ポケモン人気は衰え知らずですね。
ポケモンが生誕して30年、今や世界を代表するIPとして君臨しています。ディズニーを凌ぐ人気だそうです。
今がシュンです。S的雑談します。
JR東日本では夏休み恒例のポケモンスタンプラリーが始まりました。
スタンプ目当てに親子連れが大行列です。関西万博の行列を思い出しました。日本人は行列には何の抵抗もございません。ものすごい長さです。このクソ暑い中、よくこんな行列を並べるなと。屈強ですね。そのメンタルとタフネスを他に活用できないものなのか。
行列に並ぶことは生産性とは全く関係ないからね。
かつて代ゼミも人気講師の授業の際には席を取るために大行列ができてました。代ゼミ以外でも人気の授業では行列できてましたね。
今、予備校の授業で行列ができることなどあり得ません。隔世の感がございます。
浅草木馬館もかつてはヤバかった。外階段の扉を開放して、そこで立ち見までできていたくらいです。しかもきちんと木戸銭は徴収してます。3時間もよくあんなところで立ち見できましたね。
まあ、並んでいたのは里見要次郎など関西の役者ばかりでした。その前は梅沢富美男でしょうか。
東京の劇団はそこまででもなかった。木馬館から小岩湯宴ランドへと主戦場が移っていった。それが今日に至ってます。危機管理なんてものはなかった。
そもそも、体調管理自体できない役者が多かったからね。名優と呼ばれた役者は意外と早逝でした。長生きしたのは若葉しげるとかひと握りですね。
先のことなんて考えられないんですよ。後継者どうしようとか、不人気になったらどうしようとか。
戦う前から負けることを考えるバカなんているかよ。
人生とはまさに博打です。のるかそるか。宵越しの金なんて持たない。無くなればどうにかなる。
当時の関東の役者は「競馬行ってくるから金くれ」というひとが多かったそうです。「嘘でもいいからもっと別の言い訳すればいいのにね」なんて言いながらお小遣い渡していたらしいです。無頼漢ですね。
またお玉の亭主をやってるよ。
またでんすけやってるよ。
大衆演劇は毎日違う舞台が観れることが売りにしているはずですが、そんなのは役者の匙加減ひとつでした。めんどくさい時は楽な演目を繰り返すことも多かったそうです。
夏のクソ暑いときはソーメンで済ませたり、残り物のカレーで済ませたりするような感覚ですね。
どうせ言ってもお玉の亭主でしょ。別にいいや。
雑談をウリにしているはずの予備校講師が毎年同じような話を繰り返すようなものですね。そもそも、何年も浪人するのもどうかと思うけども。
大衆演劇が衰退していったのは露骨な手抜きもあると思います。
稽古不足も客は待たない、恋はいつでも初舞台。
やっつけ仕事のような舞台ばかりやっていたからマンネリ化して客が離れていった。
一部の熱狂的な信者はそれでも通い続けていたけど、にわかファンはあっという間に飽きてしまった。飽きられたのです。アキアキされたのです。
石川さゆりみたいに天城越えと津軽海峡冬景色を交互に歌い続けるくらいの覚悟があれば別ですけどね。
お玉の亭主とお伊勢帰りしかやらないという覚悟があってやっているのであれば。
この場合、別に覚悟があったわけではなく、新しいことを考えるのもやるのもめんどくさかったから惰性でやっていただけですからね。そりゃ飽きられるわ。
東京の劇団は健康ランドに追いやられ、関西の貪欲な劇団に席捲されました。
さすがにヤバいことに気がついたときはすでに遅かった。
違和感を覚えて医者に行った時には末期がんだったようなものです。もう、手の付けようがなかった。
生活習慣病、認知症。大体手遅れになります。誰もが正常バイアスに支配されているから。
自分はまだまだ若い。これくらい大丈夫だ。
富士山に登ったら降りれなくなった。こんなはずじゃなかったのに。
自分の頭の中で思い描いている自己認識と実態は往々にして乖離しているものなのです。
ポケモンみたいに黙っていても千客万来ならば安泰なのかも知れないけど。
実はポケモンはポケモンで飽きられないように毎年いろいろと仕掛けているんですけどね。スタンプラリーもその一環です。
大衆演劇はそういう仕掛けがほぼないから。良くも悪くもマンネリの極地ですから。
予備校講師は毎年のように浪人生が入れ替わり立ち替わりでばんばん入ってくる時代ならば、そんなに集客も苦労しなかった。講師が多少いい加減なことやっても上書きされていったからね。宣伝なんてしなくても勝手に生徒が集まった。ネットがないぶん、口コミが大きかった。客が客を呼んだ時代だった。
東進は講師は基本的に授業さえすればよくて、営業はスタッフが頑張るという分業制がきちんとできていた。それが代ゼミや駿台との決定的な違いだった。気がついた時はすでに遅かった。
今でしょのブレイクは引き金に過ぎなかった。東進はえげつないくらいの地道な営業が功を奏したのではないか。
大衆演劇は呼び込みして集客するようなものでもなかった。おねりとかやり始めた頃は時すでに遅しだった。今さらジローだった。
ネットでバズるなんて夢のまた夢である。大衆演劇ってそういうものではないからね。ある種のぺてんにかけるようなものだから。
大衆演劇ブログは単なる自己満足です。別にそんなの誰も求めてない。どうせ自己満ならば、面白いことを書くべきだ。面白いとは何か。惰性で書いてもしょうがないということだと思う。もっと追求するべきだ。
舞台も答えのない世界だからね。その日はたまたまウケたとしても、後日同じことをやっても同じようにウケるとは限らない。
ポケモンはなんであんなにウケるのだろうか。
大衆演劇もポケモンみたいになれば左団扇なんだろうけどね。
ポケモンは本当に息が長い。下手な演歌歌手なんかよりも息が長いからね。
当時幼かった西谷の息子が描いたピカチュウの落書き、もとい、イラストをテキストに載せていた。その息子も大きくなったのではないか。
当時幼かった酒井の息子がピカチュウで喜んでいたと授業中に話していた。その息子も早稲田大学に入学して横浜校でチューターをやっていた。現在は卒業して立派な社会人らしい。
ポケモン、息が長すぎる。
まあ、西谷も酒井も代ゼミで現役の講師だったりするけども。
ポケモンといえば大衆演劇とは切っても切れない間柄である。
かつて主人公のサトシの声優は松本梨香、父親は大衆演劇の座長で、松本梨香本人も舞台に出ていた。
大衆演劇から飛び出して、声だけで成り上がってしまった。
このように大衆演劇はポテンシャルはあると思うのだ。梅沢富美男然り、早乙女太一然り。
いくらポテンシャルがあってもうまく合致しなければ結果は出せないんだろうね。それは大学受験にも通底すると思う。
大衆演劇はその業態ゆえに惰性になりがちなのだ。
どうせ暇なんでしょ。
大衆演劇の本質を理解するうえでこれ以上の言葉はない。
なんとなく適当にいい加減にやってもそれなりに成り立ってしまうのが大衆演劇ではないか。
馴れ合いこそが末期がんだった。
今がシュンでした。ジャーニー。