今回観に行った映画は、1985年、スティーブン・スピルバーグ監督が手がけた名作映画「カラーパープル」をミュージカル映画としてリメイクしたものです。

 たまたま、映画館に向かう時、小学生の二人組が会話している声が後ろから聞こえてきました。
 「ねぇ、◯◯ちゃん、何色が好き?」
 「私はオレンジが好き」
 「紫色が好きな人って、サイコパスなんだって」とお話をしていました。

 心の中で、「今からカラーパープルという映画観に行くけど、サイコパス映画じゃないけどなぁ」と勝手に会話しました。


 いつの頃からだろうか?子ども用品紫系が多くなったなぁと思うし、ランドセル、紫の子多いと思うんだけど。私が子ども時代だと、紫って、お年を召した方が好きというイメージだったんだけどね。

 なぜ、紫好きは、サイコパスって言われるんだろうかと思いました。

 
 
 さて、映画ですが、あらすじで選んだので、ミュージカル映画であることを知らずに観に行きました。なので、初っ端から歌い出してびっくりいたしました。


(ねぇ、観てきた映画、ミュージカル映画だったと旦那に伝えると、知らなかったの?と。予告で言っていたよ、だって。映画の予告、記憶にないんです)

 みんなが歌って、踊っているシーンの中で、歌詞の字幕を読んで、話を理解していくので、話の内容を飲み込むまで時間が必要でした。こういう時は、そのまま聞き取れる人が羨ましいです。

 優しい母親を亡くし、セリーは、横暴な父に性的虐待を受け、二人の子どもを産みます。産んですぐ父親に、神に捧げる子だと取り上げられてしまうんですね。

 二人も産ませるのかとビックリしてしまいました。想像するだけで、辛く悲しい状況です。これを乗り越えていくなんて大変なのに、更に、辛い状況なんですよね。


 セリーは、言われるままにするしか方法がありません。ある時、あれは自分の子だという子を見かけます。でも、父親は仕事サボっていないかどうか監視していて、お前は今、何をやっていたのかと怒鳴るんですよね。

 なんであの時代の男性は、すぐ威張るしかできず、それで、生きる意味をなしている人が多いんでしょうか?周りはたまったもんじゃないですよね。

          
 1909年のある日、妹のネティに好意をもつ、3人の子どもがいる、これまた横暴な男ミスターがやってきて、ネティとの結婚をお願いしにやってくるんですよね。
 ネティは、頭が良いから、将来は学校の先生にさせるからだめだと父親は言い、セリーなら良いと牛と交換で差し出すんですよね。


 3人の子のためにしぶしぶ承諾するミスター。望まぬ結婚を10代でしなきゃいけないセリー。

 セリーを奴隷のごとく扱うんです。自由がない生活。少しでも気に入らないことをすれば、暴力を振って最低な男です。


 セリーがいなくなってから、今度は、ネティに手を出そうとする父親。

 ネティは姉に助けを求めてミスターの家に住まわしてもらうんですが、妹に好意を寄せていたこともあって、寝ている時に襲おうとするんです。最低な奴ですよね。ミスターは常に自分のことしか考えられない奴なんですよ。


 ネティは、自分を守ろうとするので、ミスターは逆鱗し、銃を向けるんです。2度と顔を見せるなと。自分勝手な生き方だから、怒り方が尋常なんですよね。


 このことでセリーは、唯一の支えであった最愛の妹と生き別れしてしまうのです。去る時に、必ず手紙を出すからと伝えて、手紙を書き続けたネティ。

 でも、みみっちいミスターは、手紙を隠すんですよね。


 物語は、数年後を描き、また数年後を描き、そして、また、数年後が描かれて、40年弱の月日が描かれ、また、新しい人生がスタートされるだなと思わせてくれる映画でした。


 ただ、耐える人生から闘ってきた、なぜ支配されなきゃいけないと自立した強い女性、ミスターの息子ハーポの嫁ソフィアと、歌手になる夢を叶えた牧師の娘シュグと出会うことで、自分も闘って、自立した人生を目指すようになっていきます。


 ハーポは、ソフィアが好きですが、自分に従わないことに困り果てます。どうしたら良いか?とセリーに相談します。セリーは、暴力を振れば良いと伝えるのです。自分は暴力で支配されて辛いのに。

 ソフィアは、セリーになんてことを言うの?と。

 ここの生活で、唯一心を許せる人と思っていたのに。

 セリーは、ソフィアに嫉妬していたことに気がつくのです。


 夫の愛人であるシュグとの出会いで、ネティの手紙の存在を知り、ミスターの名前をはじめて知ります。シュグとの出会いが人生を大きく変えていくのです。

 

 シュグとセリーが一緒に歌う歌、ハーモニーが最高に良かったです。この映画というより、この歌を聴けて良かったと思った場面でもあるぐらいです。

 

 ある時、ソフィアは、白人女性にメイドにならないか?と声をかけられます。そんなお役ごめんだと断るのですが、強引に事を進めようとする白人たち。権力を振りかざして、ソフィアは牢獄生活を強いられてしまいます。

 黒人女性と生まれただけで、どうして? 

 なぜ、人は上下関係を作ろうとするのでしょうか?

 ソフィアは、生きる力を失いかけますが、毎週来てくれたセリーのお陰で、そして、セリーが強く、逞しく、自立していくことで、生きる力を取り戻していくのです。


 シュグがセリーの奴隷生活から救います。

 ミスターがセリーに卑下する言葉を投げつけますが、セリーはシュグの愛により、逞しく、言い返すのです。あなたは、私のことをそう思っている限り、あなたは、幸せになれずに暮らしていくと告げるのです。


 シュグの人生は、セリーがいうように幸せになれない人生を送ります。

 

 妹のネティの人生も壮絶でした。

 父親の願いである学校の先生になることも、父親自身が潰しているのです。

 逃げた先で出会う牧師の夫婦との出会いで、セリーの大切なものと一緒に暮らせて、いつか姉に会うことを目標に生き抜いてきたのだと思います。

 ミスターの家から出ていったことを知らないネティ。なので、ずっとミスターの家に手紙を送り続けます。ある時、もうどうにもならなくなり、姉に助けを求める手紙を書くのです。

 それを読んだミスターは、自分の人生を振り返って悔い改めて動いてくれるのです。


 セリーは父親が亡くなることで、父親とは血のつながりがなく、店は姉妹に相続していてくれていたことを知ります。そして、そのお店で、母親から教わった縫い物で生計を立てていくのです。


 男女関係なく、誰もが使えるものを作って。

 お母さんが教えてくれたものが役に立つんですよね。自分ができることを持たせてもらえた、これって大事だなと思いました。


 神様が作ったものは素晴らしい。全てが素晴らしいものであることを教えてくれる物語です。

 自然の中にパープルのカラーがあるのは、神が素晴らしいものを作ったことを教えてくれているのです。

 辛い出来事そのものは、神が与えたものではなく、人が作ったものであるということ。

 神様は、どんな人にも許して迎入れてくれるのです。

 ラストが素晴らしい。みんなの歌声を聴くことで、観て良かったと思わせてくれるシーンでした。

 

 セリーの役をやっているファンテイジア・バリーノの歌声が素晴らしかった。

 シュグの役のタランジー・P・ヘンソンの歌声も素晴らしかった。


 自分を好きになるには、やはり、愛してくれる他者がいてくれるかどうかだと感じる。

 同じく、自分がどのように人を愛するかだとも思った。自分が愛したものが、相手からも愛で満たされた時に、自分が好きであると感じとれるのだ。

 どんなにこちらが優しくしても、愛が返ってこない生活は地獄である。

 逃げる場がなければ、今の状況を受け入れて、心を麻痺させて、我慢していくしかないのだ。

 

 神様は、どんな人も素晴らしいものを持たせてくれていて、どんな人も卑下してはならないと教えて下さっていると思わせてくれた映画だ。どんな人も自分を愛するように神様はおつくりになっているのだと感じた。

 本来自分を好きになるように、愛するようにつくられているのだから、自分を好きでいられる生き方をして良いのだと教えられた気がします。

 

 パープル系の花って、素敵ですよね。

 『カラーパープル』の映画は、そう教えくれます。

 自分を好きにならないでどうする。そして、生きる力を教えてくれる映画でした。