太陽の塔が重要文化財に指定されたそうです。


元々は万博終了後は撤去、解体予定だったらしいですし、結果的に残して良かったとは思います。


壊してしまうのは一瞬でできるから。


レベッカの「ムーン」の歌詞の一節ですね。レベッカとか古いですね。アラ還くらいにしか刺さらないような気がします。



アメリカ館の月の石の展示が意外とショボいというのは置いといて。


石っていうと岩みたいなのを想像するじゃないてますか。ケースの中に入っている破片をみる感じで、全然ピンと来ません。そこまでして展示するくらいならばいっそ、レプリカでもいいような気がします。どうせわかりやしませんよ。大衆だもの。


中国館には月の裏側の砂が見れるけど、それだったら砂漠の砂を触った方が楽しそうです。


今回の太陽の塔の重要文化財認定は公明党の手柄だ、みたいなことを公式YouTubeでいってるのは大草原だと思う。別にアレは創価学会のパビリオンではないですし。


他人のふんどしで相撲を取りたがるのは大衆演劇ブロガーみたいなものですよ。


公明党、ほぼイコール大衆演劇ブロガーでしょうか。大きなものにくっついてる小判鮫みたいな、人間の陰毛に寄生するケジラミみたいな存在だと思います。


十三のケジラミとか、ストリップもびっくりですよ。



別に太陽の塔の重要文化財認定はいいと思いますよ。まあ、半世紀ちょい程度で重要文化財認定されるというのはいささか安直とは思うけどね。


その流れでいくと伊藤かずえが乗ってるシーマがそのうち重要文化財認定されたりして。


大衆演劇が無形文化財に認定される日は来ないと思うけどね。政府のお墨付きなんざもらえるはずがないじゃないですか。パクリも多いし、ジェネリック感強めですし。


出涸らしのお茶みたいなものですからね。一般のお客さんに出すのはかなり失礼だと思います。


太陽の塔は存在感もインパクトもあるじゃないですか。重要文化財認定は時期早々のような気もしますけど。


まあ、早稲田の大隈講堂が重要文化財認定されたのが落成からちょうど80年経った2007年だったので、ぼちぼちといえばぼちぼちなのか。


松井秀喜に国民栄誉賞を与えるようなものかも知れません。


大衆演劇界隈にはレジェンド級の役者はいるにはいます。国宝かと言われたらちょっと怪しいけども。大衆演劇とはそういうものですから。パッと遊んでパッと帰る、自転車操業の上書き保存みたいな世界ですからね。残すものではないんですよ。



潰れたら何も残りません。かつてここに大衆演劇の劇場があった、なんて掲示すら残りません。フツーにマンションになります。そこには何もなかったかのように。


フツーの人間は死んだら終わりなんですよ。何も残りません。その人が生きていた証だとかレガシーだとか。子どもがいればDNAは残りますけど、ただそれだけです。


織田信成が織田信長の子孫とか言われても、ふーん程度ですよね。


のれんとか看板だとかなんらかの商いなり組織でも運営していれば名前やブランドは残ります。


ダイエーとか風前の灯ですけどね。一時代を築いたダイエーも見る影ないです。盛者必衰ですよね。


ブランドとはいわば、みうらじゅんのネタでいうところのシンスですよ。創業何年とかいうアレですよね。




ブログとかSNSなんてその人が死んだら終わりですからね。誰かに引き継いだりとかしないよね。何度もいうけど、書籍化にでもしない限りは何の価値もないと思います。


ネットとは上書き保存ですから。ピン留めできない世界なんです。情報としていくらブックマークしたところでいずれは見られなくなります。


旅人よっちゃんがなぜ存在価値がないのか。全て自称だからです。自称終身名誉顧問ですからね。自称。



西園寺の公認を名乗りながら自称。公認を名乗るのもおこがましい。本人が特に否定しないだけでそれを公認ということにしてしまうあのオヤジの厚かましさよ。


大衆演劇ブロガーなんてほぼ自称ですからね。組合やコミュニティが特にあるわけでもないし、横のつながりも縦のつながりもない。ただ好き勝手適当なことを書いてるだけのオタクの自己満TENGAですよ。


役者界隈にはナントカ会とかいうコミュニティがあるにはあるみたいですけど、外部の人間からすればよくわからない世界です。要は単なる馴れ合い、しがらみみたいなものでしょ?ゲスト出演だとか。


政治家における松下政経塾くらいわけのわからない存在です。松下政経塾出身とドヤ顔で書かれてもだから何?と思ってしまいます。


近年、松下政経塾出身の政治家がむやみやたらとしゃしゃり出てるきらいがあるけれども、お世辞にもそこまで政策遂行能力が高いとは思えません。理念だけで一体どれだけ実践できているのか。増税するなら誰でもできるような気がします。


おっさんとは往々にしてロマンというものが好きなのです。ゆえに実現できるかはさておき、とりあえず口だけ達者なひとはたくさんいます。政治家然り、役者然り、オタク然り。


口だけの人間なんざ道楽と同じです。要は自己実現と自己満足の狭間で揺らいでいるオナニーマシーン、単なるペテン師みたいなものではないか。


彼らは自分好みのファンタジーやロマンに酔ってるだけで他人のことなどどうでもいいのです。にも関わらず、調子に乗っておためごかしにエラソーなことをほざいたりします。おまえのことを思って言ってやってるんだみたいな。大衆演劇界隈の御意見番も大衆演劇のことを思って提案しているみたいですし、旅人よっちゃんも西園寺のことを思っていろいろやってあげてるみたいですからね。


そんなのただの詐欺師じゃないですか?自己中のエゴイスト以外の何者でもないと思います。


天上TENGA唯我独尊野郎ですよ。


それはさておき、オタクが死んだら自己満足の結果として膨大に溜め込んだコレクション類はどうするのでしょうか?様々なコレクターがいると思うけど、死んだら全てゴミになってしまうのでしょうか?まるで丸めて捨てられたティッシュみたいに。



旅人よっちゃんの隠し撮りコレクションとかどうなるのでしょうか?


大衆演劇界隈の様々なノベルティだとか写真だとかはどうなるのでしょうか?


みうらじゅんは生前にミュージアムを建てた方がいいと思う。奥さんに管理を任せるのは酷だと思うし。膨大かつディープすぎてカオスすぎるだろうし。


身寄りがない独居老人とか孤独死したら終わりですからね。戒名すらつけてもらえず無縁仏として速やかに処分されるだけですよね。まるでかつての吉原の花魁みたいに。


子どもがいて、入れるお墓があるのが当たり前だなんて思わない方がいいですよ。お盆には必ずお経をあげてもらえて、線香もお花も備えてもらえるのは決して当たり前ではないですからね。


死んだら終わりなんですよ。大衆演劇みたいだと思います。大衆演劇は舞台をやり続けるしかない世界じゃないですか。たとえそれが惰性だろうと、馴れ合いだろうと。


柿落としがあれば緞帳おろしもある。旗揚げがあれば、一座をたたむこともある。


お墓を長男が継ぐのが当たり前というのは前近代、戦前の家父長制に基づく価値観ですよね。現代ではシンママとかいますし、そこらへん、今後どうなるのでしょうか?


とりあえず、死んだらブログもSNSも終わりです。何も残りません。死後もなお更新が続けば、それはホラーです。


むっちゃんのブログはいまだに更新してるじゃないか。





むっちゃんはよくわかりません。本人の強い意思で誰かが残しているみたいです。残したところでだから何?と思いますけど。


それだったら、全盛期の授業動画をYouTubeに上げるとかした方がいいと思うけどね。まあ、著作権は代ゼミにあるから無理なのか。晩年の激痩せして劣化した頃の授業動画ならばYouTubeにもあると思ったけど、むっちゃんといえばぽっちゃりしたイメージだった。


むっちゃんは自称、堂本光一、椎名桔平。旅人よっちゃんの西園寺終身名誉顧問みたいなものです。




いまだに授業動画を販売したところで果たして今の受験生相手にそんなに売れるのかな?スタサプとかもあるのに。いっそ、YouTubeで全盛期のキレッキレの頃の動画を無料公開した方がたくさんのひとに触れられると思うけど。


ひとはいずれ死ぬんだよな。呆気なく。そして、何も残さず、何者にもなれずにドロンしていく。いくらイキったところで死んだら終わりなんだ。


生きてるうちがハナ、そして、ハナの命は短い。人生の絶頂期なんてほんの一瞬だろうからな。あとは衰退していくだけ。スピードは個人差はあれども、衰退の一途を辿る。


歌手とか役者とかアスリートとか衰退と抗いながらもベストを尽くそうとは試みる。


マー君の200勝は足踏みしてるよな。200を目処に引退するのも目に見えてるからな。


中田翔はひと足早く引退を決断した。自分から辞められるというのはひと握りの存在にしか許されない特権だと思う。大半の凡人は呼ばれなくなって終わる。相手にされなくなって終わるのだ。


そして、何も残さずひっそりと消えていく。


星より密かに、年寄り密かに。


山から滑落したり、クマに襲われたり、出先で意識を失いそのまま亡くなったり。死に場所なんて選べないのだ。ドラマティックには死ねないのが常である。


生きる場所を選べるのだってひと握りだからな。大半の凡人は代替可能な部品でしかない。いてもいなくてもどうでもいい存在。それがモブ、大衆というものだ。


大衆演劇の役者から暇人と思われているようなモブ客たちって一体…


メルカリに叩き売られているカムイって一体…


暇人とか鼻くそみたいな存在じゃないですか。

十三のチンカス…息してますか?


古墳というものがある。かつての有力者のお墓だと伝えられている。



堺にある仁徳天皇陵、別名大仙陵古墳。日本最大級の古墳と伝えられているけど、実際のところよくわかってないらしい。盗掘もされているだろうし、アレだけ大きな古墳でも風化してしまうものなのだ。


外周は約2750メートルなので大阪万博のリングよりもさらに700メートルほど長い。まあ、リングも相当長いんだけども。


仏教伝来以前に建てられた古墳。宗教観も全く異なる存在。


現代ではお墓を敢えて建てないひと、そもそも建てられないひともいる。建てられないというのは経済的な理由だけでなく、そもそも独居ならば跡取りがいないからね。散骨するか、永代供養を頼むか。


死んだら終わりのはずなのに、はじめからなかったことにされてしまうような扱いをされるというのもなんか嫌な感じではある。


人生とは短いようで長い暇つぶしみたいなものなのか。まるで、大衆演劇の舞踊ショーみたいだ。


貝塚の中には人骨もあるという。無縁仏は縄文時代にもあったのだろう。細かくいえば、仏教伝来以前なので仏とは言わないのか。


貝塚とはゴミ捨て場と言われているが、生命の再生を願う場という意見もある。不要だから捨てるだけということではないのかも知れない。


死んだら終わりだと思いますか?終わらないと思いますか?終わらないと思うのであれば、その根拠を説明できますか?自分の言葉で。ブログでもいいから。


ちなみにむっちゃんは古墳を建てるのが夢だったそうです。古墳。