ケレン味とは見栄やハッタリみたいな意味です。


できもしないような不可能なことをさもできるように吹聴し、それをやってのけたかのようにパフォーマンスすることですね。


大衆演劇とはケレン味の玉手箱みたいな演劇と言われています。ある種のイリュージョンですね。


大衆演劇がオワコンなのはメインであるはずの芝居がオワコン化してるからです。苦肉の策として始めた舞踊ショーや送り出しによる手厚いおもてなしが今や最大のウリになってます。


大衆演劇の見どころであるケレン味が舞踊ショーくらいでしか見せ場がないのが残念なところです。


その一方で現代の日本では社会全体がケレン味で溢れてるのではないか。それらがSNSなどで可視化されています。ネットなんてそんなもんです。


プロレスもケレン味の最たるものですよね。格闘技というよりもエンタメですからね。


高市早苗はまさにケレン味だけで首相をやってのけてるかのようです。働いて、働いて、働いて、と言いながらも彼女はどう見ても雰囲気だけです。彼女の言動、パフォーマンスはほぼケレン味です。そう見ればしっくりくるのではなかろうか。

例のシャンパンタワーにしてもケレン味です。ホリエモンの炎上したワギューマフィアのパフォーマンスもケレン味ですよね。料理とは本質的に何も関係ない。シャンパンタワーも本職とは何の関係もないのにさもビジネスで重要であるかのようにプリテンドしている。典型的なペテン師です。


高市早苗のパフォーマンスも国民にとってはクソの役にも立たないことばかりです。トランプの愛人であるかのような立ち振る舞いなど、本質的には何の関係もないじゃないですか。


ケレン味とは本筋とは関係のないところでいかに見せ場を作るか。お客さんをある種のぺてんにかけるか。そして大衆演劇で人気がある座長、役者ほどケレン味が巧妙なのです。不器用なひとは集客できません。カムイはまだまだ半人前、未熟だと思います。ケレン味を磨かない限り集客はできないのではないか。いつまで経っても父親頼りだと思います。


ケレン味の頂点に立つのはかつてならば梅沢富美男、そして里見要次郎、現在ならば都若丸でしょうか?ここら辺は賛否両論ありそうですけどね。都若丸が20年間篠原に乗らなかった、乗れなかったのも賛否両論あったからではなかろうか。


劇団美山は里美たかし自体は大したことないんですけど、劇団全体でみたらケレン味炸裂してるのです。


橘劇団は橘大五郎はまだまだなのですが、やはり菊太郎の存在が大きいような気がします。


東京の大衆演劇は良くも悪くも不器用というか、そこら辺のパフォーマンスがあまりうまくはない。だから、関西の役者頼りになっているのではないか。ただ芝居をやってるだけではお客さんは満足しないのです。そもそも芝居自体オワコンなのだから。


本来ならば芝居だけで魅せたいのでしょうけどね。残念ながらそれは難しいと思います。


テレビを観てもケレン味やペテン師の歴史みたいなものじゃないですか。巷で再燃している細木数子などその最たるものです。大衆は本物を求めてないのです。本物らしいもの、ケレン味こそが至高なのです。アイドルやYouTuberなどをみればわかると思います。冷静に見れば大したことないものでもついつい見入ってしまうものが勝ちなのです。


エンタの神様はケレン味の宝庫でしたよね。コウメ太夫は確か、大衆演劇出身ですよね。


大衆演劇は芝居よりもケレン味を磨くべきでないか。東京発のケレン味を構築しないと未来はないかも知れません。本物など必要ございません。


関東の役者は良くも悪くも真面目なので難しいような気がしますけどね。いい加減な役者はいますけど、役者としていい加減なひとは減ってますね。生き様が役者そのものというひと、いますか?そこらへんの加減が難しいのです。コンプライアンスが叫ばれてる現在において。


昭和のコメディアンや役者がそのまんま現在で通用するとは思えませんし。昔は良かったというつもりはございません。今でも通用するやり方で表現できるか否かですね。大衆演劇もそこらへんを問われてるような気がします。その最適解のひとつが都若丸なのかも知れません。知らんけど。

おまけ

身も蓋もない話だが、これをすれば禿げないとか、これを使えば毛が生えるなんて言われると飛びつくでしょ。


まさにケレン味の極地。大衆はそういうものを待ってるのよ。


理屈として正しいものよりも、なんとなく気持ちよくしてくれるものとか、気分が良くなる言葉とかね。占いだってその類でしょ。

水素の音…