福沢諭吉の『学問のすすめ』を読んでいて、諭吉は神を信じているのか、はたまた信仰心は持ち合わせているのか疑問に思い、ネットで色々調べていると、面白い記事を見つけました。



 

Q. 歴史上の偉人は無宗教の人物が多いのでしょうか?
神より自分を信じている・・というイメージがなんとなくあるのですが・・・

偉人の定義は曖昧で申し訳ありませんが「今も名前がよく知られている人で何か大きなことを成し遂げた人」ということでお願いします。




A. 

確かに偉大な人は信念が強く、何かに頼ろうとしないだろうから、神の存在を必要としないのではという気もします。
実際、質問者さんのイメージが正しいかどうかは何人か偉人のサンプルを取り出して信仰があったか検討してみるとよいでしょう。
以下私なりに検討します。


手元に福翁自伝があるので福沢諭吉をまず取り上げましょう。彼は子供のころ罰があたるかどうか確かめるため、お札をトイレで踏みつけたことがあります。縁起や神仏に対して一定の理解があったことを伺わせます。合理主義者の福沢らしい愉快な逸話です。
福沢諭吉に近いタイプの偉人としてベンジャミン・フランクリンがいます。アメリカ資本主義の育ての親です。彼の自伝には「神は智恵の泉だから智恵を得るために神の助けを求めるのは当然で、また必要なことだと私は考え、この目的のために次のような短い祈祷文を作って毎日これを唱える…」とあります。フランクリンも合理主義者であったが信仰心があったのは間違いないですね。

トロイの遺跡を発掘したハインリヒ・シュリーマン。青年時代に彼が乗った船が難破して、ボートでなんとか岸にたどり着いたことがある。これについて自伝では「あの瞬間のうれしさといったら思い出すたびに神に対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになる」と書いています。フランクリンもシュリーマンも父は新教徒でした。

哲学者のソクラテス。彼はデルフォイ神殿の「ソクラテス以上の賢者はいない」という神託に驚き、その反証をしようと人々を訪ね歩いた結果、無知の知の自覚にたどり着いています。彼も神への信仰はありました。

アテネの黄金期を作ったペリクレス。プルタークの対比列伝には「口は達者だったが、演壇に登る時は、余計な言葉を発しないよう神に祈った」とあります。

ジャンヌ・ダルクは神の啓示を受けて歴史の表舞台に現れました。

中世の英雄サラディン。イスラムの世界でアイユーブ朝を創設しています。当然イスラム教徒だったはず。

マハトマ・ガンディー。ヒンドゥー教徒の家に生まれているはず。彼はカースト制度を認めていますから、ヒンドゥー教徒であったでしょう。

ルネサンス期の芸術家たちの中にも信仰心があった人は多くいるのでは。例えば「神曲」を書いたダンテ。またレオナルドダビンチやミケランジェロらは従来のカトリックの考えとは違ったかもしれないが、優れた宗教的芸術作品を残しており信仰心なくしては作りえないものだったと思います。

今の日本の経営者で最も尊敬されているのが京セラ、KDDIを創った稲盛和夫氏です。彼は得度して仏門に入りました。

アメリカ大統領の大統領就任式では聖書を使います。初代大統領のジョージ・ワシントンからこのやり方をやっているらしい。オバマ大統領はリンカーンの聖書を使ったそうです。
すべて歴代大統領に本当に信仰心があったかどうかは分かりませんが、合衆国は宗教的自由を求めて移住した人が創った国ですから、少なくとも建国の父たちは信仰心が強かったと推定できるでしょう。

デール・カーネギーの「道は開ける」にはアイゼンハワー、蒋介石、ネルソン提督、ワシントンのような「男らしい男」も神に祈ったと書いてあります。また、T型フォードを開発したヘンリー・フォードも「神が責任をもって下さる限り、万事が結局は理想的に処理されると信じている」と言ったと書かれています。

宗教を否定している人では、「宗教はアヘンだ」といったカール・マルクスやアインシュタイン。最近では宇宙物理学者のホーキングが神や死後の世界を否定しています。


厳密に調べるのはなかなか大変なテーマだと思います。
上に書いたことから、キリスト教の影響が強かった欧米やイスラム教の影響が強かった中東では、おそらく偉人の多くは信仰心があったのではないか、むしろ無宗教の人のほうが少ないのではないかと私は推測しています。一方、日本の場合は宗教的な無関心・寛容というのがありますから、無宗教の偉人の割合は多いかなと思います。

人によって取り上げる偉人に違いがあるはずです。質問者さん自身が受験が終わって時間があるときに、関心のある偉人をピックアップして調べてみると結論は変わる可能性は十分あります。




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