映画の予告で、興味を持ち、公開を待っていました。

 《あらすじ》

 主人公は、サンドラ。ドイツ人のベストセラー作家である。

 フランスの人里離れた雪山の山荘に家族3人で住んでいる。犬の散歩から帰ってきた視覚障害がある11歳のダニエルが血を流して倒れている父親を発見する。家からはまだ、大音量の音楽が流れている。大きな声で母親を呼ぶ。母親のサンドラに声が届き、駆けつける。母親が救助を要請するが、父親はもうすでに息していなかった。

 父親の死には不審点が多くあり、事故死なのか?自殺なのか?妻の殺害なのか?法廷で明らかにすることとなった。

 不審死の前日に大喧嘩をしていることが明らかになる。

 妻は殺していないというが、「人はどう見るかが問題」だと弁護士は言う。

 事件の真相を明らかにしていくことで、11歳のダニエルにとって知らないこと、聞きたくなかったことも聞くことにもなる。

 父親の死で、出かけることも、食事もままにならなかったダニエルが、証人として、事件と向き合って、自分の信じる方へと導くのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 1回観ただけで理解するのは難しいな、なんて思った。何度か観て、少しずつ理解できるのではないだろうか、なんて思う。


 観る前は152分は長いなと思ったが、観たら長さは感じなかった。 


 1番の出だしに、犬のスヌープが階段からボールを落下させる。落下の始まりである。


 犬スヌープを全身洗ってから散歩に出かけたダニエルに、私は、なぜ?と疑問に思った。

 私なら、犬を洗った後に、散歩に行かないからだ。

 

 サンドラは、インタビューをしている。

 インタビューをしていると、夫が邪魔をしているんじゃないかというぐらいの大音量の音楽をかけて、終わらせるしかない状態になるのだ。


 大音量で音楽を聴いているところには、居たくないので、ダニエルは出かけたのでしょうか?大音量の音楽を聴く時は、何かがある合図なのか?お父さんに近づかない方がいいのか?夫婦喧嘩が始まるのか?なんて思ってしまった。

 

 雪山の山荘に暮らすことを希望したのは、夫である。雪山の山荘でリフォームして宿泊できるようにしていこうと思っていた。

 夫は、自分の時間が欲しかったのだ。

 教師をしていたが、執筆活動をしたかったのだ。

 リフォームも途中で、リフォーム代もかさんで教師をやめることができなかった。

 息子のダニエルが視覚障害になってしまったのは、自分の責任と感じており、そこから精神的に不安定になってしまっている。

 サンドラは自分の時間を確保し、好きなように過ごしいる。浮気までして、不公平さを感じる夫。


 サンドラは、フランス語が得意ではないのにフランスに住んでいる。夫婦の会話は英語で。子どもにも英語。私には、言語の壁があり、そこから不自由なんだと訴える。私は、あなたに執筆活動を勧めていて、無理矢理なにかをさせているわけじゃないという。


 サンドラは「なんでも、自分が不幸だと語るな。自分が不幸にさせているだけだ」と夫にいうのだ。  

 「死人に口無し」なので、真実がなかなかわからない。色々な真実を集めて、憶測で話が進められていくことも多い。

 サンドラの真実も分かりづらい。どれが本当で、どれが嘘なのか。自分を守ったりもするので、時折、怪しさを感じてしまったりするのだ。


 その時の気分を後から話すのは難しいのかも知れない。その瞬間でしかわからない心の動きだから仕方のないことなのかもしれない。人は振り返るのが得意ではないのかもしれない。

 自分が疑われたくないから、不利になるような情報は避けたいともなるだろうし。

 

 ダニエルの真実とは?今まで、見てきたというか、完全に目が見えないわけではないが、視覚障害になってから、聴いてきたことが全てだと思っていたが、見えてないこと、聞いてないこと、知らない真実を知ってしまい、何を信じていいのかわからなくなってしまうのだ。

 「自分の信じた方でいいのよ」というアドバイスにより、最後にダニエルは証言をする。


 登場人物の数だけ真実が語られるのだ。

 法廷は、さまざまな真実を聞いて無罪なのか有罪なのかどちらに納得する方が多いかにかかっている。

 

 スヌープを演じたボーダーコリーのメッシの名演技により、本当にあった事件なのでは?なんて思わせるぐらい引き込まれる。


 ダニエルの演技が素晴らしい。


 しかし、とても難しい映画だった。

 人の心は難しい。

 他人から見た真実も、自分から見た真実も、本当にあっているかなんて、誰もわからないのでは?なんて思ってしまうぐらいだった。


 ただ、夫は死んでしまったという事実だけが見える。


 どれが正しいかって判断するよりも、どれを信じて生きていくか、なんだろうな。

 

 同じ状況になっても、同じことを聞いても人それぞれ捉え方は違うのだから。


 コナンの映画のように、はっきり解決をしてくれない。


 無罪を勝ちとり、お祝いをしてるシーンは、サンドラの怖さを感じる。無罪であることに喜びがあっても、夫が死んでいる事実はある。あんなに笑えるだろうか?なんて思ってしまったからだ。


 でも笑顔の後に、セリフをきちんと覚えていないのですが、サンドラがヴァンサンに「無罪になって、もっと得るものがあると思ったが、そうでもなかった」というニュアンスの言葉を話し、ヴァンサンが「期待しすぎていたんだよ」と応えるシーンがあったが、あれは自分が無罪であることが証明され、最高の喜びとなると思ったのだが、そうではなかったと言いたいのかな。

 本当に無罪であったら安堵は確かにする。

 でも、心から笑える日はなかなかこなくて、ダニエルの視覚障害にさせてしまったのは自分であるという思いで暮らしていた夫のように、夫の自殺は、自分の責任でもあるという気持ちにサンドラもなってしまうのではないか?なんて思ってしまう。

 

 私のせいじゃないなんて、なれないような気がする。

 無罪であっても、これから息子と一緒に暮らしていくのは大変さを感じる。

 

 人を信じて生きることって、簡単ではない。

 でも、信じて生きるしかないと感じさせてくれる映画だと思った。