何度か予告で目にした。徳島県の高等専門学校を舞台に実在した生徒をモデルに描く青春映画。
 うちの子も高校生。私は子ども時代、ゲームをさせてもらえない家でしたので、ゲームばかりやっているうちの子を理解することができない。
 今どきの高校生を少し理解できたらと思い観に行ってきました。


《あらすじ》 HPから

勧誘ポスターに興味を持った翔太(奥平大兼)は、このポスターを作った張本人で1学年先輩の達郎(鈴鹿央士)に連絡を取る。1チーム3人編成の<ロケットリーグ>出場をもくろむ達郎は、人数合わせとしてたまたま席が近かった亘(小倉史也)を残り1枠にロックオン。なかば強引にYESを取り付けてチームが成立!はじめは全く息の合わなかった彼らだったが、次第に競技に魅せられ、東京での決勝戦を目指す……。


 奥平大兼さんと鈴鹿央士さんのダブル主演。

 翔太(奥平さん)は、金髪にピアス。見た目はヤンチャの人気者。アルバイト姿をみると、とても真面目。両親が不仲。兄弟3人の長男。良きお兄さん。一番下の子が、お気に入りのタオルが見つからない時や家族の中で揉め事があると、パニックを起こし、自分の頭を叩く自傷のある子だ。お父さんは、一番下の子が普通の子になることを願っている。勝ち負けがあるなら、勝ちが大事。白黒思考で、言ってみろと聞くが喧嘩腰だ。

 お母さんは、ゲームをずっとやっていて、子どもの病院などは付き添っている感じだったが、精神的に何か苦しみがあるのかなと感じた。お父さんから暴力振るわれていたし。

 お父さんもお母さんも自分だけで精一杯な感じ。


 達郎(鈴鹿さん)は、ケガを理由にバスケットボールを諦めた、失意の天才ゲーマー。勉強もできるようで、授業中は他のことをしている。先生に見つかり、授業を聞いているかチェックされるが、いつも答えがあっていて、先生は気に食わない感じ。

 母親は、医師かな。いつも忙しい。勉強している姿が見えないので、大学受かるのか心配。子どもが高等専門学校に行っていることを理解していない感じ。

 お父さんは、家でお酒を飲んで寝ている姿しかみせないから、よくわからない。お母さんはお父さんが寝ていると音を立てないでと、お父さんを気遣っているのか、または、起きると厄介だから起こさないようにしてなのか、よくわからない。

 お母さんは食卓のところで寝ている姿しかみないし、疲れ切っていることだけはよくわかる。


 亘(小倉史也さん)は、学校でも家でもVチューバーに夢中で、何があっても一番が胡桃のあ。

 お父さん、お母さん、妹の4人家族で、家族団欒を大事にしており、亘がゲームの練習で会話しているのを聞いて、お友達ができたのね、と喜ぶ、幸せな家族の中で暮らしている感じだった。


 達郎がハマっているゲームのeスポーツ大会があり、達郎はメンバー募集をする。

 達郎は、たまたま席の近い亘に声をかける。

 達郎は、亘の名前も知らない、そんな状態の距離感がある人をまず誘うのだ。

 亘は、どうしてもいなかったらね、と言っていたのに、声をかけてきたのは一学年下の翔太のみだったので、強引に仲間にいれられることになる。

 翔太は、勧誘ポスターの「勝つとか負けるとかは、どーでもよくて」のフレーズに興味を持ち、初心者。

 亘もゲームはやるが、ロケットリーグはやったことがない。

 チーム名は、“アンダードッグ”(かませ犬)

 

 翔太はゲームの楽しさにハマっていくが、亘は一向に参加しない。予選でも、ロケットリーグよりもVチューバー優先。

 

 3人がゲームを練習していく中での距離。

 3人の空気感が違う。 

 このそれぞれの空気は壊したくないが続く。

 とくに達郎は、感情にならないようにしている感じだ。

 

 翔太が1番感情を出す感じだけど、好きな子が自分を好きでいる感じはわかっているが、距離を置いてしまう。自分の悔しい感情を聞いて欲しい時には、距離を置かれてしまうのだ。

 

 どこまでが実際の話なんだろうか?

 徳島県の学校が東京での決勝大会に出場したことは実際の話なんだろう。

 調べるとKamase Dogsというチーム名はあった。


 家族は、よくある代表例の家族なんだろうか?

 家族の悩みを持ちながら生きている子もいるけど、誰かに打ち明けることも相談できずに過ごしている。

 また、学校内で何か見出せないまま、その時間を何も感じないで過ごし、感情をコントロールしているのか?

 



 学校で楽しさを見つけるのは、気の合う友達がいたり、部活が楽しくできていたりすれば良いけど、授業は苦痛にならなきゃいけないのか?授業しかない子にはどうしたらいいんだろうか?自分で見出していくしかないのだろうけど。

 

 高校って、何だろう。

 卒業後の進路のためにあるものだけではないはずと思うが、小中と過ごしてきたんだから、その延長なのだろうか?

 最近は、色々な学校が増えてきたとは感じるけど。


 子ども時代の大半は、学校生活だ。

 学校が中心の生活。

 家庭は学校に合わせたしつけになっていく。

 親も学校に通っていたから、絶対的だ。

 社会にでたら、通用するかわからないのに。

 でも、学校のレールが大事。


 学校は行かなくてもいいよ、という風潮になってきているけど。


 子ども時代は遊べと言いながら、学びが中心だ。





 引率の先生は、しぶしぶというのもほんとだったのか?東京に行くということで奥さまも連れて行くのは、学校での姿では想像できなかったが。


 東京での決勝大会に出たが、緊張感いっぱいになってしまった。遊びと言いながら、やはり、負けるのは悔しいものだ。勝ちたい気持ちが強くなり、熱くなるものだ。

 

 亘の家族だけは最寄り駅に迎えにくる。




 eスポーツがハマるののはわかった気がする。

 上達するには時間が必要。

 勝っても負けても、ゲームであること。

 楽しむことが大事だ。

 誰かがplayしているのを見るのも楽しい。

 会場が一体感になっているのはわかる。

 

 でも、やはり、身体を壊すまでゲームにハマってしまう怖さはある。

 ゲームは時間を忘れてしまうから。


 生きづらい世の中が続いている。

 この生きづらさを学ぶ場所って、一体どこなんだろうか?なんて思う。

 辛い時にお金を出すことができれば、カウンセリングを受けることができるだろう。

 でも、子ども時代にもし、カウンセリングで学ぶことが知れたら、大人になる前にもう少し生きやすさを感じることができるのでは?なんて思う。

 学生の自殺の増加、不登校の増加、いじめの増加。学校の先生の精神疾患の休職の増加。


 ゲームに逃げ込むのも大事と聞くが、こんなに苦しんで生きている人がたくさんいるとなると、ゲームに逃げ込む前にどうにかならなかったのか?なんて思ってしまう。


 空気を読むことって大事ですか?

 言わなくても察して欲しいって大事ですか?


 相手に不快にならないようにすることは確かに大事。円滑にコミニュケーションを図るのも大事で、空気が大事なのかもしれない。でも、この空気を読むことを頼っていると当たり前が生まれて、相手がわからなくなると思う。学校には当たり前が多くある。


 この当たり前を本当に理解できているのか?

 当たり前がほんとうに当たり前なのか?

 わからない。


 空気を読んでいると、自分の思いが届かなくなる。どうせ、届かないやで諦めてしまうか、怒りに変わる。


 子どもが主体的に生きるためには、子どもが親や先生の空気を読むことを大事にするのやめませんか?なんて思う。 

 大人になった時に自分がしていたから、子どもに求めてしまう自分が本当に辛い。

 


 子どもの心理状態を見ましょうと言っても、自分が当たり前にしてきたのに、となってくる。

 

 ゲームは楽しむものだとやっぱり思ってしまう。

 みんなで映画のように盛り上がれるならいいよ。


 でも、現実逃避に使っていると、なかなか抜け出すことができない。その時期が長ければ長いほど、やはり、人との繋がりができず、ずっと引きこもりのままである、なんて思ってしまった。

 

 ゲームに救われることもたくさんあるのだろう。

 でも、自分をコントロールできるようでなければ、なかなか難しいものだと感じる。

 


 映画の思いとは、ぜんぜん違う感想になってしまったが。

 高校生活をこんな風に楽しむのも良いねと思いましたよ。

 クスクスと笑っている方、何人かいらっしゃって、共感できることもあるのだろうと思う。


 この映画のゲームは、車でサッカーをするゲームなんだよという話を旦那にしていたら、子どもが「ロケットリーグでしょ。知っているよ」と話に入ってきた。

 うちの子はやっていないけど、知っている話をしているからルンルンな感じで、話に入ってきた。

 子どもとの会話に一役買った映画となったことを追記する。