なぜ阿部慎之助の娘はチャッピーに頼ったのか。
話せばわかる相手だったらそもそもチャッピーになんか頼らないだろう。
なぜ人間は理性というものがあり、話せばわかるなどと思うのか。
そんなわけねえだろ?
話せばわかる、いつかは分かり合える時が来る。
お花畑ですか?
話しても分かり合えない相手なんて掃いて捨てるほどいます。
なぜそんな当たり前のことさえわからないのか。
例えば阿部慎之助の場合、以前に2回ほど不倫してますね。同じ相手と。
それ以来、カミさんと娘との間にはすきま風が吹いていたと言われています。身から出た錆だと思うのです。
話し合ってもわからない相手がいるから法律があり、裁判があるわけだ。
チャッピーに相談して児童相談所に通報するのはおかしいとか、児童相談所も警察に通報するのがおかしいとかいうのは被害者には一切寄り添ってないのではないか。
話せばわかるというのは、平たく言えば娘はそれくらいのこと我慢せいと言わんばかりですよね。
理不尽な暴力を受けた長女に泣き寝入りしろと言わんばかりじゃないですか。傲慢ですね。
昭和の時代にはセクハラ、パワハラ、モラハラという概念もなければ、言葉もなかった。
被害者はもやもやした気持ちを抱えながらも我慢するしかなかった。
なんで被害者が我慢しないといけないのか。そうすれば丸く収まるからと丸め込まれていたんです。理不尽ですよね。
翻って、少し前に広島の広陵高校でイジメが問題になりませんでしたか?
被害者の下級生が泣き寝入りすることが正義だというのですか?
かつて鉄拳制裁が美談のように語られていた時代もあったけども、それが適切だったとは思えないのです。
そもそも、娘に手を挙げる父親とかどうなのよ。躾だとか愛の鞭だと言えば聞こえはいいけど、それを第三者が勝手に決めることなのだろうか。
単純に身から出た錆だと思うのです。
愛娘に暴行を加えるようなひとが監督なんて務まるのだろうか。
チャッピーなんかよりもひとに相談しろというのも傲慢だと思うのです。
誰に相談するの?母親?友達?学校の先生?
相談したところで的確なアドバイスをもらえるとでも思うのですか?
カミさんが旦那さんをアンダーコントロールできていればこんな問題は起こらないですよね。
いじめにしても周りに相談すれば解決するとでも思うのですか?
大衆演劇界隈にもしばしば問題起きてますけど、座長が首謀者だとすれば、興行主や先輩に相談すれば解決するとでも思うのですか?
そんなわけねえだろ。
チャッピーの方がよほどマシなのかも知れません。
AIには情がないからね。情がないぶん、冷徹に分析できるのです。
AIはたまに嘘をつくときもありますけど、それは誤った思考ルーチンによるものであって、人間のように意図的に嘘をつくことはないのです。
AIの方が人間よりも誠実なのかも知れません。
人間がAIに劣るのかという話ではございません。
人間には柵などがあって、本音を押し殺して思ってもないことを言いがちなのです。
そうなると結局は泣き寝入りせざるを得ないわけだ。
例えば、ぷっつん総理がいい加減な政治をしているとしても、国民は泣き寝入りせざるを得ない。
国民は首相を罷免することができないから。
間接民主制なのでリコールできないんです。総理大臣はルールに守られているわけだ。国民が頼んだわけでもないのに国民はイエスともノーともいえない。言ったところでサイレントマジョリティとしてかき消されるだけだし。
内閣支持率というものが一応あるが、あくまでも無作為で抽出された指標にすぎず、客観的なものではない。科学的根拠があるかといえば、天気予報や偏差値よりも疑わしい。国民全員に尋ねたわけでもなければ、国民全員が本音を言うとも限らないからね。
むしろ、AIに首相をやらせた方がよっぽどマシかも知れませんよ。
チームみらいの安野が高市早苗のカテキョするまでもなく、AIに首相をやらせた方がよほどマシなのではないか。
内閣支持率の高さを逆手に取って国民そっちのけで自分たちの都合よく政局を回しがちですよね。民主主義をなんだと思っているのか。
今回の一件はAIがそれほど大衆に浸透しているという現れなのではないか。
昨今、恋愛相談も転職もチャッピーに相談するひとが増えてるという。
先輩と飲みニケーションよりもチャッピーの方が気楽だというのもあるだろう。
人間って誠実そうに見えてかなりいい加減だからね。周りにいる人間がまともである保証もないし、周りがバカばかりならばロクなアドバイスをもらえないのではないか。そもそも何をもってしてまともだと言えるのか。
人間とは理不尽な面が往々にしてある。客観的に見せかけて実は恣意的だったり、相手の意見など考慮しなかったり。
すべての人が分かり合えるなんていうのは幻想である。それゆえに最終的には多数決というもので決められがちなのだ。民主主義とは少数派に配慮するフリをするだけでもまだマシな方というだけで、めんどくさい少数派など握りつぶしてしまいたいと思いがちなのが人間ではなかろうか。
ヒトラーは民主主義的アプローチによって生まれたということは忘れてはいけない。トランプも高市早苗も民主主義的アプローチから生まれたのだ。
分断が危惧されているか、ポピュリズムによって分断が促進されてやいないだろうか。多様性とは言うけれども、実は多様な世界は気持ち悪いのではなかろうか。上からこうだと定義してもらったほうが安心するのではなかろうか。
AIがそういった人間の弱さに寄り添っているとも言えなくもない。自分に自信がある人間なんてそんなに多くはないだろう。それゆえに同調圧力に屈したり、付和雷同しがちなのだ。
また、AIによって人間はいつかは分かり合えるという幻想にドロップキック、強烈なカウンターを大衆に喰らわせたのではないか。
サヨクもウヨクも仲良くできないのか。
中道路線でいけないのか。中庸こそが正義だ。
そんなわけねえだろ。
どっち付かずのいいとこ取りなんてできるはずがない。男でも女でもない存在というのは理屈では分かったつもりになっても生理的には受け付けないのではないか。
また、どっちか決めろと言われて決められないことだってある。父親と母親どっちがいいと言われて選べる人もいるだろうけど、選べない人だっているだろう。阿部慎之助の娘はもしかするとそういう心境だったのかも知れない。今回の一件がなんらかの決断を下すひと押しになるのかも知れない。
ひとはなぜマウントを取りたがるのか。
人間はどこかで自分が一番だと思いたいものだが、それが叶わない場合、少なくとも自分が底辺で最低にさえならなければいいと考えがちである。
江戸時代に士農工商の下に穢多、非人という下層民を設けたのもそういった理由だと思われる。
なぜネトウヨが中国や韓国などを見下したがるのかというのも自分たちが底辺とは思いたくないという心理がどこかに働いているからではなかろうか。
それはヒトラーの優生思想にも通底するものがあるのではないか。
また、先輩と後輩、親と子、上司と部下、きょうだいなど。下のものに負けるというのは精神的に堪えるのではないか。
兄弟喧嘩して、兄が弟に負けたら面目丸潰れだよね。
日本と中国がガチで戦争したら勝ち目あるだろうか?
韓国とガチで芸能やスポーツで戦ったら勝ち目あるだろうか?サッカーはいい勝負だろうが、芸能は今や怪しくないか?
中田翔が日ハムに入団してきた大谷翔平をいじめたかったとのちに告白しているが、偽りのない気持ちだと思われる。
老いては子に従えというが、自分はまだまだ現役だと思っていれば、子どもの言うことなど果たして従うだろうか。
大塚家具の親子喧嘩とかあったよね。いくつになっても親は子どもをどこかで支配したいのかも知れない。大衆演劇界隈でもそれはありがちだったりもする。
たかがブログでマウント取りたがるような輩もいるくらいだからね。人間なんて実にちっぽけな存在である。
バカは死んでも治らない。
森の石松じゃないけど、バカにつける薬はないと思います。
阿部慎之助には気の毒ですけど、巨人にとっては強ち間違いではなかったのではないか。
家族でさえ分かり合えないのであれば、他人ならばなおさらです。
分かり合えない相手といつまでも争ってもしょうがないのだ。
こいつとはいくら話しても無駄だとわかった段階でばっさり切るべきだ。不毛な争いだからね。
人生、短い。
ちなみに阿部慎之助は中央大学出身ですが、単位は四つしか取れなかったために除籍扱いになっているらしい。
バカは死んでも…
まあ、大衆演劇界隈だとほぼ中卒で、高校出ている方がレアだったりする世界だからね。
大卒なんて皆無である。
かつては芸能界もそんな感じだったが、近年ではアイドルでも高学歴をウリにしがちだからね。そこらへんも大衆演劇がピリッとしない一因のような気がしなくもないのだ。