保育園等について。「分断して統治せよ」の言葉を聞いたことがあるでしょうか。

邪悪な存在たちは庶民たちを分断して力をそごうとします。例えば児相関連の話を聞いていると

こどもたちへの監視というかケアが叫ばれていますが

それってちょっと昔の日本なら「ご近所ネットワーク」でやっていたことじゃない?と感じました。

 

子供は皆で育てるもの、誰のこども等関係なく、面倒を見て声をかけて、見守る。友達のこどもが気軽に家に来て、

仕事が遅くなると言えばご飯を食べさせてあげる。など

 

ご近所づきあいという文化を破壊し、繋がらぬ他人同士にしてわざわざ税金をかけて余計な費用をかけて児相というものを生み出したのも「ご近所ネットワーク」子供は皆で育てる文化という意識が希薄になったからなのでは?

 

民衆がこどもの安全を守ったり見守りの機能を果たしていたものが、破壊され、児相という大きな機関に機能が移されているでしょう。

しかも児相はこどもの連れ去り、警察や弁護士よりも強大な権限を持ち、児相の一存でどれだけこどもを隔離しておけるかを決められるなど「異様な」力を持っています。もちろん、良い方向に働くことの方が多いと思いますが

証拠不十分での「連れ去り」そして「返してくれなくなったり」その間に虐待を行ったり、なと少数のケースで問題が見受けられています。

 

児相というのはシェルターになる一方、間違えれば親から子供を引きはがして隔離する機関にもなります。

 

 

 

 

 

保育園が足りない問題はかなり前から言われていますね。入園させるためのお金もバカになりません。私は思いました。

「保護者同士、集まって交代で子供の面倒を見ればいいのではないか?」と。。

 

分断して大きなものに任せる、ではなくて小さいところで協力していく、共生していく流れだと思います。人間は助け合って生きていくのが自然で、子育ては家庭だけで完結させなければならない、などという考え方は長い人類の歴史から見れば非常に稀だと感じます。例えば子育てママlineグループで預けられるところを適宜探して親同士、仲良くなり交代で預けあえれば心強いと思います。

何かあればすぐに話し合えますし、預ける、預けられる、以外の関係性も出来てくる。

 

保育園、など決まった形式だけではなく保育士の資格を持つ方が自宅で何人か様子を見る、など。

 

今現在だと、このように大きな組織が壊れていくので、小さなものへの転換、そして庶民同士の協力が重要になってくると感じました。いまや税負担率は5割!を突破し正直働いた半分のお金は使い道もよくわからず国家に取られている状況ですから

こういった施設を利用するために働いてお金を稼ぐにしても大変。なら、親同士の預け合いこそ人間関係も構築できるし「コスパが良い」と感じます。

世間では何かとコストパフォーマンスと言われておりますがやはり協力してお金のないところで力を貸しあうことで究極のコスパを実現できるのではないかと思いました。

 

人と人とのつながりや絆、協力こそが大きな組織がガラガラと崩れ去る中で重要になってきます。助け合うのが本来の人間の姿だと感じます。「お上」というのがガタガタになり訳の分からないことをして幻滅され勝手に自壊していく過程でより庶民同士のつながりが重要視される流れになると思います。