ご馳走様というようになった響。
お父さんとの距離が少しずつ近くになってきたのがわかる。
仙台のオケフェスの敗者復活、晴見フィルに決定した。
海の動画のおかげで、晴見フィルの全力指揮おじさんとして近藤さんが注目されたのだ。
近藤さんは、妻と娘が初めてかっこいいね、と言ってくれたとのこと。バズって、奥さんと娘さんに届いたんですね。
しかし、遠征費用も練習場所もない。
募金活動を行うことした。
天音のお父さんは、あの後、やれともやるなとも言わずに無になってしまった。
その話を聞いて、海は、「やめさせようとしていた人が無になったなんてすごくない⁈マイナス100が0になった。100点になったってことじゃん。」という。
天音は、「天才、100点だ」と喜ぶ。
やるなと言われてもやるけどね、とは言っていたが、海に100点と言われて、一気に元気になった。誰かが肯定してくれると心強いよね。
口出ししないことは、白石市長の最大の応援なのかもしれない。
鏑木さん、俊平さんに、シュナイダー先生からお手紙を渡す。シュナイダー先生から譜面が届く。
マエストロがドイツの交響楽団に誘われたのも運命、マエストロが晴見にきたのも運命、マエストロと響が再会したことも運命だと、大輝は響に話をする。
どれも、そうなる運命だったのかも。
生まれる前に、自分が設定した出会いや学びに従っているのかもしれない。
瑠李さんの伝手で保養所を貸してもらう。
晴見シンフォニー、マエストロとみなさんが出会った時に行った即興シンフォニーがもとになっている。瑠李さんと蓮くんが加わって、音がさらに豊かになって、みなさんの過ごした時間を思い出して、膨らませたみなさんのシンフォニーをシュナイダー先生の送られてきた楽譜のおかげで、俊平さんは作った。
響は、お父さんと過ごした楽しい時間を思い出す。
シュナイダー先生の手紙をこっそり読む響。
「5年前、音楽の世界を離れた君に伝えたいことがありました。君が指揮者を辞めた理由は、僕がかつてドイツを離れ、四国の小さな町に逃れた理由と同じだと思う。空っぽになった。音を奏でることが無意味になった。僕は妻を亡くして。君は娘さんの心を失って。どんなに拍手喝采を浴びようと一番大切な人がいなければ虚しいだけだと。世の中に音楽に背を向けた30年前のあの時、そんな僕の心の明かりを灯してくれたのは君でした。18歳の君のまっすぐな情熱がずっと忘れていた気持ちを思いださせてくれた。幼い頃、音楽をはじめて好きになった気持ちを、靴音がなるだけで、鈴の音がなるだけで楽しかったあのころ。君が教えてくれた。大人になったとしても夢中で音を奏でている時、僕らは最高に幸せな子どもだということを。そんなことを思いださせてくれる誰かが、今、君と君が愛する響のそばにいますように。君と響にこれからの時間が豊かでありますように。」
響は大輝にあの5年前の出来事を話する。
「いつも家にはね、音楽があったの。あの人が弾くピアノの音、私が弾くヴァイオリンの音、シュナイダー先生や訪ねてくる人の楽器の音、自分もずっとこういう人たちの中でずっとヴァイオリンを弾いて過ごしていくんだと思ってた。
恵まれてた。全部が音楽に聞こえてた。お花も風もライン川の煌めきもほくほくの焼き栗も。
私、とても幸せな子どもだったとおもう。いつか、私がソリストであの人が指揮でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を奏でたい、約束って。習っていた先生の勧めでコンクールにでるようになって、コンクールにでれば、小学生までは大抵優勝できた。12歳の時にね、コンクールで他の子に言われたの。指揮者の娘は得だよね。うちはお金ないからレッスンも良い先生に習えないし、そんな高いヴァイオリン絶対に買えないって。そう言ったその子は
私よりもずっと上手で、私、勝てなかった。年齢が上がったら、恵まれた環境がくれたベネフィットがあっという間になくなった。自由に表現する子達に比べて私ってって。何を誰に伝えたいんだろう。目の前にモヤがかかった。はじめて疑問もった。あれ、私、小さい頃から周りにいる人たちと、もしかしたら違うのかもしれない。一番近くにいるあの人ととも、全然違うのかもしれない。認めたくなくて必死に練習した。でもね、頭の中で声がするの。その楽器にはあんたよりふさわしい子がいる。ソリストにはもっとふさわしい子がいる。見合う才能がない癖に親子だからってずるするするつもり⁈入賞しても、褒められても完璧な演奏できない自分が許せなかった。ご飯食べる時間も寝る時間も惜しくて、足りないなら、人の1000倍努力すれば報われるって信じていた。そしたらね、お母さんに言われたの。もうやめてって」
お母さん「響は何を弾きたいの?何を伝えたいの?表現したいことがないならやる必要はない。芸術や創作は闘いじゃないの。何かに追われて席立てられてやることじゃない。自然にそうしたくなるまで少し待とう。美味しいもの食べたり、誰かとおしゃべりしたりさ、何も考えずにぼーっとしたり、そうして響の中に何が生まれたら、また弾けばいい。」と伝えるのだ。
響「そんなことしていたら、置いていかれる。いまだって全然追いついていないのに。」
お母さん「誰に、誰かと比べて自分を否定したら苦しくなるだけだよ」
響「パパもママもできない人の気持ちわからないでしょ。必死に苦しんで努力するしかない人たちだっているんだよ」
お母さん「苦しんでやる必要なんかな」
響「あるんだって。今の私じゃダメなんだって。今のままじゃ意味がない。音楽を聴かせる資格がない。圧倒的じゃなきゃ、パパと同じ舞台に立てない。放っておいて、お願い。時間がないの」
響「そうやって、練習して、練習して、練習して。15歳の時に受けたコンクールで奇跡が起きたの。今までの苦しさが嘘みたいに弾けた。何もかも忘れて。ただ夢中で。いつかパパが言ってくれたことを思いだした」
お父さん「心から音楽を夢中になったとき、人は苦しみからも不安からも自分からも解放されて、ただただ美しい響きに満たされる。響、それが君の名前の理由だよ。君の人生が美しい響きに満たされますように。」
響「いつもパパが聴いている音をその時はじめて、聴けた気がした。」
お父さん「響良かったよ。すっごく良かった。ごめん、ファイナルは聴けないけど。受賞者のコンサートはパパが振るから。やっと叶うね。響とパパでメンデルスゾーン先生のヴァイオリンコンチェルト。ごめん、もう行かなきゃ。本当に良い演奏だった。」
ここで、とめてくれたら良かったのですね。
お父さんは、さらにいい演奏をと、お父さんにとってはただのアドバイスだったんでしょうけど。
響「もっと。パパは何もわかっていない。もっと良い演奏なんてできないんだよ。今のが私の最高だったんだよ。もう頑張れないんだよ。」
この気持ちわかります。
響ほど練習したわけでも、才能があるわけでなかったので、響とはちょっと違いますが。
私も小学生の頃、最高にできたと思って、母にお習字を見せたら、ハネはこうした方がいい、ここの線はこうした方がいいと言われて、二度と自分が最高の出来と思っても傷つくだけだ、見せてはいけないと思ったことがあります。
自分が良いと思っても、他の人は良いとは思ってくれないんだなと。
何で褒めてくれないの?と抗議はしましたけどね。
私の場合は、母から褒められた記憶がないんです。毎回、あれが足りない、これが足りないって。私なりに努力しているんです。でも足りないと言われてしまうから、はじめからやらない方がいいやになってしまったんです。そうしたら、言われても仕方ないって納得できるから。何もしないから言われても仕方がない人生を選ぶことにしてしまいました。
アドバイスを受け入れる心にゆとりがなければ、聞けないんです。さらにプレシャーになったり、自信喪失になってしまうんですよね。
子どもが今どの状況か心理状況を読み取れないと、ぷつと切れてしまうんですよね。
頑張れと言って良い時なのか、頑張ってるね、頑張ったね、と言って良い時か見極めないといけないんですよね。
親になったら、言いたい気持ちは理解できるようにはなりましたけど。
でも、どう頑張れっていうんだって時がありますよね。
ファイナルの時間になって逃げたのは、そういうことだったんですね。
響「パパにはもう会いたくない、音楽もやらない、パパは私の気持ち一生わからない。パパのせいだよ。パパのせいで音楽が嫌いになったんだよ」
響「その日パパは指揮者をやめたの。私のせいで」
ずっと、自分を責めていたのですね。
お父さんと過ごす日々、晴見フィルの人たちの演奏、天音さんのこと、色々あって、自分の気持ちを大輝さんに打ち明けられ、受け止めてもらい、お父さんからの手紙を読むことができたんですね。
お父さんの手紙が読めなかったのは、音楽のことが書いてあるかもしれないと思っていたんですね。
お父さんの気持ちを汲むようになった響。
お父さん「すごく狭い世界にいた。何もみていなかった。この5年で色々なことに興味がもてた。響に手紙を書いていたおかげで。イラストも上達したし。マイナス100点が0点になった」
響「昔、約束したでしょ。日本の甘栗。いつまでも買ってくれないから自分で買った。それからもう一つ。約束、覚えている?一緒に演奏するって」
ピアノも好きですが、ヴァイオリンの音色もいいですよね。
私がこよなく愛するリチャード・クレイダーマンのコンサートでも、一緒にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3人が来てくれます。
いつも素敵な演奏を聞かせてくれますが、今年はコンサートがないんですよね。
今年は、何を楽しみにしたらいいんだろうかと思っていますが、二人の演奏を聴かせてもらえて嬉しいです。
響から、「ごめんね、私、酷いこと言った」と謝る。
また、ヴァイオリンを弾き始める気持ちになった響。
私はもう大丈夫。前に進もう。帰ってきてくれてありがとう。
子どもは、親よりも成長するんだなと感じます。
次回、最終回か。
月日が経つのが早いですね。