公園の一角に、雪かきした雪山がありました。周りには、カラーコーンが置いてあります。バーもされていましたが、いつの間にか、半分だけバーがついており、半分はなくなっておりました。なぜ、半分だけになってしまったのでしょうか?

 大分、雪も溶けて、その雪山と日陰のところに少し雪が残っているぐらいでした。

 その雪山の上で遊んでいる子がいました。ソリを走らせようとしていましたが、ソリの大きさより少しだけ高い山という感じでしょうか。滑らせてもすぐに地面です。
 山の上から、ソリを走らせようとしていましたが、傾斜があるので見ていて危ないと感じました。
 雪かきの雪山って、傾斜ありますよね。


 一旦、通り過ぎて、ポールがある以上お話しをしに行きました。
 「さて、ここには、なぜ、三角コーンがあるのでしょうか?」と質問してみました。
 「知りません」と即答

 「あら、そう。これは、入ってはいけないという意味です。遊ぶと怪我をします」と伝えると

 「怪我してもいいでしょ。私、毎日、転んでいるから」と返事がきます。

 「あっ、そう。雪が溶けて、遊ぶところがここしかないから遊びたい気持ちはわかる」といえば、

 「あっちにあるけど?」と返事が返ってきます。

 「じゃあ、あっちはコーンがないから、あっちで遊べば?」と言うと、

 まだ雪が残っているところに遊びに行き、きゃーと楽しむ声が聞こえてきましたが。

 話しかければ、事案になる時代です。
 私も滅多に注意はしません。
 他人の子とお話をするにはエネルギーが必要です。全く知らない子に話すには勇気が必要ですし、手探りですからね。


 旦那からは、「あなたは、女性だから大丈夫だよ、僕だと事案になるからね」と言われます。

 犬の散歩の時に、旦那に雪山を遠くから見てもらいました。「あれは、確かに危ないかもね」と。「ソリで滑ったら、すぐ地面だから、顔面からいくかもね」「怪我して学ぶこともあるけど」「よその子を注意するのって大変だよね」とも言われました。

 以前、子どもが小学生の時に、筆箱を持って校庭にというシーンで、うちの子、筆箱持つの面倒だから、鉛筆をボケットに入れて出かけようとしている時を見かけて、「ちょっと待て。転んだ時に危ないでしょ」と説明したら、「転ばないもん」と返事が返ってきました。クラスメイトは、「なるほど、そういうことか」と、筆箱を持っていく意味を知ったようです。
 この時、子どもは、意味を知らないことが多いのだ。言われたから、そうしている。わからないけど言われたから素直に話を聞いているだけなんだと知ったのです。
 
 うちの子に、この雪山の話をしたら、「なんて、生意気な子だ」と言っていました。「えっ、あなたが言います?」とびっくりです。

 小学生の頃も今も変わらず、ずっと人の話、素直に聞きませんけど。わかってます?屁理屈ばっかじゃん。私、結構、苦労しているんですけど。
 他人の事だと分かるんですかね。

 怪我するのは大事です。

 考える機会を奪ってはいけないんですけどね。

 三角カラーコーンがある以上、遊ばせてはいけないかな、と思って行動いたしました。

 これで良かったかな?なんてすぐに悩んでしまうんですけどね。