大衆演劇というロストワールドについて少しだけ考えてみた。


なぜ、あの人は大衆演劇だったのだろうか。


大衆演劇って昭和のタイムカプセルみたいなもので、本質的には何も変わらないんです。


昭和レトロならば喫茶店だとか食堂だとか銭湯だとか他にもいろいろあるんです。


大衆演劇は特殊な世界で、特殊だったからこそ、進化することなく現代まで細々と生きながらえることができた。


いわば、シーラカンスみたいなものですね。


50年前、7、80年前から本質的には何も変わっていないもの。


新陳代謝と浮き沈みが激しいスクラップアンドビルドな日本社会において稀有な存在だと思います。


そう、何も変わらないんです。


浅草木馬館とか昭和50年代から本質的には何も変わってないんです。約50年、なにも変わってないんだ。


いけば昔のままの大衆演劇がそのまま残っている。


伝統とはちょっと違う。毎日、自転車操業のように続いてきた町中華の食堂や銭湯みたいに、灯が消えることがなく脈々と続いてきたもの。


リレーのバトンみたいなものですね。


そこにいけば続いていて、そして、毎度お馴染みの大衆演劇がやっている。それこそが凄みだと思う。


決して安定はしてない世界ではあるけど。なので、安定の大衆演劇とは決していうつもりはないです。


集うものが安心して見ることができる劇団こそ至高なのだと思います。


あの人は章劇が好きだったな。章劇を観ると安心すると言っていた。





伝統ではないです。伝統とは過去からの目線で見たものじゃないですか。かといって未来永劫続いていく保証もない。


大衆演劇とは漕ぎ続けないと前に進まない危うさとともにあるものですから、比叡山延暦寺の蝋燭みたいに油断大敵なんです。かといって伊勢神宮みたいに天皇家みたいなものを背負っているわけでもない。


そこに集うひとたちにとってのアジールとして、マルクマークとしてのトポス。平たく言えば、居場所なのだと思います。


暇だからいくなんていうと、まるで心無いものが役立たずの老いぼれを罵倒するかのように取られられがちではあるけども。


そんなに忙しいことが美徳なんですか?


役立たずだろうと、ホームレスギリギリの危うい生活だろうと、人間は生きてるからにはなんらかの繋がりだとか、居場所というものが必要なんですよ。


昨日、上野駅の隅っこで寝転がっていた老人に駅のスタッフが声をかけていたところ、逆上してました。


「こうやって動けるのだから放っておけ」と。


駅の隅っこにペットボトル片手に寝そべっていた老人の心中は存じ上げません。彼はただ寝そべっていただけである。なんかブツブツ言ってたような気もするけど。


公園、駅、ベンチ、電車の中、そして大衆演劇の劇場。


その中でも大衆演劇はさすがにグレードが上がりますけどね。さすがにタダでは入れないから。


短い時間でもどこか腰を下ろしたいことってあるじゃないですか。


カフェだとか居酒屋だとか大衆演劇の劇場だとか。


別に飲みたいものがなくても喫茶店に入る感覚だと思います。


別に見たい芝居がなくても大衆演劇の劇場に行くというひとも意外と多いのではないだろうか。


大衆演劇って観たいからいくとは限らないと思います。ほんのひとときでも落ち着きたいから、ざわめく心をドカドカうるさいものでノイズキャンセルするような感覚で来ているひとも中にはいると思います。


とりあえず、大衆演劇というやつですね。


暇だからというよりもかりそめの安らぎだったり、現実逃避のためにきているのではなかろうか。


なので、それをぶち壊すような舞台だけは絶対にやってはいけないと思います。


別に何をやってもいいから、そこらへんは踏み込んではいけない領域だと思いますよ。


ただギャーギャー騒いでいるだけのおばちゃんだっていろいろ抱えているものがあると思いますし。


まあ、中にはそれがウザいと思う輩もいるみたいですけど。


というか、自分以外の存在に気にかけられるほど余裕があるひとなんてそもそも大衆演劇など観に行かないと思うんだな。


そのようなひとは往々にしてお金もある、家族もいる、友人もいて趣味もあって、自制心だって多分ある。


そこに大衆演劇が入り込む余地なんてないと思いますよ。


美容と健康に気を遣っているひとが町中華なんて食べないでしょ?


お金持ちがわざわざ銭湯なんて行かないですよね。プライベートサウナに行ったり、個室に風呂がある旅館に泊まると思いますよ。


大衆演劇とは居場所がない弱者にとっての最後の寄る辺のひとつだと思います。


なので、芝居とか踊りにそこまで深い意味など別になくてもいいのです。そりゃ、あればあるに越したことはないと思いますけどね。


そこらへんの絶妙な落とし所、バランス感覚こそ求められていると思うのです。


集客力も大事ですけど、そこらへんをうまいところやっつけられる役者こそ、大衆演劇なんだろうなとは思いますけどね。


台本なんてあってないようなもので、稽古なんてやってやらないようなものじゃないですか。


それでも与えられた時間の中でそれなりに、それらしく立ち振る舞わないといけない。なかなか酷だと思いますけどね。









役者が揃えば見映えもグッと良くなります。


昨今の大衆演劇は客層もほぼ固定化されているので、良くも悪くもやり易いのだと思います。常連しか来ない食堂や飲み屋みたいなものですよ。顔みただけで何を出せばいいのか大体わかるじゃないですか。


まあ、ダイナミズムは喪失するだろうけどね。予定調和をぶっ壊す必要もなくなれば役者のモチベも低下するだろうし。


役者が手持ち無沙汰になるかもしれません。たまには変わったことをやってみたいと思っても、まあいいかとなってしまう。


いろいろメニューはあるけど、カレーしか出さない食堂みたいなものですね。


ナイルレストランにおけるムルギランチみたいなものですよ。


まえ田食堂って結局、何が名物なんですか?おでん?


あの人はまえ田食堂のチャーハンが好きだったかな。