もしも大衆演劇界隈が第二の梅沢富美男を探せと大々的にオーディションをやったらどうなるだろうか。


苗場プリンスホテルの上級者コースばりに滑ると思います。直滑降、斜滑降、ボーゲンの腰つきだよ。


大衆演劇なんていう萎え場にわざわざやってくる物好きなんていない。自称ブロガーとかいまさら時次郎くらいしか来ません。そな、クソの役にも立たへん。インポテンツです。


かつて石原プロが第二の石原裕次郎オーディションを大々的にやってはみたものの、石原プロは解散してますからね。石原プロでさえ滑ったというのに、大衆演劇が同じようなことしてどうするの。


もう、梅沢富美男の幻影からは離れるべきです。梅沢富美男が下町の玉三郎と呼ばれたのは40年以上も前です。ふた世代前ですからね。おじいちゃん、おばあちゃん世代の話ですから。いまさら時次郎が現役でビンビンだった頃の話ですからね。


大衆演劇にとって梅沢富美男はレジェンドかも知れないけども過去の人なんです。


今ある乏しい資産を最大化するしかないんです。


里見要次郎を筆頭にレジェンドはそれなりにいますからね。外に発信しようなんて考えずに内側を温めることを考えた方がいいかも知れません。


内側が冷え込んでるから大衆演劇が急降下してるわけだ。


かつてならば川崎大島劇場がガラガラなんてあり得なかった。あの程度の広さならば満員だったはず。


三吉演芸場がいくら辺鄙なところにあるとはいってもガラガラなんてあり得なかったはず。


要は近所の人が見向きもしないことが最大の問題だと思うんだよね。新潟の古町演芸場然り。


木川劇場は近所の人で盛り上がっていたのか?あの周辺の雰囲気から察するとロストワールド、アナザーワールドになっていたような気がするのだ。


商店街自体がシャッター街だったからね。スーパーしか客がいない。アレでは劇場があったところで誰も入らないだろう。駅からすこぶる遠いというのもあるけども。近所の人が来るしかないような劇場のはずだ。


前進の十三ミュージックは送迎バスを出してたらしいけどね。そこまでしないと集客できない立地なのだ。なぜあの近辺に如何わしい店が集まったのだろうか。少し気になりますね。


大衆演劇とストリップは切っても切り離せない関係にある。そこらへんも含めてなかなか興味深いのだが、一般的にはどうでもいい世界なのだ。


大衆演劇とはまさにアナザーワールドである。


近所の人が見向きもしないから遠征客を当てにするしかない。その状況を長年放置してきたヤキが回ってるような気がする。


そうはいってもスーパーやコンビニみたいに近所の人が日常的に利用するものでもない。銭湯ならばともかく、劇場となるとさらにハードルがあがる。


大衆演劇は生活インフラではないからね。


やはり文化的価値を高めて大衆演劇のIP化を進めていくしかないのかも知れない。


でも、音楽と違って演劇は本来、広い劇場で観るようなものではないからね。


音楽ならばライブハウスからスタジアムまで届けることができる。


大衆演劇を東京ドームでやったとして見えるのはせいぜいアリーナから三列目くらいまでだろうし。全く意味がない。


代ゼミの63B教室で後ろの方で授業を受けても黒板見えないからオペラグラス使って授業受けてる人とかいたからね。


その結果、映像授業の方が主流になった。大教室でいくら盛り上がっても黒板が見えなきゃ意味がないし、映像ならば好きな時間に何度も繰り返し観られるからね。


芝居は生でないといけないとすれば、詰め込んでも300人くらいが限界ではなかろうか。500人も詰め込んだら後ろの方の人とか見えないだろうし。ただでさえ老眼だというのに。


大衆演劇の問題はその小さな劇場でさえ客が入らない。集客できるのはひと握りというのが最大の問題だ。


木川劇場が仮に連日連夜100人以上集客できていたとしてもいずれは老朽化で閉館しただろうけどね。雨漏りもしていたみたいだし、劇場に建て替えるくらいならば融資する金融機関もマンションにすることを勧めるだろうし、合理的だろう。


限られた場所で限られた劇団しか集客ができない。


地下アイドルに2.5次元など似たような業態も存在する。


AKB48も秋葉原で専属の劇場から盛り上げたことから考えると大衆演劇もうまくやれば集客できる余地は残されているような気がしなくもないわけで。


まあ、大衆演劇はAKB48みたいにモブおじが熱狂するようなコンテンツではないけども。


それならばK-POPアイドルみたいな売り方はできないものか。K-POPがひまわりならば大衆演劇は月見草である。そこまでシャイニーなものではない。


大衆演劇、今のままでは現状維持も厳しいと思われる。落ちることはあっても上がることはないからね。中高年みたいなものである。


ブログの質とかはどうでもいいのよ。ブログなんて所詮はガヤなんだから。ガヤがたとえインテリだったとしても大衆演劇の文化的な価値が上がるとも思えないし。


大衆演劇には大衆演劇相応の客というものがあるわけで、それはしょうがないのではないか。


高市早苗が首相をやってるというのは自民党や麻生太郎の党利党略だとか政局もあるだろうけど、国民はそれ相応の政治家しか持ち得ないとも言えるのだ。民主主義だからね。日本人がバカならば、政治家もそれ相応になるのではなかろうか。


政治家ばかりがバカばっかりではないのよ。

大衆演劇のIP化はとっくに議論されているはずだ。いつ出てくるのかわからないスターの誕生を待っていてもしょうがない。


イチローや大谷翔平みたいなスターは百年に一度出てくるか来ないかだろうからね。


歌舞伎にしてもそこまでずば抜けたスターが出てこなくてもうまく世襲してやり繰りしてきたわけだからね。


人間国宝とか言われても、知らない人がみたとしてもとりあえず、そういうものだとしか思わないだろうし。


誰が観てもすごいと思えるようなスーパースターなんて滅多に現れない。


かつて暗黒時代だった阪神でさえも遠山と葛西をファーストに交互に守らせたりとかして騙し騙しやり繰りしてたわけだ。


東進だって林修以外にも講師がいるけど、一般的には林修以外はそこまで知られていない。梅沢富美男くらいしか知られてない大衆演劇と似たような世界である。


そんな林修だって若手時代は一番手ではなかった。当時の一番手は代ゼミから移籍してきた出口汪だった。ほかにも河合塾と兼任だったウルゲンの山西や、古文も教えていたゴロゴ板野などがいて、林修はどちらかと言うと一部の東進の内部生に熱狂的に支持されていたような印象だった。外向きには出口汪で推していた。


外向きには梅沢富美男かも知れないけど、大衆演劇界隈にも里見要次郎だとかいろいろいるわけだし、出口汪やウルゲンやゴロゴがいなくても東進は成り立ってるように梅沢富美男がいなくても大衆演劇は成り立つのだ。


東進には英語の今井宏もいるからね。かつては自称メガネをかけた知的な紳士、最近ではサトイモを自称している。


大衆演劇も今井宏みたいなひとがどんどん出てくればいいのではないか。都若丸みたいな役者がどんどん出てくればそれなりに盛り上がるような気がする。


田舎のヤンキーみたいなのが花形やっていても前歯ガタガタなのよ。それなりにモチベが高いのが花形なり若座長やってもらわないと。


やる気がないのか仮病使ったりドロンしたりとかありがちではあるけど。


モチベが上がりにくい業界であるというのがそもそもの問題だと思うんだよな。インセンティブもないし。


ファンがいくら盛り上げてもインセンティブがなければやる気スイッチは入らないと思う。そのためのスポンサーが必要なのかも知れない。


スーパー歌舞伎みたいに大衆演劇もパッケージ化するべきではなかろうか。代ゼミがカリスマ講師から脱却しようとしているように、大衆演劇のカリスマ座長頼みという興行そのものを変えた方が良さそうではある。


座長に依存しすぎるから若手のモチベも上がらないのだ。どこの誰とは言わないけども、仮病使ったりドロンしたりなんかやらかしたりしがちなのではなかろうか。


大衆演劇をサブカルとしてリブランディグ化する必要もあると思われる。フルリブートするくらいしないとエンタメとして生き残れないのではなかろうか。


歌舞伎町劇場が失敗したのも大胆な変革をしないでそのまんま大衆演劇を上演したからではないか。新宿で公演する意味を考えてなかったような気がする。浅草や新世界と同じような感覚でやっても集客できるはずがないだろうし。


ほぼ舞踊ショーに全振りするくらいしないと新宿では集客できないと思うけどね。それこそ二丁目が近いのだから、ドラァグクイーンショーとのコラボとかそれに近いものを上演するとか。


コンテンツのユニバーサル化としてアニメやゲームを大衆演劇で上演するとか。


外国人にヤクザ物とか上演してもタランティーノみたいな熱狂的オタクくらいにしか刺さらない。日本人のおばさんの中でさえ血糊が嫌とかいう客が増えてるのだから。


いずれは劇団を解体して興行主によってチームに再編するべきではなかろうか。宝塚みたいな公演にシフトしていくべきだと思われる。一カ月ごとに移動というのも効率的ではないと思うし。毎日公演を替えるというのも質を上げるためには改めた方がいいと思う。


内側だけ温めようとしてもすでに頭打ちになっている。なんだかんだいって外側に素通りされているというのがそもそもの問題のような気がする。


無党派層が選挙に行かなければ日本の政治が衰退するようなものだね。組織票で決まるような茶番劇ばかりやってると日本そのものが衰退するのではなかろうか。優秀な人材は海外に流出してしまうだろう。残ったのはカスばかり。すっからかん、空洞化してしまう。


ブログ界隈も同じである。優秀な書き手はブログというオールドメディアではなく他の場所にシフトしてしまった。インフルエンサーならばインスタやTikTokなどに移行している。収益になるからね。残ったのはカスばかり。黒沢年男然り、大衆演劇の自称ブロガー然り、今更時次郎然り。


第二の梅沢富美男が出てこないのは大衆演劇に留まったところで先が見えないからではなかろうか。生活が保障されてるわけでもないからね。結局は惰性になってしまう。


かつては日本人が一生海外に行かなくても幸せだった。生まれ育った土地を離れることなく生涯を終えることも普通だった。田舎の人が汽車に乗って地元を離れることなどほぼなかっただろう。


旅役者は日常を活性化させるトリックスターだった。よそ者がどこからともなくやってきて現状を変えるのは股旅物では常である。旅役者が舞台上でまさにそれを体現していたのだろう。


役者という概念はさほど変わってないと思うけど、旅という概念、日常、ライフスタイルというものが劇的に変わってしまった。アップデートしなければ衰退するのは自明の理である。