外連味って言うじゃないですか。


外連味の権化みたいなやつ。


ケレンミと読みます。ケレンミ。


元々は歌舞伎発祥の言葉で、平たく言えば、邪道という意味です。


邪道といえば大仁田厚ですよね。ダチョウ倶楽部の上島竜兵のモノマネでもお馴染みだった。


大衆演劇とは本来は歌舞伎のアウトサイドとしてケレンミをウリにしていたのではないか。


大衆演劇だからこそ、ルールや常識に囚われず、なんでもアリだった。芸の拙さや粗削りもケレンミでカバーしていた。学生バンドみたいなノリと勢いでパフォーマンスしていた。


それが大衆演劇独特のパッションを創出していたのかもしれない。




40年前の大衆演劇はおそらくそんな感じだったのではないか。


40年前のポカリスエットの広告。


現代のポカリスエットの広告。


現代の大衆演劇からは明らかにケレンミが減りました。


めんどくさいことをやらなくなり、守りに入っているとも言えます。


どこの劇団も似たような芝居や舞踊ばっかり。観客も、なによりそれを演じている役者自身、よく飽きないなと思います。たとえそれが商いだとしてもだ。


どうせいつもの暇人しか来ないし、いくらケレンミ出して頑張ったところでゼニが増えるわけでもない。


つまり、頑張っても報われないならば、手を抜くのは自明の理。


やればやるだけお客さんが入り、賃金も御祝儀も右肩上がりに増えて、テレビからのオファーも来るならば、そりゃケレンミも出しまくると思います。


いつもの暇人ばかりの客席ならば、馴れ合いになりますよね。



某劇団は客席との馴れ合いを逆手に取って人気を獲得しているくらいです。傍目で見れば手抜き以外のなにものでもない。ふざけてないでそのぶん芝居なり舞踊なり長くできないものなのかと思っても、それが最適解のようになって今日に至っている。


むしろ、それがその劇団の持ち味になっているというのだから皮肉だ。試行錯誤はしたのだろう。いまや唯一無二の劇団になっている。技ありのあざとい策士だと思う。簡単に真似できそうでできないのは確かだ。どうせ来るのは常連しかいないのだから、ケレンミなど不要なのかもしれない。


逆に常連しかいないからこそできるケレンミというのもありそうではあるけど、それはもはやお約束であり、ケレンミとはちょっと違うような気がする。


大衆演劇からケレンミが減り、なあなあになってる一方で、ケレンミで勝負しているのが再生数が存在証明であるYouTuberやTikTok界隈なのかもしれない。


彼らはテレビや映画などではコンプライアンスに縛られてできなくなっているような過激なことまで臆することなくやってのけることでYouTubeドリームを掴んでいる。江頭2:50みたいにYouTuberとして大成功したケレンミの権化みたいな芸人もいるくらいだ。


YouTubeはケレンミの宝庫であり、いろんなジャンルのケレンミを堪能することができる。


いつでもどこでも、しかも基本的には無料で。




たまにやりすぎて炎上したり、いきすぎたケレンミは迷惑系YouTuberとして犯罪スレスレになったりもするけど。かつてのへずまりゅうみたいに。


再生数を稼ぐためにはなりふりなど構っていられないとはいえ、脱法行為はさすがに看過することはできない。YouTube界隈も今やかつての勢いはないような気がする。ショート動画ばかりでかつてほど稼げてないとも言われているし。


大衆演劇がやらなくなったケレンミはYouTubeなどで楽しめる時代になっているとして、これからの大衆演劇はどうすればバズるのか。あくまでも仮定として。


ネットでも話題になるくらいのケレンミで勝負するしかないと思うけど、そんな役者どこを見渡しても不在というのが実情である。小さくまとまった「ちいかわな役者」ばかりなのである。


客も劇場も減ってるからね。役者もスケールダウンするのは至極当然なことだ。


演歌歌手みたいなものではなかろうか。夢グループくらいしか推してない演歌歌手界隈ではあるけど。細川たかしみたいな歌手がガツンガツンガツン出て来なければ、そりゃ衰退するわ。氷川きよしは限界突破して妖怪になるし。





大衆演劇界隈も藤山寛美や志村けんクラスの役者が出てくればそりゃブレイクするとは思うけどね。百年にひとり出てくるか出てこないかの逸材など期待してもしょうがない。


かつてケレンミで大衆演劇界に旋風を巻き起こしたスーパーな座長たちもアラ還、アラフィフである。現在、トップレベルとされる座長も大半はアラフォーである。若手で芸がある座長は片手で数えるくらいしかいない。


10年後にはさらに減っているのはいうまでもない。人の命は限りあるのだ。そして、人生の中で絶好調でいられるのも非常に短い。




日本社会同様に大衆演劇は末期にいると言っても過言ではないだろう。ステージ五くらいかな。


かつてのケレンミを取り戻そうと様々な悪あがきもやってるみたいだけど、なかなか結実してない。裾野が拡がらなければ、結局は内輪で馴れ合いになってしまうだけなのだ。


忙しいひとはなかなか観に来てくれない。暇人ばかりの老人会に成り下がってしまう。それではクオリティは下がる一方ではないか。それでパフォーマンスが上がることは絶対、ない。



政治が危機的状況にあってもあいもかわらず、永田町界隈の老人会は呑気である。あとは知らんけどというオーラをひしひしと感じる。老いぼれに任せてはダメなのかもしれないが、肝心の若手が老人に調教された奴隷ばかりでクソの役にも立たない。優秀な人材は海外に逃亡しているか、死んだふりをしているのだろう。


いずれにせよ、この国に未来はない。なにもできない大衆は座して死を待つだけなのだ。鶏卵工場のオスのヒヨコみたいに。


邪道とはただ単にデタラメをやればいいのではなく、基本的な型というものは全て叩き込んで置かなければいけない。型を知らずに型破りなどできないからね。


まずはそこらへんから始めないといけない。




デタラメな保守など論外なのだ。保守を名乗るならば政治のいろは、AtoZは身につけてから語るべきだ。


ケレンミ以前のニセモノに騙されがちなのが大衆なのである。中身など何も観ていないからね。外見ばかりに囚われている。それが大衆の本質だと思う。








ぼくらも学ばないといけないのよ。