平和なゴミ拾いだったのに、とてつもないゴミを見てしまった。
珍しく、マックではないファーストフードの袋が落ちていた。
この二つを拾い
こちらを拾って、この公園を後にしようと思っていた。なぜなら、保育園の子どもたちが遊んでいたので。遊べているなら、ゴミ拾いしに中に入っていくのは邪魔になるだろうと思っていた。
でも、ちらっと見てしまった。
そう、このケンタッキーの紙袋は序の口だった。
ケンタッキーのゴミ。
私のネタ拾いに変わった瞬間だった。
この綺麗なベンチにタバコを捨てるとは。
飲みものも入っているし。
このゴミ、いや、ネタをズームしてみましょう。
縄跳びまで落ちていた。
これは、ゴミにしなくてもよいかと残しておいた。
横からみるとこんな感じだ。
そして、さらに違うベンチを見てみましょう。
こちらは、フライドチキン🍗の骨たち。
とても綺麗に召し上がっています。
動物がこの後食べたのかしら?なんて思わせるぐらい綺麗です。
横から見るとタバコもたくさんあります。
保育園の人たちのカバンがありますので、ここを長居するわけにはいかないので、サクサクっと片付けて行きましょう。
公園一帯がゴミ箱かしたようでした。
こんな中で、2歳〜3歳ぐらいのクラスの子達でしょうか?ここで遊ばなきゃいけないなんてお気の毒としか思えません。
まぁ、遊ぶ場所はありますよ。公園の周りにゴミたちがあるだけですからね。
でもさ、なんだろうな。
思いが溢れてくる。
今日のブログネタは、まずはこれだなと決まった。
さて、この場所を後にし、ゴミを拾いながら、このブログのタイトルはなんだろうかと考えた。
まずでてきたのが「哀れな人たち」
次にでてきたのが、「ルールを作る人たち」
そして「成長をやめてしまった人たち」
あとは、「自由を履き違えている人たち」
「自己主張する人たち」
この行動は、自由ではなく自分勝手と思ってしまった。
仲間がいた時だけ気が大きくなってやってしまうのかわかりませんが、
昨日書いたように一人でも平気で散らかすことができますので、集団だからとは一概に言えません。
多分、何をやっても自由だろう、自由を欲しがる人たちなんではないか、と想像してしまいます。
こういう人たちがいるから、ルールが増えるんだろうなと思うのですが、どうでしょうか?
自由がわかっていれば、自分の責任は何かがわかるから、わざわざルールはいらないのです。
なぜ、大人になってこういうことをするのでしょうか?
それは、子ども時代、意味がわからず、あれやこれやと指示されて動かされてきた。わからずに大きくなってしまい、振り返ればなんだか窮屈な子ども時代、面倒くさいことばかりと思って過ごしていたんだろうなと思います。
子ども時代に無理矢理勉強させられ、やっと大人になり解放されたんだろうと想像します。
子ども時代に色々なことを無理矢理成長させられてしまったのでしょうね。だから、大人になっても成長することが大事なことだとわからず、大人になった、これで勉強しなくていいぞとなって、解放された状態が、ポイポイ捨てることになっているんだと思います。
小さい頃は、色々と疑問があっただろうに。
憧れは、自分勝手な行動をしている人だったんでしょうかね。
大人になって、怖さがなくなりましたか?
大人になること、行動の責任をとることって、怖いものだと思うけどな。
自由と自己責任の取り方って、どこで学ぶんでしょうか?学力も大事ですが、子ども時代にもっともっと大事なことを学んでおかなきゃいけないことあるんじゃないかなぁと思います。
ゴミをポイ捨てすると、生きやすいですか?
大人って、なんでしょうね。
大人になって随分経ちますが、よく考えます。
大人になったら、成長しなくていいわけじゃない。自分を進化させていってくださいね。