もお母さんが残した雑誌だけだ。

 ダグラス自身に生きる知識がどのぐらいあったのだろうか?

 犬がやったことでも、殺人は殺人だし、盗みは盗み、お金に変えていたら、犯罪だろうけど。

 

 犬達は、ダグラスを解放させるのだ。

 ダグラスは、車椅子を捨て、歩き倒れる。そこは丁度、教会の十字架の影のある場所で。周りに犬が集まって見守るのだ。

 イエスキリストのように処刑されたのかな?とも思った。

 十字架の意味は、自分を殺して、他者を生かすということ。

 ダグラスは、決して自分本位で生きていた人ではなかったと思う。

 ダグラスは、どんなことがあっても生きることをやめなかった。愛する犬がいたから。


ダグラスを玄関前でいつも守っていた犬はエヴリンの家の前にいるということは、エヴリンによって救われ、自分は生まれ変わることを決意し、エヴリンが生きていかれるようにと願ったのかなとも思った。犬がふさわしいところにいることを願って。


 人それぞれ色々な解釈ができる。

 たとえ同じような人生を送っても、人生は人によって変わるから。

 ラストは、ドッグマンを好転させるのも、十字架を背負って生きていく人生なんだろうにしても、あそこで人生が終わってしまったのかな?でも、どんな解釈でもいいってことなのだろうかと思った。

 この映画をみて、自分の心が見えてくるんだと思う。ドッグマンを受けいれるかどうかはあなた次第で、受け入れられたら、ドッグマンは生き続けられるのであろう。

 


 キーワードは

 「人は愛され守られたい。皆そう願って生きているだけ」


 ダグラスにも、愛される人がいたら、もっと生きやすかったのに。善悪はわかっていた人であったのだから健全な心が育っていた証拠だ。犬に愛されたから、何とか生きられたんだと思う。でも、人には人が必要。神様が側にいても、人が必要だと思う。