「ゴミ拾いに行ってくるね」と旦那に言うと「ほどほどに」とか、「今日は天候が悪いから休んだら?」とか、「今日は出かけるんでしょ。ゴミ拾いでクタクタになって、出かけている最中に発作起きるよ。帰れなくなるよ」と止められたり、「根詰めないように」と言われてしまいます。現にそうなっているので、ぐうの音もでないです。
「ゴミ拾わなくっても、観察日記つければいいの。このゴミがどうなっていくのか?面白いものが見えてくるかもしれないよ。あなたがやらなくてもいいんだよ」と旦那からアドバイスされます。
なので「ネタを拾いに行ってくるね」と言うことにしました。
ゴミ拾いは、運拾いでイメージがそんなに悪くないと思うんですが、私はつい、やり過ぎて、夜になると反省会していたり、ぐったりしていたり、お風呂の湯船に浸かったら、パニック発作が起きるぞという状態になってしまいます。
ゴミだから、ついあれもこれもと拾ってキレイにしなきゃと言うマインドになってしまうんですよね。あー、今日も完璧にできなかった自分で終わらせてしまうんです。
社会問題を一人で片付けられないの当たり前なのに。ゴミを捨てた人が成長しないのが問題であるのに。私が完璧にキレイにできなかったから、誰かに迷惑かけてしまうとなってしまうんですよね。
自分を褒めてあげること、なかなかできないんです。完璧にキレイにできなかったんですから、「褒めるところありましたっけ?」って感じなんですよね。
自分が今できることやってきたんだよ、今日、スッキリさせた場所あったね、と自分が褒めないでどうするのとカウンセラーさんにも言われました。ついこの間のカウンセリングでも、「完璧求めてる。そこそこ」と。「ゴミ拾いは、良い訓練になっていますね」って。
そこで、「ゴミ拾い」を「ネタ拾い」に言い換えることにしました。そうするとマインドが変わってきます。
私にとって「ネタ拾い」は、「ゴミ拾い」よりももっとプラスなイメージになっていきます。ネタにならないものは見逃しても大丈夫になるんです。根詰めてやらなくなってきます。
今日も良いネタが見つかったと思うと有難いものになってきます。
「ネタ拾い」は、私に気づきを与えてくれるものにもなるので、面白いですよね。
「なんで、増えているじゃん」とか、「なんで、やらないだろう」と思うことは多々あります。「なんて汚いゴミを捨てるんだと思うこともあります」が、汚いゴミも、ネタになっているんですから。
素晴らしいですね。