なんのための公園か
事務所のトイレ工事は中盤に突入した。
現在はモルタルを塗り終え、
タイルを張っているところ。
そんなもんの画像をアップしても
誰も喜ばないだろうから今回は文字のみ。
待望の便器は金曜に取り付けられるらしい。
したくなると別フロアの関連会社のトイレを借りたり、
近所の漱石公園へ行ったりする。
漱石公園というのは文豪・夏目漱石が晩年を
過ごした場所の跡地。
新宿区早稲田の団地の裏にある。
我が事務所からは徒歩2分だ。
ついこないだまではやや放ったらかし気味の
草ぱやぱや、地面は土のいかにも空き地的な
公園だったのに、なんということだ!
今回、トイレを借りに行ったれば
地面は加工され固められ、草は刈られ、
ベンチはなくなり、その代わりに石でできた
座れば冷たくて年寄りの腰には毒になるだけの
ちっぽけな腰掛が置かれていた。
そして、漱石ゆかりの品物わずか数点を
陳列しただけの展示小屋が
新たに建てられ(なのに駐在員がひとりいる)、
さらに公園内「ボール遊び」禁止の立て看板が……。
この公園は広くないので
高校球児が使う硬球、バスケやサッカーのボール、
あるいはゴルフボールなどなら確かに危ない。
けれども幼児や小学校低学年の児童が使う
ゴムボールや柔らかいカラーボールぐらい
いいではないか。
どんなボールなら危険で、どれなら安心か、
そういうことを子供に考えさせる機会を奪っている。
目の前の団地の子供たちはこの公園を愛せるだろうか。
なんでも禁止してしまう大人たちを信頼できるだろうか。
「周りの人に迷惑をかけないように注意しながら
遊びましょう」、というのが本当の公園、
おおやけのその、ではなかろうか。
バイクだってそうだろう。
3ない運動に苦しめられた世代の私は
こういうとき腹が立って仕方ない。
免許を取らない、バイクを買わない、バイクに乗らない。
大人たちはそれを僕らに強いた。
取るならこう乗れ、だとか、
乗るならこう乗れば安全だ、だとか、
教え、育ててくれればいいのに。
禁じるだけでは教育の機会の放棄だろう。
話が横道にそれてしまった。
文豪・漱石だって首をかしげているのではなかろうか。
偉業を称えるには小さすぎる展示小屋、
わざわざ駐在員をひとり置くことの税金のムダ遣い、
子供の歓声が聞こえない殺風景な公園に。
3ない運動に関してはともかく、
漱石公園の件、すべておっちょこちょいの私の
大いなる見当違いならいいのだが。