ホリエモン曰く、客を呼ぶという一番簡単なことがお前らはできてない。それは実力不足だ。
これは確かにいろんな局面で言えることなのかもしれません。
客寄せパンダという言葉がある通り、客を呼んだものが勝ちであり、価値なのだ。
予備校講師然り、大衆演劇の役者然り。
ミセスグリーンアップルにしても藤井風にしてもスタジアムを満員にできるほどの客を呼べることが資本主義の価値でいえば勝ちなのだ。歌が上手いとかいいとかいうのはオマケであって、本質ではない。
それは予備校講師や大衆演劇の役者にも言えることかもしれない。
とりあえず、集客できるか否か。それに尽きる。
それを先鋭的にやっていたのがかつての代ゼミ。駿台や河合塾はそれに追従しようとしていたが、追いかけなかった。東進は後塵のフォロワーだった。
枠組みが変わったから衰退しただけであって、客を呼べるか否かは普遍的な価値であることは変わってない。
予備校はもはや大教室で一斉に授業を受ける時代ではないからね。
大衆演劇は単純に観る人が減ってる。その結果、劇場も劇団の数も縮小してしまった。
それでも客を呼べる役者は強いというのは間違いない。上手いとか下手とか熱意があるとか愛があるとか観念や精神論ではなく、何をやっても客さえ呼べれば認められるのだ。
日光紅葉座も客を呼ばなかったから閉館した。新宿歌舞伎町劇場も客を呼べなかったから常打を辞めた。ただの貸しホールになってしまった。Mスタジオみたいな感じ。
大衆演劇のブログには客を呼べる力はたぶん、ない。
ホリエモンはススルを批判していたが、ススルほどの知名度や影響力があるブロガーはいない。
ブログに書けば毎晩50人、いや、100人は客を呼べるのであれば引っ張りだこのはずである。
うちもブログに書いて。どうぞどうぞと案件が来るはずである。
残念ながら、そんなブログは一本足りとも存在しない。
関係者が匿名でブログ書いてるとしてもそこまでの影響力はない。せいぜい、インフォメーション程度の役割しか果たせてない。あげまんと言えるほどの付加価値はない。さげまんとは言わないけども、あげまんでもないだろう。
付加価値がない以上、目くそ鼻くそなのだ。内容があるとかないとか、愛があるとか関係ない。
ブログは集客に一切貢献してない。ファンにとってはそんなもんどうでもいいからね。
ホリエモンは集客なんて簡単だと豪語しているが、集客ってなかなか大変だと思うぞ。
試行錯誤していろいろやってみても手応えが全くなかったり。
フェーズが変わったら今までと同じことを今まで通りやっていても結果がでるはずがない。
現状維持って思っているよりも大変なのだ。
成績も体力も外見も現状維持するためには弛まぬ努力が必要なのだ。その上増やすとなるとさらに大変だ。
大衆演劇における大入とはあくまでも目安に過ぎない。実際の動員数は横ばいだったり、下手すると減っていたりもする。大入の水準そのものを下げるということもよくやっている。
お盆はいくら館内は冷房が効いているとしても劇場に行くまでがそもそも暑いだろうし、観客動員は減ると思う。夏の暑さは敵である。
それでも野外フェスで動員するアーティストもいたりするからね。たとえどんなに暑くても動員できるひとも存在するのだ。
集客できるブログを書けるひとが今後出て来るだろうか。
そんなプロのコピーライターみたいなことできるやつがこの界隈に果たして存在するのだろうか?
まさに旅人よっちゃんである。
旅人よっちゃんが果たして西園寺の視聴者を増やしたり、貢献しているといえるだろうか?
西園寺ファンは西園寺を見たいわけであって、旅人よっちゃんをみたいわけではない。
大衆演劇ファンは芝居なり役者を観たいのであって、ブログを読みたいわけではない。
ブログがなんの役にも立ってないのであれば、まるで旅人よっちゃんみたいじゃないか。
まあ、流石に旅人よっちゃんみたいに裏では相当エグいことをやってるわけではないと思うけども。さすがに。
興行主は役者はひとりでも多くの客を呼べる役者を欲している。あの篠原が都若丸を20年ぶりに乗せたというのも危機感の現れだろう。劇団美山というキラーコンテンツはあると言えども、さすがにそれだけでは維持できない。都若丸には年に一度か二年に一度は定期的に乗ってもらいたいというのは正直なところではないか。
都若丸からしてもさすがに大阪周辺ばかりぐるぐる回っていても頭打ちである。大阪に次ぐマーケットである篠原はできれば2、3年に一度くらいは乗りたい。その流れで三吉に乗った方がコースとしても効率的だ。今後どうなるのかわからない歌舞伎町劇場よりも篠原を選んだのは正解だったのではないか。
ホリエモンがリュウジとかススルなど影響力のある人気YouTuberに噛みついているのもある種の危機感の現れではないだろうか。
20年程前、近鉄球団やフジテレビを買収しようとするなどホリエモンは時代の寵児だった。
当時代表を務めていたライブドアの不祥事を巡って逮捕までされた。現在でもインフルエンサーとして、投資家として精力的に活動を続けているとは言えども、かつてほど大衆から支持されているわけでもない。
ホリエモンは客を呼べると豪語しているが、かつてほどの勢いは流石にないだろう。
代ゼミも20年以上前のように講師で集客できるほどの勢いはない。大衆演劇も役者で集客できれば安定するのだろうけど、集客力のある劇団はひと握りしかないし、人気は水物なのだ。飲食店も芸能界も水商売だからね。予備校も大衆演劇も虚業であり、結局は水商売なのだ。
人気者とは良くも悪くも曲者なのだ。代ゼミの人気講師も曲者揃いだった。問題が全くなかったわけではない。コンプライアンスもあるし、かつてのようになんでもアリではなくなっている。
大衆演劇も集客できる座長は往々にして曲者であり、それゆえに興行主と揉めることもあるのだろう。全てすっぽり丸く収まるということはどうやらなさそうだ。
ブログは曲者がいくら書いたところでそれで経済が回るわけでもないだろうからね。かつてほどの勢いはないだろうし。
予備校、大衆演劇、ブログ、共通していえるのは斜陽産業であるという事実である。YahooもLINEもブログは撤退してしまったし、予備校も生徒も講師も校舎もごっそり消えた。大衆演劇も客も役者も劇場も減っている。そして、その次はYouTuberが消えるとも言われている。公務員みたいに絶対に無くならない業界ではないからね。
あのジャニーズ事務所でさえ解体されてしまった。嵐も解散してしまった。再結成することは多分もうないと思われる。SMAPのようにフェイドアウトせずにきちんとさよならできた。
嵐がかつてそこまで人気がなかった頃に木更津キャッツアイというドラマがあった。もうかれこれ20年近く前である。岡田准一が主演でクドカンが脚本、嵐の櫻井翔も出演していて、主題歌も嵐が担当していた。
岡田准一演じるぶっさんが癌で余命宣告を受ける。残りの人生が確定した若者が残された人生をどうエンジョイして生きるのかを描いたバカらしくも切なくもある群像劇である。
視聴率は振るわず、連続ドラマでは最終回でも死なないという死ぬ死ぬ詐欺で終わったのだが、のちにDVD発売することになり、深夜で再放送したところなぜかブレイク、DVDがバカ売れしたたために映画化、続編が2作作られたのだ。きちんとぶっさんを見送るカタチで締めることができた。
木更津キャッツアイによって千葉のローカル飲料だったMAXコーヒーが全国発売されるという副産物もあったことも付け足しておく。やっさいもっさいは全国区にはなってない。たまに大衆演劇で踊られることもあるけど、そこまで有名ではない。
嵐の解散コンサートは活動休止してから6年ほど経ち、コロナ禍やジャニーズの一連の騒動が収まってからの開催になった。まるで連ドラでは死ぬ死ぬ詐欺で終わった木更津キャッツアイがその後の映画化できちんと見送ることができたようなものである。
ちなみに木更津キャッツアイに出演していた薬師丸ひろ子、阿部サダヲ、古田新太はのちにクドカン脚本の朝ドラあまちゃんにも出演している。特に薬師丸ひろ子は木更津キャッツアイがきっかけで朝ドラにオファーされたといっても過言ではないだろう。
東進の古文講師である栗原は「訳しますひろ子」というのが定番のギャグになっている。薬師丸ひろ子が元ネタであるのは言うまでもなく。
人生いつ終わりが来るのかなんてわからない。人生とは不確実である。急に終わりが来ることだってあるのだ。
今際の際まで大衆演劇の役者の名前を出していた人だっているのだ。たとえボケても大衆演劇の役者の名前は決して忘れなかった。最後に口にした名前が澤村章太郎だった。なぜ澤村章太郎なのか。紫鳳友也でもなく、澤村蓮でもなく、里見要次郎でもなく、里美たかしでもなく、なぜか澤村章太郎。他に名前がなかったのか。
そういえば、「章劇を観ると安心する」とかつて言っていた。安らぎだったのかも知れない。とにかく、最後に選んだ名前が澤村章太郎だった。
このようにカムイのような役者からは暇人としか観られてないような客でも今際の際に名前が上がることがあるのだ。本人もさすがにあと三日後に亡くなるなんてわかって呟いたわけではないんだろうけど。会話の流れの中で出てきた最後の名前が澤村章太郎だったのも示唆的である。章劇にはイケズなところが一切ないからね。
他に何も趣味がない、お金もないひとの中には大衆演劇が心の片隅にあった。もっと他に楽しいことや素敵なことがなかったのか。そう考えると虚しくもあり、切なくもあるのだ。それが大衆演劇の本質だと思う。
やってる方も観てる方もそこまで真剣にやってるわけではないんだろうけど、全てが嘘偽りではないということは真実である。その一瞬の煌きに真実めいたものがあったのかも知れない。知らんけど。
15年前のホリエモンのブログ。
睡眠時間以外のほぼ全てを演劇に使っていない役者。
大衆演劇あるあるのような気がする。
そんな暇あるのかと言いたい。
客にどうせ暇でしょ、なんて軽口叩いている暇などあるのか?しかも、仕事中に。
まあ、そこまで真剣にやるものではないのか。大衆演劇だもの。
でも、それならばそれで役者として、人間としての成熟、成長は止まるのではないか。
カムイならば三人中三番手ということになりかねない。大空やこうたに比べたら。
邪なことを考えていると相手のことなんかどうでもよくなる。客を客として見なくなるのだ。
高市早苗は国民のことをどう思っているのだろうか。是非とも、本音を聞いてみたい。石丸伸二みたいに。






