久しぶりの投稿です。
何故こんなに書かなかったのか?
それはあまりに味気ないパチンコが続いたからだ。
1000円でやっとこ10回、ヘタすれば500円で3回とか
こんなことでモチベーションが続くはずもないのだ。
先日、哀しいお知らせがあった。
あのアントニオ猪木がとうとう逝ってしまった
実は私はプロレスそのものでは猪木より馬場覇だった。
猪木が好きになったのはパチンコなのだ。
そうだ
2005年1月「アントニオ猪木という名パチンコ機HJ2(平和)」
パチスロは5号機規則が決まりストック禁止、ATもショボショボ、ボーナス獲得711枚→480枚と暗黒時代の始まりで不安ばかりの時代
反面パチンコはあの魔の50%規制が撤廃され前途洋々希望に満ちた時代
それまでは1/350で確変50%
中には1/332等の神なスペックもあった
しかしいずれも単調なものばかり
そんな時代に私が好きだったのはドン2などみなし機を除けばブリバリパンプキングとバニーガールZJ2
あとは加トちゃんこぶ茶バンド編T5SCやモナコパーティT3SといったハネデジSTタイプ
さて、前途洋々なパチンコ時代の先陣を切ったのはCRフィーバー大ヤマト2ZFだった。
当然どいつもこいつも飛びついた
だが私が抱いた印象は
は?1/496なのに確変割合はたった68%?
TSが50上がっただけの1/399では60%なのに、更に100も上がって8%しか違わないの?
だった
なので、いつもSFやSEは打ってもZFは殆ど打たなかった。
だがSFと思って打ったそれが実はZFで当った時は8連もしてくれてウハウハだった。
その次は羽根モノデビルマン倶楽部で当らず…だったらヤケッパチでZFも打ってやれ!みたいな気持ちで打ったら15連もしてくれてこれまたウハウハ
しかし、それっきりでそれから積極的にZFを打とうとは思わなかったのだ。
大抵の人間は大ヤマトZFにまっしぐらだった時代に。
そんな私が2004年規則で心からときめいた機種
そうだ積極的に打ちに行った機種
それこそが「アントニオ猪木という名パチンコ機HJ2」だ
1/296 確変80% 確変の1/6(13%)で15R(他は6R)
因みに兄弟機はBJ1は確変83%だが1/349で15R比率は13%で同じ。
HKは確率だけ1/315と劣っている劣化版
HSは1/284とはいえアタッカーが8カウント
そうだHJ2のそのスペックにときめかないはずがない
まさに「甘いぜ!」「アツいぜ!」「楽しいぜ!」だったのだ
だが当時のパチンカーはどいつもこいつも石頭ぞろいだった
15R(1箱)ないというだけで毛嫌いする。今では当たり前な1/99や1/79の甘スペックが当時受け入れられなかったと言えばわかりやすいだろう。
そんなわけでHJ2をだけでなく「アントニオ猪木という名パチンコ機」は次々と消えていった。
だが私はそんなHJ2の魅力をわかっていただけに、とことんこだわった。
そしてドンツーが消えた後はHJ2をとことん探し求めたものだ。
2006年6月のドンツー消滅後は特にそうだった。
だが、そんなわずかな設置店もどんどん減っていく…
最後に打てたのは2010年だった。あれから12年か、気が付けば何もかもなつかしい。
猪木のパチンコはそれ以後も次々と出てきた。
だがいずれも屁の魅力もないものばかりだった。
次第に猪木そのものへの愛着もなくなっていった。
だが彼が遠い世界へ旅立った今、心から言いたい
思い出を…ありがとぉ!!!!