サッカーワールドカップ、日本代表戦。
強豪のオランダ相手ということで、早朝からヒリついた戦いでしたね。
本田圭佑の解説がネットで話題になってますが、取られたら取り返すシーソーゲーム。
そして後半終了間際のこのセットプレーでドロー。
ボールが乗っているかのように見えますが、掠ってます。
そして、頭に掠めたお陰で絶妙にコースが変わってゴールイン。
奇跡のゴールなのか、偶然なのか、まぐれなのか。
運が良かったのか?
いや、これは必然だったと思います。この位置にいたから掠めたわけだから。単なる運ゲーではございません。
諦めたら試合終了という言葉がございますが、最後まで諦めなかったからこそのゴールですからね。
引き分けで満足してはダメなのかもしれないけども、ここで勝ち点1をゲットできたのはやはり大きいと思います。
ところで、これは偶然なんですか?
この角度から見ると横断幕の文字が変わって見えます。奇跡でしょうか?
いまの日本代表に足りないものとしてしばしばあげられるのはマリーシアです。
マリーシアとは狡猾さという意味ですね。勝つためには手段を選ばない。
まるで大衆演劇におけるケレン味みたいなものですよ。客を喜ばせるためならば、手段を選ばないやつですね。なんでもアリみたいなやつです。
プロ野球でいうところの元木の隠し球とかノムさんのぼやきとか囁き戦術みたいなやつです。
泥臭さといいますか。サッカーは元々は労働者階級の競技ですから。エリートや紳士のスポーツではないのです。
巨人軍は紳士たれとか言いますけど、かつての元木や清原、そして坂本勇人や阿部慎之助を見ればわかるとおり、決して紳士とは言いがたいですよね。
ところで阿部慎之助監督が辞任してからめちゃめちゃ調子がいいですね。橋上代行の戦術がピタリとハマってます。今のところ、セリーグで唯一交流戦勝ち越してますからね。なぜでしょうか?
大衆ウケすれば最適解ではないということなのかもしれません。政治もスポーツも。
ポイチも就任当初はネームバリューが弱いとか世界水準ではないとかいろいろ囁かれていたけど、結果的にはうまくまとまってますし。
もし実直かつ堅実な日本代表にマリーシアが身につけば鬼に金棒かもしれません。
日本人的にはマリーシアは好まない、好まれないとも言われてますけどね。
日本人には大谷翔平というマリーシアとは無縁な怪物がいます。大谷翔平を見てると清原とか中田翔とか阿部慎之助とか坂本勇人とか霞んでみえますよね。大谷翔平は例外中の例外ですよ。あの落合博満がファンになるくらいの存在ですから。
ワールドカップ前には広島カープのゾンビたばこが問題になってましたけど、すっかり上書きされてしまいました。カープにとってワールドカップはいいマスキングになりましたね。
トランプもワールドカップのどさくさに紛れてイランと停戦合意しました。ちなみにイラン代表はワールドカップに出場してます。
サッカーにおけるマリーシアはサッカーが労働者階級のスポーツだったことと関係あると思います。
まあ、日本のサッカー選手はどちらかというと育ちのいい人が多いと思いますけどね。今どきの受験生みたいな感じです。礼儀正しく、勤勉だったりしますね。良くも悪くも真面目で従順だと思います。
日本におけるサッカーはストリートのスラムから成り上がるためのスポーツではございません。雑草魂とも無縁です。どちらかといえば経済的にある程度恵まれた家庭に生まれ育ったひとが多いイメージです。それゆえにヨーロッパの主要リーグでも日本人選手は重宝されてます。日本人選手は監督の指示に従って機能するからです。
でも、大衆はただ従順で公明正大なだけではダメなのです。時にはずる賢く立ち回らないとうまくいかないのではないか。中道改革連合が全く党勢が伸びないのもそういうところではないか。労使協調では労働者は一生貧しいまま搾取される一方なのではないか。人間革命など詭弁なのではないか。
高市早苗や麻生太郎みたいにずる賢くやらないと選挙にも勝てないのではないか。民主党に必要なのは公明党ではなくて小沢一郎なのではないか。老獪さがない凡庸な野田佳彦こそが戦犯なのではないか。
予備校講師にしても大衆演劇の役者にしても実にしたたかかつずる賢く立ち振る舞ってますよね。コンプライアンスなんてクソ喰らえとばかりにケレン味たっぷりの曲者が教壇や舞台を所狭しと立ち回ってました。
大衆演劇の場合、その日の客層によって力加減を変えてます。観客は全てを見てるわけではないのでそれに気づかないのかもしれませんが、役者は実にしたたかです。
どこで手を抜いたか、どこでギアをあげたのか、見破れるようになったらいよいよ大衆演劇の沼だと思います。
人気の座長ほどずる賢いです。大衆演劇のマリーシアまで楽しめるようになってからが本番のような気がします。
同じ劇団は最低3回は見た方がいいと言いますけど、ただ観させられているうちは大衆演劇などクソおもんないのです。
大衆演劇の微妙な妙といいますか。大衆演劇のマリーシア、狡猾さまで見抜いて、楽しめるようにならないと大衆演劇など結局全然見えてないし、観てないに等しいといえます。
カムイのどうせ暇なんでしょから何が見えるのか。
何も見えてないひとにとっては別に取るに足らないひと言なのです。
高市早苗をサナ活だとか踊らされてピーヒャラピーヒャラしているような大衆には結局何も見えてないのと一緒です。別に小泉進次郎になっても同じことだと思います。
サッカーも政治も大衆演劇もしたたかで、実にずる賢く、狡猾なのです。
まあ、盛り上がっているのはサッカーくらいですけどね。政治も予備校も大衆演劇もすっかりダウンサイズしてしまった。かつてのような大立ち回り、パフォーマンスがなりを顰めてしまった。ワクワクしない世界になってしまった。茶番になってしまった。高市早苗はその最たるものではないか。
日本人から大谷翔平みたいな規格外のサッカー選手が誕生する日が来るのでしょうか?メッシ級のファンタジスタが。
何事も楽しむためには解像度を上げることが必要という話でした。
ほんじゃ。







