今日、私の父が亡くなりました。
もともと、肝硬変や心臓が弱く
体が丈夫ではなかったのですが
筋肉隆々だった父の晩年は
骨と皮のように痩せこけて顔色も白く
帰省するたびに
あまり長くないなと感じていました。
波瀾万丈で、、
破天荒で、、
口下手で、、
あまり喋ることもなく
最期は心不全で急に旅立ってしまった、、
いつも家族を困らせてばかりの父でしたから
父が死んだ時『私は悲しいと思えるのか?』
そこも不安でした
だけど亡くなると悪い思い出なんて
浮かばないものですね
私の実家は
ここから100キロ近くあり
今から帰るにしても
この大寒波で大雪の為通行止めらしく、、
たぶん明日もすぐに父の元へ駆けつけることは
できないでしょう
子どもの時から
父にどこかへ遊びや旅行に連れていって
もらったりした記憶があまりなく
あまり子ども好きではないんだなあと
家庭的な父の温もりを知らず
とても寂しい想い出の方が多いのですが
母が私にしてくれた話の中で
私も鮮明に覚えてることがありまして、、
私が5歳か6歳の頃
近所のお友達と遊ぶなか
私だけ自転車を持っていなくて
走ってお友達のグループについて行ってたらしく
それを母が可哀想に思ったのか
父に言うと
誰よりもいい自転車を買い与えてくれたそうです
今でも覚えています。
色はパステルグリーンで
青リンゴのイラストが描いてあり
当時の私は
あまり気に入ってはなかったのですが
友達の誰よりも精度がいい自転車だ
ということは子どもながらに感じてました
あともう一つ
私が中学3年生の頃大好きだった彼が
別に好きな人ができた、と
お付き合いを断られた時
それも後で知ったことですが
私を可哀想だと思ったのでしょう
阿蘇山までドライブへ連れて行ってくれたんだと思います。
阿蘇山から帰る道が
どんな草が生えていたか?気温がどうだったか?
強く覚えています
こんなことを回想してると
涙が止まらなくなりました
やっぱり血が繋がっているのですね😊
父は祖母の話によると
小中高と
成績も何百人もいる中でいつも上位で
優秀だった
スポーツも得意で
運動会や体育祭では全校リレーだった
どこでどう間違えて
あんな風になったのか???
ごめんなさいねといつも祖母は
私達孫に謝ってました笑
だけど今の私があるのも
全て父の反面教育のおかげです
私の反骨精神や最後まで貫く強さや
精神力は
全て父が知らずして反面教師として
私を作ってくれた
と心からそう思ってます
お父さんへ
来世で会う時は
もっと仲良くできる親子でいたいです
たくさん話もしたかった
たくさん甘えたりしたかった
だけど
私をここまで成長させてくれたから
またあなたの子どもとして
生まれてきてもいいかなあって思ってます
あまり会話を交わした思い出は数少ないけど
喧嘩ばかりの親子だったけど
やっと私があなたを父親として
選んで生まれてきたご縁が
わかりました
まためぐりあおうね お父さん
ありがとう
2023年1月24日
娘より
〜備忘録〜