こんばんは、マサキです。
ブログを書き始めて
ざっと2週間が過ぎました。
初めのうちは
自分のブログを見てくれる人が
果てして居るのかどうか。
不安もありつつ、
「自分のブログ」で誰かの明日を
明るく照らすことが出来たらなと。
そう思って書き出したことを
早くも思い返しています。
自分がコミュ障という
もの凄く高い壁を乗り越えたのか、
果たして穴でもこじ開けたのか。
そこの真相は実は
自分にも分からなくて。
でも周りの友達が
「変わったよね」って
言ってくれるその言葉に
昔の自分を思い出したりします。
何が自分を変えたのか。
確かに大学のある講義に出たことが
僕の今を形作っていることは
確かなことではあるのですが、
あなたがもしこの講義に出て
自分の壁、つまりコミュ障を克服して
羽を広げることができるのか。
出来るかもしれないし、
あるいはできないかもしれない。
僕の本心は
「この講義をあなたにも受けてほしい」
僕がここでどれだけ時間をかけて
考えて書いた文章でもってしても
あの講義には敵わないと。
僕を変えたその講義が
素晴らしいことは自分でも
よくわかっています。
でも一つ疑問があるんです。
この講義が素晴らしいとするならば
僕以外の人たちもそれなりの
影響を受けているはずなんです。
でも実際は違いました。
僕と数名の学生以外は
日々の行動を変えようと
しなかったのです。
退屈そうに大学へ登校し、
スマホを片手に講義を受け、
開始20分ほどで顔を伏せる。
何のために大学に来たのか。
コミュ障の僕は救いを求めて
大学へ足を踏み入れました。
常に救いのアンテナを張っていました。
他の人たちが当たり前に
行っているコミュニケーションという
高い壁にため息をこぼす毎日。
そして入学から半年後出会った。
今ならわかるんです。
その講義が素晴らしいのでは
なかったんだと、
自分の心の在り方が
あの講義を素晴らしくしたのだと。
必死で彼の口から出ては消えていく
言葉たちを記録し続けたのです。
あの講義で語られる言葉たちを
まるで冷え切った体に頭から
暖かいお湯を注ぐように。
僕の体の隅々に
暖かい血液が行き渡り
やがて世界は
色を取り戻していきました。
決して自分は劣っても、
ましてや遠回りもしていないんだと。
むしろ自分とまわりと向き合う
素晴らしいチャンスを
与えられていたのだと。
よく絶望のあとは希望があるとか、
失敗は成功のもとだとか、
これらの言われている言葉の意味が
なんとなくわかった気がします。
一度踏み外す、
あるべきものから外れてみる。
人とは違うことを経験する。
絶望に追い込まれるその過程。
そこに一番の近道があるのだと。
僕はこれからも沢山の失敗をします。
わざと普通から外れていきます。
そうすることで見えてくる、
世界のありのままの姿が
僕の目には映るのです。
なんて美しいんだ。
もう戻ることはできません。
普通になんて戻れないんです。
自分のコンプレックスを
何も気負うことなく、
今では愛着すら感じることができます。
自分が間違っていると思っていた。
自分だけ不幸だと思っていた。
世界は退屈だと思っていた。
でもすべて幻想だったのです。
誰かが作った道のあとを
素直な人が同じように通るのです。
そうして出来上がる道が
僕たちの世界であり、
社会の常識であり、善悪なんです。
そして今日あなたにお伝えしたいこと。
それは
「コミュ障になれたことに
感謝すること」です。
あなたが間違っているのか。
あなたが劣っているのか。
いいえ、みんなが社会が、
日々の当たり前が間違っているのです。
私たちがこれから生きていく、
この社会というものは病気です。
社会は病気なんです。
決して無菌な社会ではないです。
そんな社会に
僕は立ち向かうことに決めました。
僕は社会の医者になるんだと。
僕にしか治せないものがあるんだと。
今ではそう思うほど
自分に自信を取り戻し、
生涯の夢を見ています。
そして、あなたが
コミュ障になれたことに感謝するには。
方法として、
「○○になった。じゃあ何がそうさせたのか」
こう考えてみることです。
○○に沢山のことを
入れてみてください。
例えばコミュ障の場合。
コミュ障になったあなた。
では、何があなたを
コミュ障にさせたのか。
それを考えることです。
あなたは果たして
自分自身だけでコミュ障になったのか。
あなたにだけの答えが出るはずです。
真っ暗な水の中をもがき続ける
あなたの前に微かな小さな穴が
見えているはずです。
いつかあなたはその間欠泉から
噴き出すように外に飛び出すのです。
まずは、
眉間のツボを押してみましょう。
あなたの考えるという行為を
きっと楽にしてくれるでしょう。
今日も最後までお読み頂き、
本当に本当にありがとうございました。