6月は篠原の至宝、紫鳳友也ですね。
先日、誕生日公演を行ったみたいです。行けたら行こうかとも思ったんですけどね。
「命の水」という演目があるそうです。
2016年の2月に木馬館で行った演目で、真冬にも関わらず、舞台の上で水を被って願掛けするというなかなかハードな演目みたいです。
その当時はまだ小学生だった息子の花道が口上挨拶の際に飲み物を持って舞台袖から父親の下に駆け寄ったら、直々に「次はおまえがやるんだぞ」と言われたとか。
花形襲名公演では演らないみたいですけど、いつかやるんでしょうか?
「命の水」気になりますね。今回の篠原演芸場6月公演で上演するのでしょうか?
大衆演劇とは元々は労働者のオヤジの憂さ晴らしとして始まった興行なんです。
労働者のオヤジは日頃理不尽な扱いばかり受けてストレスが溜まってるわけだ。
呑む・打つ・買う
これがおっさんの憂さ晴らしの代表ですね。
酒か博打か女か。それくらいしか楽しみがないんです。基本的には。
お金だってそんな持ってるわけでもないし、自由になるお金なんてたかが知れてますからね。安い酒飲んで、博打やって、儲かったら風俗にいって、あぶく銭は泡となって消える。それでソープランドと呼ばれるようになったとか。知らんけど。
元々はトルコ風呂がトルコ政府から苦情が来たとかでソープランドに改名したらしい。なんでトルコだったんでしょうか?オスマントルコだから?オスマントルコだから?
旅人よっちゃんはキツいのがお好き。だから狙うのは少年ばかり。知らんけど。
大衆演劇の演目って基本的には憂さ晴らしなんです。だから、やくざモノ、渡世者などが多いのではないか。
芝居の内容なんてどうでもいいんです。舞台上で暴れてくれればスッキリするんです。
プロ野球にしても、プロレスにしても、おっさんが好むものなんて大体は憂さ晴らしですからね。
文化的にどうとか、芸術的価値があるとか、そんなこと大衆のオヤジにはどうでもいいんです。
酒なんて酔えればどうでもいい。ホッピーだろうと、焼酎だろうと、なんだったらカストリだっていいわけだ。
男は黙って、大五郎。
大衆演劇は別に後世に残すものではないので、文化とか芸術とかどうでもいい。その日の憂さ晴らしになればいいんです。
それが昭和の大衆演劇だった。
当然、役者も無頼漢が多く、まあいい加減だったんじゃないですか?
今は労働者も昔ほどオラオラしてないじゃないですか。
スマホでぽちぽち課金してゲームやったり、スロット打ちにいったり、コンビニで発泡酒買ったり、チェーン店居酒屋でレモンサワー飲んだり、たまにピンサロ行ったり、マッチングアプリ使ったり。
憂さ晴らしも昔ほど豪快ではなくなったのではないか。
大衆演劇も次第にオワコン化していった。昭和50年代、1980年代には労働者向けの大衆演劇はすでに虫の息だったんです。
それで、おばちゃん相手にシフトした。舞踊ショーに全振りするようになり、芝居は次第に縮小していった。それが今の大衆演劇です。梅沢富美男の夢芝居以降の大衆演劇ですよね。
オヤジの憂さ晴らしからおばちゃんの推し活へとシフトした。大衆演劇のパラダイムシフトですね。
その結果、荒削りでも豪快だった芝居は徐々にまるくなっていった。舞踊ショーの衣装合戦みたいになっていき、大阪ではサービス合戦が過熱化して送り出しが長くなる一方になった。
芝居はすっかり隅に追いやられていった。
芝居の本質は芸術でも文化的価値でもなく、オヤジの憂さ晴らしだったから。プロ野球やプロレスみたいなものだったから。
現在ではプロ野球はすっかりメジャーリーグの二軍か三軍みたいな扱いになり、プロレスも総合格闘技などに再編され、現在に至ってます。
労働者のオヤジのプレゼンスが社会全体から低下し、プロ野球やプロレスなどもいまや地上波のゴールデンタイムで放映されることがすっかり減ってしまいました。
エンタメ市場を動かしているのはアイドルなどの推し活ですよね。メディアも社会も女性やオタク向けのもので溢れてます。
いま、大衆演劇が岐路に立たされている。
おばちゃんの推し活だった大衆演劇も娯楽の多様化などによって徐々に客離れが加速しているのだ。
地下アイドルに韓流アイドルなどなど、選択肢が増えてしまったのが一因だ。大衆演劇の役者がかつてに比べてすっかり霞んでしまっている。
令和の梅沢富美男をオーディションしたところでおそらく誰も乗ってこない。そんな物好きなどいないだろうし。別においしくもないだろうし。
それならば、ワンチャン、YouTubeやTikTokで稼いだ方がいいと考えるだろう。
結局、歌舞伎みたいに二世、三世でやっていくしかないのではないか。うまく子どもを唆して、やる気にさせて、役者に仕向けるしかないのだ。
それでも全員は役者になるとは限らないだろうし。フツーに学校出て、カタギの仕事に就いた方が自由だろうし。
梅沢富美男からアップデートしないと大衆演劇の明日はないのは火を見るよりも明らかである。
かといって、いまだに梅沢富美男から完全に抜け出せていないのが大衆演劇だったりするんだな。
梅沢富美男という最適解があまりにも的確だったので、ネクストがないのだ。
日本海海戦の大勝利から抜け出せずに太平洋戦争に突入したかつての日本海軍みたいなものだね。
綺麗な女形だけではもはや客は呼べないのだ。綺麗な女形だけに頼らなくても集客できるようにしないといけない。
まあ、そもそも客は今以上、これ以上増えないだろうけどね。これ以上減らさずにとりあえず現状維持を狙う。大衆演劇の至上命題は現状維持であって、ブレイクスルーではない。
それって今の日本の成長戦略にも言えることではないのか。大風呂敷広げたところで高度経済成長なんてもはや起こり得ないのだから。
梅沢富美男からの脱却を図ることも必要ではあるが、とりあえず、客離れを止めないことには大衆演劇に明日はないのだ。
ブロガーごときがつべこべ行ったところで問題解決に向かうのだろうか?所詮はブログも憂さ晴らしなんだろうし。
呑む・打つ・買う
打つが博打ではなくて、パソコンやスマホをぽちぽち打ってるのが現代の陰キャ風だよね。
買うのはフィギュアとか推しグッズとかね。
それが現代の憂さ晴らしなのかも知れない。知らんけど。









