例年と比べて、梅雨に対するイメージが幾分良い気がする、今年の心情。
熱を冷ましてくれるような、何か足りないものを埋めてくれるような
落ち着いた想像を掻き立てるのかもしれません。
何か月ぶりだろう。
主宰です。
降り立つ場所を探して、上空を漂っています。
週間天気予報を見て、久しぶりに雨が続いてて、
あ''ー洗濯物どうしようとか考えてたんですが、
そうですね、梅雨なんですよね。気付きました。
僕の尊敬する、とある方の言葉があって、
その意図を正確に把握できているかはわからないけれど、
この言葉が正しいかどうかもわからないけれど。
個人的な体験は共有が難しい。寄り添うことはできるけれど、共有はできない。
だからこそ芸術が必要だと思っている。
芸術作品を通して、個別の体験を超えて、体験の核を共有することができる。
という。
かつて再現しようと試みた僕の青も、やはり共有できるものではなくて、
それを押し付けてしまったから、役者にも見る人にも。
滲むように広がっていくことはなかったんですが。
青は綺麗だと、妄信していたんですが。
僕が持っていた体験は、共有する必要も無いほど小さい。
だから。
梅雨です。
泣くこと、について、考えようと思います。
新しい人たちに、泣くことへの思いを、尋ねてみようと思います。
僕のものだけではない、新しい人たちの、泣くこと、を集めようと思います。
幼い子-Tiny-は感情豊かだし、一人ぼっち-Alone-は寂しいけれど、
それぞれ違った泣き方があって、
空っぽ-Empty-になってしまうことが、一番怖い、と思う。
現実を集めるけれど、できることならば、この泣くこと、の集合が、
私たちの気付かない場所で回転する、自然の摂理に重なるといいな、と思います。
リハビリ。もうすぐ、きっと。